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愛しのLV TETIA。

パリにはパレスと呼ばれるホテルがあることを知っているかい?

2026年8月5日

text: Editor in Chief

『POPEYE』の編集長になって以来、僕は年に2回パリを訪れている。1月と6月のファッションウィークに参加するためだ。宿はだいたいセーヌ川を跨いだ左岸のサン・ジェルマン・デ・プレあたりと決めている。その昔、うちの会社にはパリ支局というのがあって、それがサン・ジェルマン・デ・プレにあったため、先輩たちが左岸に宿を取る人が多かったからだ。最近はお土産を買うのに便利なポンマルシェの近くに宿を取ることが多い。とにもかくにもパリは10回以上来ていると思うけど、僕は左岸の小さなホテルに滞在することが気に入っている。

 いつも使っている駅は地下鉄10番線の「セーブル・バビロン」。駅から地上に出て老舗百貨店「Le Bon Marché(ル・ボン・マルシェ)」の電飾サインを見るとパリに来たことを実感する。そしていつも気になっている電飾サインがもうひとつあった。

 LV TETIA

 ル・ボン・マルシェのネオンサインに対してほぼ向かい、通りの角にあるこの電飾サインを冠した建物が何であるか知らなかった。これは「ルテシア」と読む。ルテシアとは、古代ローマ帝国時代における、パリ地域の古称であり、ラテン語には「U」が存在しなかったためにこのような綴りになっているそうだ。ルテシアは左岸で唯一の「パラス」の称号を持つホテルだった。

 パリのホテルはフランス政府が管理する5等級の星の数で評価されている。では5つ星が最高峰かというとそうではなく、さらにその上に「パラス」と呼ばれる称号を持つホテルがある。言ってみればフランスの歴史、文化、職人技が結晶となったような、泊まれる宮殿というわけだ。今回はルテシアに誘ってもらい、この歴史あるホテルに泊まることになった。

 ホテルの入り口まわりはいつもセレブリティを待つファンで溢れている。チェックインを済ませて部屋に着くと、ショーのインビテーションとともに、ホテルから差し入れのシャンパン、各ブランド、パリの友人から贈られてきた花束が置かれていた。いよいよパリの1年のうちもっとも華やかな瞬間がやってくる。ファッションウィークを過ごすのにルテシアはこれ以上ない相応しいホテルに思えた。

 実は僕は到着早々やらかしていた。洋服を入れたスーツケースの鍵を無くしたのだ。1時間後には最初のショーが始まる。汗だくの格好のままいくのも嫌だったし、このまま1週間を一着で乗り切るのは不可能だ。言葉の通じない街で、君ならどうする? 僕はとりあえずAIに聞いてみることにした。すると、ホテルの周辺にある鞄屋を2軒、そして鍵屋を1軒紹介してくれ、さらにこんなアドバイスをしてくれた。「もしあなたが高級ホテルに泊まっているなら、鍵を開けてくれる可能性があります」。僕はすぐにスーツケースを持ってフロントにいきカタコトの英語で鍵を無くして困っていることを伝えた。「ちょっとお待ちください、スタッフを呼んだので」。どこからともなくホテルマンが工具とともに現れ、1分もしないで鍵を壊して開けてくれたのだ。これでやっとファッションウィークを始められる。メルシー、ムッシュ。

 塵一つ落ちてない清潔さは当然のことながら、送られてきた花やインビテーションは美しくレイアウトされ、必要な物が過不足なく正しい場所に収まっている。思わず飛び込みたくなる美しいベッドメイク、足裏から熱が溶けていくようにひんやりとした大理石のバスルーム、素晴らしく適度な熱いお湯がしっかりと出るシャワー、包み込まれるように柔らかく肉厚なバスタオル、心の底から安らぐハーバルな香りのシャンプーや石鹸、豊かな風量で髪を乾かしてくれるドライヤー。

 今年のパリ・メンズ・ファッションウィークはニュースにもなっていたけど、猛烈な熱波に襲われ、連日40度を超える暑さに見舞われた。ショーの会場や時間が急遽変更されるなど混乱も生じていた。いつものように街中を歩きまわることを避けて、ピンポイントでショーや展示会をまわることにした。湿度の少ないパリは、レストランやホテルでもエアコンがなかったり、あっても効きが悪かったりする。僕はあまりの暑さにショーの合間にホテルに帰ってはプールに入り、ハマム(トルコ式の蒸気風呂)と水風呂に交互に浸っては、体の奥まで入り込んだ熱を追い出した。外の灼熱とのギャップに、プールに浮かびながらこんなことすら思った。「たとえこの世の終わりがが訪れたとしても、ルテシアにいられたら大丈夫」。

 華やかな1日が終わり、部屋に戻ってくると、午後に部屋に立ち寄ったときにはなかった水とコップがベッド脇に置かれてあった。このようなホテルでは昼のハウスキーピングの後、夕方にも「ターンダウン」と呼ばれる2回目のハウスキーピングが入る。僕が意図的に移動させたものには触れず、不意に置いた物は元の正しい位置に戻されていた。昨日今日きたばかりなのに、まるで僕の好みや性格、習性を見透かされているような不思議な気分を味わった。

 さらに、驚くべきサービスを見つけた。なんと枕に自分のイニシャルが刺繍されていたのだ。これまで様々な素晴らしいホテルに泊まらせてもらったが、枕にイニシャルが入っていたのは初めてだった。たったこれだけのことで、僕はここがまるで自分の部屋のような気がした。羽毛の枕は素晴らしい軽さと柔らかさ、適度なボリュームでぐっすりと眠らせてくれたが、必要なら枕の中の素材を5種類から変更することもできる。正直、最初からあった羽毛の枕で十分に最高だったが、せっかくなので試してみることにした。スペルト小麦の入った枕も気になったが、さくらんぼの種でできた枕を頼んでみた。しばらくすると大小2つの枕が重なるようにして届けられた。枕に頭を預けると、適度に頭が沈み込み、耳元でザクザクとさくらんぼの種が擦れ合う、心地よい音がして自然と眠りに誘われる。涼しげでなんとも夏にふさわしい。

 こんなサービスもあった。靴磨きを頼むと、なんと〈ベルルッティ〉のお店に出してくれるのだ、しかも無料で。マット仕上げと光沢仕上げを選べたので、僕は表革のレザーシューズを光沢仕上げでお願いした。朝に出すと夕方にはレザーボックスに入って買った時より上質な光沢をまとって帰ってきた。一事が万事この調子なら洋服のクリーニングも出しておくべきだったと今となって後悔している。

 朝食はホテルのブラッスリーでも食べられるが、ルームサービスは格別だった。食べたいメニューと時間にチェックを入れて午前2時までにドアノブにメニューをかけておくと、指定した時間に朝食を部屋へと持ってきてくれる。「テレビを観ながらにしますか? それとも窓の景色を見ながらにしましょうか?」。サービス係がテーブルセッティングしてくれる。この時に食べた「エッグベネディクト」はこれまで食べた中で一番美味かった。前日にホテルのブラッスリーで食べた「パンペルデュ(フレンチトースト)」も最高だったけど。

 ホテルのバーで飲むのはとても贅沢な気分になれるものだ。ルテシアは1Fの開放的な場所に「バー・ジョゼフィン」がある。占領下のパリでレジスタンスとして活動した、スパイであり、ダンサーでもある黒人女性の名前を冠している。20世紀初頭、まだまだ人種的な偏見が強い時代に、ルテシアはこの女性をゲストとして迎え入れた。パリの左岸が持つ自由な精神を象徴するかのような話だ。僕はネグローニを頼んだ。ルテシアの文字が刻まれた氷に上には、バーナーで焦がしたオレンジがのっていた。壁には改修時に漆喰の下から発見された1910年当時のフレスコ画を見ることができる。

 良いホテルとは何か? 今回の滞在で考えた。アートと音楽に囲まれたヒップなホテルに泊まる楽しさもあるけれど、ルテシアはそのような派手さはなく、すべてにおいて上質で品がある。そして何より自宅にいるような心地良さや安心感があった。初めての滞在、それも1週間に満たない滞在でも好みを察し、きめ細やかなサービスを作り上げてくれた。次に泊まるときはよりパーソナライズされた素晴らしい滞在になるのだろう。繰り返し来たくなるには理由がある。

 そういえばこんなこともあった。ある日の午後、少し時間があったのでいったんホテルに戻ることにした。体の熱を抜くために水着を持ってプールに向かう。プールやジムにいくには専用の小さなエレベーターがあり、大人が4人入ればいっぱいの広さだ。僕は手元の荷物を整理していたので下を向いたまま乗り込み、既に2人乗っていたので少し窮屈だなと思った。そして何気なく顔を上げるとそこにジャージ姿のミック・ジャガーがいたのだ。もう1人はマネージャーのように見えた。サインをもらうべきか、一緒に写真を撮るべきか。いやまさか、こんな距離でいるわけがない。同じフロアで降り、2人はジムへと消えていった。翌日、ショーの会場に向かう車の中で、他誌の編集長がニュースを観ながらこんなことを言った。「Diorのショーにミック・ジャガー来てたらしいよ」。え? やっぱり? 考えてみればあのホテルに泊まっていたとしてもまったく不思議じゃない。むしろ、あんなところにこそミック・ジャガーはいるのだ。ルテシアはそんなホテルだった。