1976-1983 昭和アスレチックブーム期の忘れ去られたファッションを発掘! ――トロピカル松村
ザ・ワスレチックボーイ/第1回 お気に入りショップはアピールしてなんぼ!
text: Toromatsu
edit: Kosuke Ide
photo: Yuki Sonoyama
logo: Katsuyoshi Mawatari
cooperation: Sasuke Takeshi
2025年12月30日
「ワスレチック」とは何か? それは本誌『POPEYE』創刊(1976年)からDCブランドブーム到来(1983年)ごろまでの昭和後期に日本の若者たちを魅了した、アメリカ西海岸発のスポーツ/アスレチック文化に強力に影響を受けたファッションスタイルを指す、「POPEYE Web」チームの雑談から生まれた造語。あれから半世紀……今ではすっかり“ワスレ”去られてしまった、昭“和”のユースカルチャー、「ワスレチック」スタイルの全貌を、この道歩いて20年のライター・トロピカル松村が語り尽くすシリーズ連載。
写真提供:Chu Katsumoto 1977年の神戸〈ピアスポーツ〉前にて。 スケートボードメーカー〈ローガンアーススキー〉のTシャツを着る塚本さん(左)と、スケートトラックメーカー〈トラッカー〉のTシャツを着るヒロさん(右)が超クール。
写真提供:Chu Katsumoto 神戸〈ピアスポーツ〉。昭和50年代に入り、アメリカンカルチャーから影響を受けたショップが続々誕生。サーフショップはその最たるもの。ブティックや古着屋などもこの頃から増え、今日にいたる“日本=ファッション大国”の礎が築かれた。
[1]
湘南サーフショップもので“こっちの西海岸”を気取るのだ
ブーム度★★★ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★
左上から順に
・ロペス(おかっぱ)ヘアのトッププロ、善家誠さんも在籍した鵠沼〈モス〉。お馴染みの〈HI-CRU by STEDMAN〉ボディで、胸ポケ上プリント。これぞワスレチックアイテムの本命馬だ。
・東京・目白から鵠沼へと拠点を写したカリスマサーファー大野薫さんが率いた〈ベティーズ〉。首元が大きく開いたボディは82、83年頃から普及し、ペダルプッシャーなどテーパードしたパンツとの相性が良かった。
・〈VAN〉のモデルも務めた激渋サーファー坂本昇さんの辻堂〈パイプライン〉。こちらも〈HI-CRU by STEDMAN〉ボディで、胸ポケ上プリント。カリフォルニアの〈DYNO〉というサーフブランドののれんわけで超硬派。
・〈パイプライン〉のオリジナルウェットスーツブランド〈セッションセッション〉も忘れずに。〈Hanes〉ボディのリンガーT。
・ハワイの名レーベル〈ライトニングボルト〉かと思いきや辻堂〈マーボー〉のライセンスものというのがポイント高し。またしても〈HI-CRU by STEDMAN〉ボディだが、いわゆる一般的な胸ポケプリントである。
・こちらも硬派なサーファーが集った鎌倉レーベル〈ドロップアウト〉。後期ロゴで、前期のロゴは一直性にDROP-OUTと書かれている。
1977年『POPEYE』7号の企画『湘南カウンティー』にはこんな一文が。
「湘南カウンティーには、現在20に近いサーフボードメーカーがある。そしてそのほとんどのメーカーがショップ(リテイルストア)をもっていて、ボード以外にもオリジナルのおもしろいものや西海岸からの輸入品などを扱っているので、そうした店もまた20近くあることになる――」
1977年「POPEYE」 7号『湘南カウンティー』
サーフボードメーカー&ショップが急増した70年代後半。80年代初頭にはその数は低く見積もっても倍以上になり、湘南は本場アメリカ西海岸に負けず劣らずのサーフタウンイメージを確立した。誌面に記載されていた“サーフボード以外のオリジナル”というのが具体的にどんなものだったのかというと、やはりロゴもののプリントTシャツ一本かぶりで、冬はトレーナー(スウェット)が主軸となる。茅ヶ崎〈ゴッデス〉に、辻堂〈パイプライン〉、鵠沼の〈モス〉に、鎌倉の〈ドロップアウト〉などなど、多くのサーフショップが作り、売りに売った。
西海岸志向の強かったあの頃は、「カリフォルニアのサーフブランドを着る」ということこそ最も手っ取り早く威張れる手法だったわけだが、当時の雑誌を読むと、湘南サーフブランドのロゴものを堂々と着る日本の若者のなんと多いこと。SNSの普及により国ごとのファッション性みたいなのが失われつつある現代とは違い、かつての日本人は“我が国で生まれたものを着る”ことに、インポートものを着るのと同じくらいステイタスを持っていたように思える。
当時はそんなプライドを背中で語るのが粋だったのか、もしくはただカリフォルニアメーカーの真似にすぎなかったのか、とにかく各店がリリースしていた自社ロゴ入りのTシャツやスウェットはほとんどがバックプリントだったことも特筆しておきたい。ボディは特に〈HI-CRU by STEDMAN〉が人気で、だいたい細身&長丈。胸ポケット付きなのがクールで、バックプリントのロゴに加えて、胸ポケットに小さくロゴを配しているのがよく見られた。
合わせるボトムスは、フレアジーンズやカラーコーデュロイといったところ。後期ならディナージーンズなんかも取り入れられた。短丈のボードショーツやコーデュロイショーツも忘れてはいけない。足元はボルトマーク入りのビーチコマーや、〈アディダス〉のバックスキンがお約束(その辺りも後に登場するのでお楽しみに)。
左上から順に
・鎌倉〈D&S〉。東京の輸入会社〈東京ダート商会〉がルーツで、サーフビジネスにいち早く着目。キャラクターのサーフボーイは米・サーフィンマガジンの模写。
・サーフィン界のパイオニアでサーフグッズの発明王・鈴木正さんの茅ヶ崎〈ゴッデス〉。一番世に知られるロゴで、他にもいろいろある。
・薄いキャンバス地とクラシックロゴから70年代中期のものと思われる〈ゴッデス〉のジャケット。
・辻堂〈ポイサン〉、WAVE NEWSという外看板でその日の波情報を発信していた。
・TV番組「オールナイトフジ」のMCも務めたレジェンド、ドジ井坂さんの茅ヶ崎〈コスミック〉。袖プリントもこの頃から見られるようになった。
・Tシャツでも登場した鵠沼〈モス〉、珍しくバックプリント無し。
ポケ付きなら〈HI CRU by STEDMAN〉、シンプルTシャツなら〈HANES Beefy-T〉あたりが大定番ボディだった。
1981年「講談社スポーツシリーズ サーフィン」。〈ゴッデス〉Tシャツに〈サスーン〉のジーンズを合わせるスケーター。トップ画像で〈ゴッデス〉ショップ前に佇む筆者は、足先までほぼこの写真のまんま。足元が〈アシックスタイガー〉なのも良き。
[2]
「打倒湘南」で着る、東京や地方のショップもの
ブーム度★★★ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★
湘南以外で手に入るものを着た人たちもたくさんいた。だって海は広し。サーフスポットは湘南だけに限らないし、千葉でいうと神田から拠点を移した太東に〈テッド〉があり、一宮には〈CHP〉があった。静岡なら静波の〈ジャック〉、富士川の〈ポセイドン〉のような地方のローカルサーフスポットをホームとするショップが、各地方に存在したのだ。そしてその店のオリジナルを着るという行為は、カッコイイということに加えて、「自分はその辺りのサーフスポットの馴染みだよ」というアピールにも一役を担っていた。
1979年「サーフマガジン」No.2 Vol.5 大阪〈オーシャンファーイースト〉に、神田〈ハイストン〉
1978年「サーフマガジン」No.4 蒲田〈ノースショア〉、赤坂〈トロピカル〉、市川〈サージオン〉に、渋谷〈ストーミー〉
海近くだけじゃない。東京や横浜、大阪や神戸といったサーフスポットに程遠い街にもショップがどんどん誕生した。東京なら蒲田〈ザ・サーフ〉に青山〈すいへいせん〉、神田〈ハイストン〉に〈ミナミスポーツ〉、渋谷〈サーフ&スポーツ〉などなど。大阪には今も健在の〈スポーツタカハシ〉があって、ホビーショップ〈キディランド〉でもかつてはサーフものが買えたようだし、花クジラがトレードマークの大阪・アメリカ村〈ラハイナ〉のアイテムは東のサーファーも着るほど人気を博したという。
これら街のサーフショップオリジナルを着るというのは、湘南やローカルサーフスポットのショップオリジナルを着るのとは若干マインドが違っていたはず。少なからず“シティサーファーとしてのプライド”もあったのではないかと思える(実際筆者も万年ビジターのシティ派だからよくわかる)。とにもかくにも、これら湘南以外のショップの台頭によって、サーファーのスタイルはサーフファッションとして発展していったといっても過言ではないだろうか。
左上から順に
・神戸・芦屋のサーフショップ〈サマーブリーズ〉のスウェット。 “サーフファミリーショップ”というコピーが実に良い。
・〈ハイストン〉のTシャツ。リバーシブル仕様と、フロントに散りばめられた各種スポーツの文字が超ワスレチック。
・〈ハイストン〉が1983年に主催したサーフコンテストのジャンパー。当時のサーフブランドのロゴがたくさんプリントされていて素晴らしい。
・静岡のサーフレーベル〈ポセイドン〉のTシャツ。静岡ではこれを着ていれば硬派サーファーだった。ポケ付きバックプリント。
・今も輝かしいファッションビル〈OIOI〉もかつてはかなりサーフィンをプッシュしていた。〈OIOI〉が主催していたコンテストのキャップ。82、3年頃のもの。
・東京・蒲田の名店〈ザ・サーフ〉のスウェット。ここにはカリフォルニアの輸入品がたんまりあった。
・千葉〈テッド〉の1983年コンテストTシャツ。
・同じく〈テッド〉のポケT。主宰のテッド阿出川氏は「POPEYE」との関わりも濃いかった日本サーフィンのパイオニアの一人。
・大阪・アメリカ村〈ラハイナ〉のショッパーもおまけで紹介。
[3]
結局、みんなインポートサーフブランドに首ったけ
ブーム度★★★ 忘れられ度★★☆ 入手難度★★☆
1981年「サーフィンライフ」Vol.2 No.5 本店の自由が丘に若者がこぞった。
1982年「サーフィンライフ」1月号 渋谷、池袋、吉祥寺の西武百貨店にもあった。
1981年「サーフィンクラシック」Vol.2 No.6 〈ホットバタード〉を着るユースたち。
1981年「サーフィンクラシック」Vol.2 No.4 AUSのサーファーがカッコよかった。
なんだかんだサーフィンの勢力はどう転んでも海外が強かった。カリフォルニアは〈ハンテン〉、ハワイは〈ライトニングボルト〉、オーストラリアには〈クイックシルバー〉がある。もちろん色々なショップがそれらを輸入して取り扱っていたが、日本では70年代後半になるとそれらのフラッグシップショップがオープンし始めた。ハワイ〈タウン&カントリー〉なんかはその代表格。通称“タウカン”は1971年にグレイグ・スギハラによって生まれたハワイのサーフブランドであるが、ワスレチック時代の若者には自由が丘の旗手店が真っ先に浮かぶ。アメリカンスタイルの店が生まれるだけでワクワクしたであろう70年代後期に、海の向こうの、いわば“本物”のブランドショップが上陸したとなれば、多くが頼るのも当然だ。また同じ頃に、鎌倉七里ガ浜に〈ホットバタード〉というオーストラリアのレーベルも上陸し、異彩を放っていたと聞く。インポートブランドの旗艦店なんて今では何の驚きも感じないが、そんなムーブメントも多くはこのワスレチック期から始まったのだ。
陰&陽のロゴで知られる、今も見かけることのできる〈タウン&カントリー〉だけど、当時のものはオーラが違う。ラリー・バートルマンに、グレン・ミナミ、デニス・パングに、デーン・ケアロハなど、名うてのサーファーが勢ぞろいでシグネチャーものに大層憧れた。
[4]
兵庫・西宮の〈ピアスポーツ〉でしかお目にかかれなかったもの
ブーム度★★☆ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★
セレクトショップ自体がまだ少なかった当時、アメリカのアイテム(それも人気の西海岸もの)がいち早く輸入されていたサーフショップ。その中でも“サーファーの敏感なセレクト”がどこよりも強く感じられた店が存在した。
その店の名前は、兵庫県西宮市にあった〈ピアスポーツ〉。高感度なカリフォルニアのサーフ&スケートアイテムがずらりとラインナップされていて、ここで扱うブランドのものを着ていれば、関西圏ではこの店に出入りしているイケてるやつだと一目で理解してもらえるほどだった。その証拠に『POPEYE』6号で紹介されており、「関東のサーフショップではめったに見かけないものばかり」と記されている。
1977年「POPEYE」6号『POPEYE FORUM』内の神戸特集で初登場。
関西方面に行ったら絶対に寄って損はないショップ、と太鼓判。
1977年「POPEYE」7号に登場する〈ピアスポーツ〉のスケーター。〈ゼファー〉のTシャツを着ている。
オーナーが芦屋の御曹司でカリフォルニア・ハンティントンに別宅を持っていたらしく、地元のホットな連中と交流があったため、いち早くベニス近郊の文化を日本に持ち込むことができていたようだ。例えば〈ゼファー〉のサーフボードやアイテム。のちに映画『ドッグタウン&Zボーイズ』や、『ロード・オブ・ドッグタウン』などで脚光を浴びたレーベルだが、当時は75年の雑誌『メイドインUSAカタログ』で初めてお目にかかれたくらいの、日本ではかなりマイナーな存在だった。他に取り扱っていた〈キャスター〉や〈ウェイン・ブラウン〉、〈サンセット〉、〈チャレンジャー〉なども海外のサーフ&スケート誌では目にすることができるが、日本の雑誌ではそうそう拝めない代物たち。皆が同じようなグラスファイバーのサーフボードを求めたあの時代に〈モーリードイル〉のスポンジボードを取り扱っているのにも脱帽する。スケートボード、バックパッキングなどの品ぞろえも最先端で、スポーツショップとしても独自のスタイルを提案していた。
他の店で言うと〈キャンバス・バイ・ケイティン〉のボードショーツは東京の〈ザ・サーフ〉で買えたとか、まあ色々な“この店ならではの話”を聞くが、何せサーフショップのセレクトアイテムで気取るというのもまた、あの頃の忘れてはいけないワスレチックスタイルなのである。
左上から順に
・〈ピアスポーツ〉のTシャツ。これぞ地方サーフショップものの真髄ともいえる一着。
・〈サンセットサーフボード〉のTシャツ。ヘインズの黒タグボディでポケ付き。
・昔から変わらない〈ゼファー〉のTシャツ。オリジナルのダウンベストなども存在した。
・〈キャスター〉のスケートTee。サーフボードも超プレミアで〈ゼファー〉以上に入手難。
・〈ケルティ〉の当時物。今では馴染みの〈ウィルダネス・エクスペリエンス〉なども扱われていた。
・〈ローガンアーススキー〉のTシャツ。トニー・アルバも在籍したスケートボードレーベルだ。
[5]
あいつもあの娘も、東京トラッドショップのロゴもの
ブーム度★★★ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★
原宿〈クルーズ〉、〈シーズ〉、〈ビームス〉、〈バークレイ〉、青山〈ボートハウス〉。ワスレチック時代はサーフショップのみならず、アメリカンテイストのブランド兼ブティックがどんどん増えていった頃でもある。〈ハリウッドランチマーケット〉に〈ミウラ&サンズ〉、〈るーふ〉といった、忘れてはいけない名店が他にもたくさんあるが、前述の店は特にトラッド系として人気を博した。アイテムはシャツやブレザーなど色々あったけど、中でもショップロゴ入りのオリジナルトレーナー(スウェット)が大流行。ぶっちゃけ79~81年頃はロゴものだけで店の売上が成り立つくらい売れに売れたのではないだろうか。
1982年「POPEYE」123号東京特集。〈バークレイ〉に〈ボートハウス〉。自由が丘〈ナックス〉などもあり東京ブティックの勢いを感じる。
1979年「POPEYE」52号を開くと原宿〈クルーズ〉のスウェットを着ている女性を発見。
アイビー/トラッドというと60年代のイメージが強いが、70年代後期にも私立高校&大学生たちによってその名残は続いた。新時代のトラッド、つまりは「ニュートラディショナル(ニュートラ)」的な立ち位置でこの手の店が若者の支持を獲得。カジュアルながらも上品に着用するスタイルが主流で、男性は〈ファーラー〉のホップサックパンツや〈リーバイス〉のニットパンツ、バミューダショーツなんかと合わせ(足元はデッキシューズで)、女性はチェックのスカートあたりでキメていた。インナーにポロシャツを着て、襟を出すスキッパースタイルもワスレチック。
左上/竹下通りと明治通りの交差点付近にあった原宿〈クルーズ〉。赤や水色もあった。
右下/1979年に渋谷・青山学院近くにオープンした〈ボートハウス〉。正ちゃん帽もヒットした。
左下/原宿〈ビームス〉の1980年頃のもの。タグと同じ、枠付きロゴのプリントもあったようだ。
右下/原宿・同潤会アパートの近くにあった〈シーズ〉の巾着。過去にスウェットも見つけたが高値で断念した。
〈クルーズ〉と〈ビームス〉のボディには似たサイズタグが付いている。この頃人気のボディだったのだろう。生地が厚めだが、裏起毛がないのでさらっと着られる。袖リブが長めだ。
写真提供:鷹取義人さん(左)1979年 サックスブルーの〈クルーズ〉のトレーナーで、ボトムスは〈リーバイス〉のニットパンツ。右に写るお兄様の〈ファーラー〉ホップサックパンツと〈グッチ〉のベルトも良い感じ。
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地方ドラッドもので、地元一番のアイビーボーイを目指す
ブーム度★★★ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★
神戸〈MAC〉のオリジナルアイテムたち。現代表が「〈VAN〉とのダブルネームは東京の〈三峰〉なんかも同じ類で出していた」と教えてくれた。店舗の資料や写真がほとんど残っていないのは、地震の影響もあるけど、当時売れに売れて、店の内装を2年に一度くらい改装していたかららしい。
サーフショップもののブームが湘南だけじゃなかったように、トラッドショップものだって東京だけがすべてじゃなかった。筆者の地元・神戸でいうと〈ボビーズ〉や〈ウェイアウト〉。マリントラッド派の東が〈ボートハウス〉なら西は〈ボビーズ〉なんて言われていた。〈ウェイアウト〉はファッション界の重鎮、赤峰幸生さんが自由が丘で立ち上げたブランドで、1号店が80年に神戸・三宮に誕生(この頃、プロ野球巨人軍に入団した原辰徳さんが着て話題を呼んだ)。
神戸では〈MAC〉というショップも大好評。ここは日本最古のメンズファッションブランド〈VAN〉と提携していただけに、多くの学生が集まったと聞く。78年の〈VAN〉倒産以降も、オリジナルブランドや〈ラルフローレン〉〈Jプレス〉などを扱うセレクトショップとしてアイビー派に支持された。あとは大阪・アメリカ村に〈スタジオラップ〉という店があったという情報も当時の大阪発のタウン誌『BOOP』で得た。きっと他の街にも、ニュートラ派に愛用されていたブティックがまだまだあったのだと思う。
1980年「BOOP」4月号
Profile
トロピカル松村
とろぴかる・まつむら|1988年、兵庫県生まれ。編集ライター。サーフィン専門誌の編集者を経てフリーランスに。サーフィンを始めたときから約20年間、当時のサーフボードで波に乗り続けている。昭和の西海岸ブーム(ワスレチック)期にフォーカスした私設ミュージアム『さんかくなみ』を二子新地で営んでいたが、2025年7月に閉館。ジーンズ&スポーツを掲げるブランド『CRT』のディレクターでもあり、著書に『ボクのニッポンサーフィンサウンド』がある。ちなみに筆者が着ているTシャツは当時吉祥寺にあったフリスビーショップ〈Air Ace〉のショップもの!
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