1976-1983 昭和アスレチックブーム期の忘れ去られたファッションを発掘! ――トロピカル松村

ザ・ワスレチックボーイ/第5回 あの頃がフレアだけと思っていたら大間違いだ。

logo design: Katsuyoshi Mawatari
photo: Natsuki Ito
text: Toromatsu
edit: Kosuke Ide
cooperation: Sasuke Takeshi

2026年8月11日

「ワスレチック」とは何か? それは本誌『POPEYE』創刊(1976年)からDCブランドブーム到来(1983年)ごろまでの昭和後期に日本の若者たちを魅了した、アメリカ西海岸発のスポーツ/アスレチック文化に強力に影響を受けたファッションスタイルを指す、『POPEYE Web』チームの雑談から生まれた造語。あれから半世紀……今ではすっかり“ワスレ”去られてしまった、昭“和”のユースカルチャー、「ワスレチック」スタイルの全貌を、この道歩いて20年のライター・トロピカル松村が語り尽くすシリーズ連載。

アイテムの選考基準は、70年代後半~80年代前半のユースファッションであること、そして昭和のアスレチックボーイに愛されていたこと。その2つをクリアしたものなら、なんでもワスレチックアイテムに認定だ!


夏は〈オーシャンパシフィック〉のコーデュロイショーツが大定番なのであります。

ディナージーンズにフレンチジーンズ、ホップサックパンツにコーデュロイ。ワスレチック期はボトムスの流行も目まぐるしく変化した時代だった。


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「646」は特筆するまでもない常識だった?

ブーム度★★★ 忘れられ度★☆☆ 入手難度★☆☆

中央が70年代当時のUS「646」。右は日本ライセンスの「646」。W29まではベルトループが5本、W30からはベルトループが7本となる。左は「684」というさらに裾が広がっているタイプなのだが、がっつり裾上げしているからほぼ「646」のよう。逆に「646」よりフレアが弱い「517」というタイプを穿いている若者もいた。

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写真提供:鬼塚則和さん カフェバーブームの先駆け店「トップドッグ」マスターの若かりし頃。「646」に〈アディダス〉の「カントリー」。余談だが今もこのファッションスタイルで波乗りを継続中! 

写真提供:日下部耕司さん 横浜出身、83年からNYに移り住んだグッドサーファー。「646」に合わせているのは蒲田のサーフショップ「ザ・サーフ」で購入していたというアメリカ古着である。

Screenshot

写真提供:Chu Katsumotoさん(左) 1977年、神戸「ピアースポーツ」のヒロさんとカリフォルニアにて。

今も語り継がれる1975年発売の雑誌『MADE IN USA CATALOG』創刊号で〈リーバイス〉の「501」が表紙で象徴的に取り上げられたことに、当時多くの若者が驚いたと聞く。今でこそ「501」といえば永遠のスタンダードというイメージだが、当時を知る人たちへの取材を20年続けてきた実感としては、70年代の〈リーバイス〉の主流はフレアジーンズ「646」だったという印象が強い。

しかし、当時の雑誌をあらためて見返しても、「646」を特筆して紹介している資料はほとんど見つからない。定番すぎたゆえに、わざわざ取り上げるまでもない存在だったのだろうか……。そこで改めて、76年からアメ横「る~ふ」に勤め、現在は三軒茶屋でインポートセレクトショップ「セプティズ」を営む玉木朗さんに、「646」の思い出を聞いてみた。

「ビートルズのアルバム『アビイ・ロード』(1969)のレコードジャケットに写るジョージ・ハリスンのフレアジーンズに憧れていたんです。その頃よく見かけたパンタロンジーンズとは明らかに違ったから。確か、73年に大阪の行きつけの店に来ていたVANの社員さんが同じようなのを穿いているのを見て、手に入るところを教えてもらい、その足で買いに行った。それが646でした。ジョージ・ハリスンの穿いているものは別のものだけど、とにかく646のフレアで、それまでのアイビースタイルからボクのファッションは激変しました」(玉木)

玉木さんはその後上京し、「る~ふ」へ。アメ横では誰もが当たり前のように「646」を穿いていたという。なかでもサーファーには特に多かった印象だったそうだ。一方で、他の街へ行くと意外と見かけなかったという。確かに70年代のサーフィン雑誌を開くと、ほとんどのサーファーが「646」と思しきフレアジーンズを穿いている。

「フレアは裾を切ってしまうとシルエットが崩れる。でもリーバイスジャパンを扱う店にはレングス34しかなくて、『る~ふ』のようなインポートショップにはレングス31や32があった。だからファッションにうるさい連中は輸入屋に買いに来ていた」(玉木)

〈エンジニアガーメンツ〉の鈴木大器さんや〈バテンウェア〉の長谷川晋也さんのNYのサーフメイツである日下部耕司さんとのやり取りで、「77年頃、蒲田のサーフィン仲間にフレアではなく大きめの501を腰穿きしている変わり者がいた」という話を聞いたのも印象的だった。

つまり、少なくとも日下部さんの周囲では「501」のほうが変わり者だったのである。「646」は、当時のヒップな人にとってあまりにも当たり前すぎた。だからこそ、誰も語らなかったのかもしれない。


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コーデュロイは夏にこそ穿いていただきたい

ブーム度★★★ 忘れられ度★☆☆ 入手難度★☆☆

写真提供:イシグロヒロシさん(左) 1979年頃。やはりサックスブルーが人気!

写真提供:日下部耕司さん 1979年、みんな揃ってコーデュロイショーツである。

写真提供:「セプティズ」玉木朗さん カリフォルニアでサックスブルーの「646」を着用。1975年頃。足元は〈プロケッズ〉。

もちろん〈リー〉や国産モノなどいろいろあったが、やはり人気は〈リーバイス〉に軍配があがる。
上段左から_ブーツカット「716」、プリーツ入りフレア「STA-PREST」、ストレート「519」、フレア「646」、日本製の「646」。
下段左から_「646」、パイピングで装飾された「554」、珍番「156」、ベルボトム「684」、スチューデントモデル「719」。

左端のみハンティントンのサーフメーカー〈インフィニティ〉のもの。他はすべて〈オーシャンパシフィック〉。OP刺繍の色も様々。

当時のサーファーやスケーターは真夏でもコーデュロイを好んだ。なぜそうなったのかはわからない。けれど、確かにみんなこぞって穿いていた。

西海岸とコーデュロイと聞いて、真っ先に思い浮かぶのはカリフォルニアキッズの青春スケートムービー『ボーイズボーイズ』(1976)の冒頭シーンだ。ブロンズのマッシュルームヘアにサンドベージュのコーデュロイ。そんなキッズが住宅街をスケートボードで軽やかに滑っていく。その映像だけで当時の空気が伝わってくる。

もちろんカリフォルニアと日本では気候が違う。しかし、コーデュロイ=冬物というイメージだけで語るのは少しもったいない。コーデュロイは畝の凹凸に空気をため込むことで保温性を生む生地だが、一方で「サマーコーデュロイ」と呼ばれる細畝タイプも存在する。こちらは生地が薄く、起毛も控えめで、通気性が良く真夏でも快適に穿くことができる。

サマーコーデュロイは、コーデュロイ特有の柔らかさも健在だ。足を大きく動かすスケーターや、長時間クルマを走らせて海へ向かうサーファーにとって、これほど相性のいいパンツはなかったのかもしれない。

人気色は、やはりサンドベージュ。そしてサックスブルーやえんじ色、オフホワイトも定番だった。サンドとサックスが並ぶと、まるで砂浜と海を見ているようで、なんとも西海岸らしい。そう考えると、コーデュロイの畝がなんだか波のウネリのように見えなくもない。コーデュロイのポテンシャルを再考すると、サーフブランドがコーデュロイのショーツを次々にリリースし、大ヒットしたのも頷ける。

ブランドでいえば、ジーンズ同様〈リーバイス〉のコーデュロイ「646」は大定番。体格が小柄な日本人にはスチューデントタイプ「746」も人気だった(後者はベルトループがフロントポケに入り込んでるのが特徴)。とはいえ、当時は輸入ジーンズというだけで特別な存在だった時代。品番にこだわるというより、シルエットや色に惹かれて選んでいたワスレチックボーイも多かったのではないだろうか。


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ナイトシーンにも役立ったフレアスラックス

ブーム度★★★ 忘れられ度★★☆ 入手難度★★☆

1980年『POPEYE』90号より。11月号のファーラージャパンの広告。1920年代から続く米・テキサスのスラックスメーカーだ。

1981年『JJ』9月号より。日本ではボブソン社がロサンゼルスのトビアス社とライセンス契約を結び販売していた。

左3本が米・〈ファーラー〉のホップサックパンツ。当初、日本で火が付いた〈ファーラー〉は香港製のものだったが、ファーラージャパンがスタートし、後にアメリカ製が採用された。
右2本は〈エンゼルスフライト〉。黒がUSオリジナルで、赤がライセンスもの。印象的なフロントポケットは、米・オリジナルものだと紙幣程度なら入れられるが、ライセンスものだとデザインのみで何も入れられない仕様になっている。

これがオリジナルのオレンジタグ。

こちらはインクブルー。学生服にも使えるからと、更に濃いネイビーとグレーが特に人気のカラーだった。

〈ファーラー〉のブラックウォッチ。通常のホップサックタイプとはデザインが異なるが、感度の高い若者が選んでいた。ショップ編に登場している鷹取義人さん兄弟が着用しているからぜひご参照あれ。

日本語の品質表示タグがついた〈ボブソン〉ライセンスもの。

”エンフラ”にはAFマークのタグ。

〈リーバイス〉のニットパンツ。左から順にBig E「STA-PREST」、「646」、「517」。ここで豆知識。「STA-PREST」は”スタープレスト”や”スタプレ”と呼ばれているが、プレスが崩れないことから付けられたモデル名なので、正確なモデル名は”ステイプレスト”という。(1973年『MEN’S CLUB』情報)

映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のヒットを追い風に、1978年以降はディスコブームが加速。それまで主流だったワイルドなウエストコーストスタイルも、少しずつキレイめへとシフトしていった。ビーチサンダルや短パンでは入店できないディスコが増えたことも、その流れを後押ししたのかもしれない。

そんな時代に若者が頼ったのが「646」的なシルエットを持つフレアスラックスだった。〈リーバイス〉には「646」のスラックスタイプや、「STA-PREST」といった選択肢もあったが、それ以上に存在感を放った新星がアメリカの〈ファーラー〉である。

強撚糸や甘撚り糸を粗めに織り上げた、軽く通気性に優れたホップサック生地。そしてオレンジタブの“Fマーク”に、「646」を思わせる美しいフレアシルエット。その新鮮さも相まって、当時の若者たちの注目を集めた。

コーディネートはというと、〈ファーラー〉はコットン地のアロハシャツや鹿の子ポロシャツと合わせ、足元は〈クラークス〉のワラビーや、〈トップサイダー〉のレザーデッキシューズが大定番。ほどよいサーファーっぽさと、トラッドっぽさをミックスしていた印象だ。

同じ頃、女性には〈エンゼルスフライト〉のスラックスが大流行。ところが、ツウな男性はあえてネイビーやブラックの“エンフラ”を選んでいたという。〈セイコー〉のダイバーズウォッチにも見られるように、あえてレディースモデルを取り入れる“ボーイズ文化”は、ワスレチック期ならではの面白い価値観だったのかもしれない。


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派手なデザインで差をつけたフレンチジーンズ

ブーム度★★☆ 忘れられ度★★★ 入手難度★★☆

左端の〈UFO〉以外はすべて〈リーバイス〉。できるかぎりポケットをメインにデザイン性を持たせていたのがよくわかる。ほとんどが「ムービンオン」モデル。股上が深く、フロントポケットはだいたいスラックスのようなスラッシュポケット仕様。

1977年『POPEYE』10号より。フレンチジーンズといってもあくまでカタチの略称で、アメリカものもたくさんあった。

いつの時代にも、ひとクセあるファッションアイテムは存在する。ボトムスでいえば、フレンチジーンズはその代表格だったのかもしれない。

77年の『POPEYE』でも“邪道だ、亜流だといわれようとも、やはり気になる”とか、“アメリカ式のジーンズにどっぷり浸ってしまった人たちは、あまり穿きたがらない”などと紹介されている。

フレンチジーンズに明確な定義はない。しかし、筆者が最もイメージしやすい一本を挙げるなら、〈リーバイス〉の「ムービンオン」だ。やや浅めでタイトなヒップラインから、フレアとバギーの中間のように広がる独特のシルエット。スラックスのようにサッと手が入れられるスラッシュポケットも特徴。そして何より、凝ったデザインのバックポケットが印象的だった。

中にはセンタープリーツ入りや、脚長効果を狙ってフロントポケットを省いたモデルも存在する。ワークウェアをルーツとするアメリカンジーンズとはひと味違う、どこかヨーロッパ的なデザイン性を感じさせることから、「フレンチジーンズ」と呼ばれていたようだ。

もっとも、その多くを作っていたのはアメリカのジーンズメーカーというのだから面白い。この時代の資料を数多く見てきた印象では、フレンチジーンズは77〜78年頃に一瞬だけ花開き、やがて姿を消していった。まさに“ワスレ”チックなジーンズだった。

写真提供:鷹取義人さん 1977年「ムービンオン」ジーンズを着用。足元は〈クラークス〉ワラビーだ。

写真提供:日下部耕司さん 1977年、フレンチジーンズを穿いて山下公園でスケートボーディング。


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ディナーも行けるデザイナーズジーンズの襲来

ブーム度★★★ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★

左からフランス発の〈サスーン(珍しいステッチなし)〉、〈サスーン(珍しいステッチ)〉、〈サスーン(定番ステッチ)〉、ニューヨーク発〈カルバンクライン〉、イタリア発〈ボール〉、こちらもニューヨークで1978年にデニム専門店からスタートした〈ジョーダッシュ〉。

1978年『POPEYE』36号より。かなりのブームを巻き起こしたと言われる〈サスーン〉。ポール・ゲーツという人物が生み出しパリでも展開。

1980年『POPEYE』76号より。この〈スタジオ54〉のジーンズは音楽アイテム編に現物が登場しているよ!

1979年『POPEYE』51号より。米・〈ポロ〉や〈フィオルッチ〉を発見。パリで注目を集めたからか、ヨーロピアンジーンズとも言われている。

色落ちしすぎ&裾上げすぎでディナー感を失ってしまっているがこのフランス発〈マッキーン〉も人気だった。日本ではミツインターナショナルがライセンスを取得。1980年3月売りの『POPEYE』で桑名晴子を起用した広告が見られた。

フレアスラックスの項でも触れたように、ディスコブームを追い風に78年以降は不動の地位を築いていたアメリカンジーンズにも少しずつ変化が訪れる。そして、もうひとつの刺客が現れた。

それがデザイナーズジーンズである。メディアや時期によっては、「ディナージーンズ」(もちろん「ディナーの場に穿いて行ってもOKなドレッシー&シックなジーンズ」の意)や「ヨーロピアンジーンズ」とも呼ばれていた。

それまでのワークウェアの延長線上にあったジーンズとは異なり、最初からファッションウェアとして生まれたジーンズ。そんな新しい価値観をまとって、〈サスーン〉や〈ジョーダッシュ〉といった新興ブランドが次々に登場し、さらに〈カルバン・クライン〉や〈バレンティノ〉、〈サンローラン〉といったデザイナーブランドまでジーンズ市場へ参入してきた。

シルエットは細身のストレートが主流。勝負の日は、「646」に合わせていた〈ナイキ〉や〈アディダス〉のジョギングスニーカーではなく、ローファーやウエスタンブーツを合わせて上品にまとめる。スニーカーなら〈トップサイダー〉や〈コンバース〉のような、すっきりとしたデザインが好まれた。

ドレッシーな魅力を生かすため、色落ちさせずに穿くのも鉄則だった。2000年代初頭に〈トゥルーレリジョン〉や〈ディオール〉を中心にデザイナーズジーンズブームが巻き起こったが、その源流はすでにワスレチック期に芽生えていたのである。


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スポーツ由来のショーツをガンガン穿くのです

ブーム度★★★ 忘れられ度★☆☆ 入手難度★★☆

カリフォルニアの老舗メーカー〈キャンバス・バイ・ケイティン〉。名前の通りキャンバス地がメインだが、ナイロン地もある。シングル紐が「コンテンダー」で、編み上げ紐が「アイキャッチャー」。

オーストラリア・ビクトリア発祥の〈クイックシルバー〉。ロゴマークは葛飾北斎の富士山と波をモチーフにしているのだとか……。日本では79年頃からサーファーたちに愛されるようになった。

写真提供:日下部耕司さん 〈キャンバス・バイ・ケイティン〉のボードショーツ。78年、静岡御前崎にて。

写真提供:山水荘・旅館の親父さん 〈クイックシルバー〉のボードショーツ。ハワイにて。

写真提供:中島修一さん(「魂の飛ばし方」著者) 関西時代、筆者が大変お世話になったアーティストの若かりし頃。1980年〈クイックシルバー〉を穿いている。

せっかくアスレチック時代にフォーカスするのだから、スポーツ由来のショーツにも触れておきたい。ボードショーツにジョギングショーツ、テニスショーツ……。ブランドも種類も実に幅広く、「これが流行した」と一言で語るのは難しい。とはいえ、筆者の得意分野であるボードショーツなら少し語れる。

70年代中頃まではハワイの〈ライトニングボルト〉や〈ハンテン〉、カリフォルニアの〈OP〉など、サーフブランドのボードショーツが中心だった。それは76年頃のサーフィン専門誌や『CHECKMATE』を見てもよくわかる。

そんな中で頭角を現したのが、カリフォルニアの〈キャンバス・バイ・ケイティン〉だった。日系カリフォルニアン、サト・ヒューズが手がけるハンドメイドのボードショーツは、その専門性もあって日本のサーファーたちの心をつかんでいく。

1954年創業の老舗ブランドだけに、アメリカでは以前から知られた存在だったが、日本では『POPEYE』とも縁の深いテッド阿出川のショップや、蒲田の「ザ・サーフ」が輸入を始めたことで、70年代中頃から後期にかけて広く知られるようになった。ザ・サーフには初代スケートボード・チャンピオンのアキ秋山が在籍。〈キャンバス・バイ・ケイティン〉を穿いて軽快に滑る姿は、本場カリフォルニアのサーフスケーターそのものだった。どれほど多くの若者の心に刺さったことか。

しかし、新しいものに目がないワスレチックボーイたちは、それだけでは終わらない。80年代へ入ると、今度はオーストラリアの〈クイックシルバー〉へと目を向ける。パンクやニューウェーブの空気をまとった大胆なデザインや、より短丈でスリット入りのシルエットは、それまでのボードショーツとはまったく違う新鮮さがあった。82年のサーフィン映画『ストームライダー』でラビット・バーソロミューが〈クイックシルバー〉のボードショーツを穿いてテニスを楽しむシーンがある。

海で使うボードショーツをスケーターが穿いたり、街を走るためのジョギングショーツでテニスをしたり。競技のために作られたウェアを、競技の枠を超えて自由に着こなす。これほどスポーツ由来のショーツが街にあふれた時代は、ワスレチック期以外にないはずだ。

1977年『POPEYE』6号より。ワスレチック初期はまだ少し丈長。ここから〈クイックシルバー〉なども登場しさらに丈が短くなってくる

1979年『SURF MAGAZINE』8月号より。ジョギングパンツのようなスリット入りの短丈ボードショーツが台頭!その中枢に〈クイックシルバー〉があった。ちなみに当ブランドのスリットはチーターレッグと呼ばれていた。

上段左から〈ライトニングボルト〉、〈バードウェル〉、〈ホビー〉。下段左から〈サンブレーカー〉、〈ビラボン〉、〈パイピングホット〉。下段は82~83年頃のもの。

上3つが〈ハンテン〉、下3つが〈オーシャンパシフィック〉。右下の”OP”以外は70年代中期頃の人気ボードショーツである。

左上から〈アディダス〉、〈ホライゾンウエスト〉、〈ディックブリューワー〉、〈カリフォルニア・エクスプレッション〉、〈ライトニングボルト〉。スポーツ&サーフブランドに限らず、〈ポパイ〉や〈ホットドッグプレス〉のものなどいろいろあった。


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頼りになるヘビーデューティーなショーツ

ブーム度★★☆ 忘れられ度★★☆ 入手難度★★☆

上_「501」Big Eカットオフ。70年代後期にBig Eや、XXを気にしている若者は皆無に等しく、今ではお宝な個体が数多く切られたに違いない。
左下_軍物のブッシュショーツ。〈ガンホー〉や〈リーバイス〉なども人気だった。
右下_〈パタゴニア〉の「スタンドアップショーツ」。80年代初頭の「ソニープラザ」ライセンスもの。

1977年『POPEYE』10号より。カットオフのやり方が細かく記載されている。

1977年『POPEYE』8号より。当時はまだ「スタンドアップ」の名がなく〈パタゴニア〉クライミングショーツだった。

サーフィンにスケートボード、フライングディスク。西海岸で流行したスポーツには、質実剛健なショーツがよく似合った。外で遊ぶことが何より楽しかった若者たちにとって、安くて丈夫なことは大きな魅力だったのだろう。

代表的なのはカットオフジーンズに、厚手のダック地を使ったクライミングショーツ、そしてワーク由来のブッシュショーツ。こうした無骨なショーツは、70年代中頃に『MEN’S CLUB』とイラストレーター・小林泰彦さんが提唱した「ヘビーデューティー」スタイルとも重なる。

一方で、他でも述べているように70年代後半になると若者のファッションは少しずつキレイめへと傾いていく。では、こうしたヘビーデューティーなショーツも姿を消してしまったのだろうか。

答えはノーだ。

1981年にはアウトドア誌『BE-PAL』が創刊。西海岸ブームの流れを受けてアウトドアやキャンプ人気が高まると、ヘビーデューティーなアイテムはむしろ新たな支持を集めていく。

その頃の『BE-PAL』には、「THE OUTDOOR LIFE」を掲げたソニープラザの〈エル・エル・ビーン〉広告が掲載されている。そして、ここで紹介した筆者所有の〈パタゴニア〉「スタンドアップショーツ」にも、「ソニープラザ」の内タグが付く。輸入雑貨店の代表格だったソニープラザが力を入れて展開していたことからも、その期待の大きさがうかがえる。

流行とともに消えていったボトムスもあれば、時代を超えて定番になったものもある。ヘビーデューティーなショーツは、まさに後者だった。ワスレチック期が残した、数少ないロングセラーのひとつなのである。


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カラー、モンキー、ペダルパンツも忘れずに……

ブーム度★★☆ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★

左から、〈スミス〉のペインターパンツ、〈サスーン〉のカラーパンツ、〈クローズド〉のペダルプッシャーパンツ、〈ディトス〉のモンキーパンツ。

写真提供:中畑さん 中心でグリーンのボトムスを着用する中畑さんの周りも色とりどり! ムーブメントが一目で伝わってくる。

写真提供:佐光 剛さん(DJ IWASHI) 神戸のレジェンダリーDJの若かりし頃。デニムタイプの〈クローズド〉ペダルプッシャーパンツにジャケットを着用。

フレアジーンズに、サマーコーデュロイ、デザイナーズジーンズ、フレンチジーンズ。さらにショーツまで含めれば、ワスレチック期のボトムスは実に多彩だった。しかし、まだ紹介しておきたい存在がある。

長い間、正体がわからなかったのが「モンキーパンツ」だ。筆者の友人の父親が所有していたコーデュロイパンツは、独特なステッチワークが施され、しかも後ろポケットがない。それを「モンキーパンツ」と呼んでいたのだが、どれだけ資料を探しても見つからず、長いこと珍品だと思っていた。

ところが先日、「当時モンキーパンツを穿いていた」という別の元ワスレチックボーイに出会い、それが当時わずかながら流行していたボトムスだったことを知ることができた。「セプティズ」の玉木朗さんいわく、「モンキーヒップ」とも呼ばれていたようで、メーカーは筆者所有の〈ディトス〉ほか、〈リー〉の「インスブルック」も一部で穿かれていたらしい。

カラーパンツも忘れてはいけない。デザイナーズジーンズの代表格〈サスーン〉からも展開され、大阪・アメリカ村ではよく見かけたと聞く。実際、筆者も当時の着用写真を見せてもらったことがある。また、〈スミス〉のペインターパンツなども80年頃の『POPEYE』で確認できる。

そして締めくくりにふさわしいのが、フランス人のマリテ・バシェレリーとフランソワ・ジルボーが立ち上げたイタリア製デニムレーベル〈クローズド〉のペダルプッシャーだ。自転車に乗る際に裾が邪魔にならないよう考えられたテーパードシルエットと、特徴的なスラッシュポケット。1982年後半からじわじわと姿を現し、83年には大流行した。「646」的なフレアから、デザイナーズジーンズのストレート、そして〈クローズド〉のテーパードへ。ここで西海岸スタイルは、ひとつの区切りを迎える。

短丈でカラフルなボードショーツ、デザインを競うフレンチジーンズ、モンキーパンツ、カラーパンツ、そしてペダルプッシャー。ここまで読んできて、勘のいい人なら気づいたかもしれない。当時の若者には、今ほど「これは着るべきではない」といった先入観がなかった。

情報があふれる現代では、流行や評価が先に耳へ入ってくる。だが、ワスレチックボーイたちは、まるで真っさらなスポンジのように、新しいものを面白がって受け入れていた。その柔軟さこそ、彼らのファッションの最大の魅力だったのだと僕は思っている。

1980年『POPEYE』76号より。〈スミス〉のペインターパンツはホワイトにオレンジステッチのものもクールだった。

Profile

ザ・ワスレチックボーイ/第5回 あの頃がフレアだけと思っていたら大間違いだ。

トロピカル松村

とろぴかる・まつむら|1988年、兵庫県生まれ。編集ライター。サーフィン専門誌の編集者を経てフリーランスに。サーフィンを始めたときから約20年間、当時のサーフボードで波に乗り続けている。昭和の西海岸ブーム(ワスレチック)期にフォーカスした私設ミュージアム「さんかくなみ」を二子新地で営んでいたが、2025年7月に閉館。ジーンズ&スポーツを掲げるブランド〈CRT〉のディレクターでもあり、著書に『ボクのニッポンサーフィンサウンド』がある。筆者が着用しているショーツは、〈キャンバス・バイ・ケイティン〉のコーデュロイもの。

CRT
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