ライフスタイル

私のいえは、東京 山のうえ Vol.32

社本真里の隔週日記: むかし、山のうえの暮らし1

2023年5月12日

photo & text: Mari Shamoto
edit: Masaru Tatsuki

 小屋はシンプルな造りなので、雷雨ともなれば屋根に降る雨粒の振動でなかなか眠れない。でもこの雨が自分の生活水になると思うと、少しホッとして、眠れないこともまあ仕方ないかと思えてくる。

 先月、仕事の関係で檜原で生まれ育った方(Tさん)から昔の暮らしの話を聞く機会があった。Tさんが生まれ育った家は檜原でも最奥の地域で、さらに標高約800m(私の小屋よりも標高の高いところ)の山の上にあるという。その家まで山を歩きながら案内してくれることになった。

 昔から生活道として使われていた道の入り口で待ち合わせをして、いろんな話を聞きながら歩いた。車では入れないので、家までの登り40~50分くらいを徒歩で生活してと言っていた。道の途中には、小型のモノレール(3人乗りで後ろの荷台に荷物を入れるようになっている)があって、生活の道具として荷物を運ぶのに使っていたらしい。今はその生活道沿いに住んでる人はいないので、ほとんど使われていないそうだ。モノレールができる前は、馬がその役割を担っていたらしい。

 1時間半程かけて家に到着すると、山の上とは思えないくらい立派な家があった。昔は茅葺きだったので、今はその萱をトタンで覆っているようだったけど、うんと深い軒に凛々しさを感じた。

 水はどうしていたのかと聞くと、水汲み場があったんだと言って、家の裏にある森の中へ案内してくれた。そこにはこのあたりでは見たことがないくらい大きなスギの木があって、その根っこの下に池のような小さな水溜りができていて、そこへポタポタと水が出ていた。現実なのかと疑ってしまうような景色に、なんて言葉にしたらいいかは分からなったけど、その長い長い生命が神々しく、感動的だった。

スギの木は、直径が1.5mくらいあった。樹齢も数百年と言っていた。
スギの木の樹皮からもその長い年月が感じられた。

 昔は近くに3軒家があったらしく、(火事で今は建物もない)その共有の水汲み場だったそうだ。水があったから、先代はここに家を建てたんじゃないかと言っていた。水が暮らしを組み立てる中心的な存在だったんだと思った。

 各所に自然と共に暮らしていた景色があって、いつもより時間がゆっくり流れているような感じがした。

プロフィール

社本真里

しゃもと・まり |  1990年代生まれ、愛知県出身。土木業を営む両親・祖父母のもとに生まれる。名古屋芸術大学卒業後、都内の木造の注文住宅を中心とした設計事務所に勤め、たまたま檜原村の案件担当になったことがきっかけで、翌年に移住。2018年に、山の上に小さな木の家を建てて住んでいる。現在は村内の林業会社に勤め、山の素材の販売や街と森をつなぐきっかけづくりに奮闘している。