1976-1983 昭和アスレチックブーム期の忘れ去られたファッションを発掘! ――トロピカル松村
ザ・ワスレチックボーイ/第3回 ユニフォームが君のファッションライフを強くする
logo design: Katsuyoshi Mawatari
photo: Kanta Torihata
text: Toromatsu
edit: Kosuke Ide
cooperation: Sasuke Takeshi
2026年4月16日
「ワスレチック」とは何か? それは本誌『POPEYE』創刊(1976年)からDCブランドブーム到来(1983年)ごろまでの昭和後期に日本の若者たちを魅了した、アメリカ西海岸発のスポーツ/アスレチック文化に強力に影響を受けたファッションスタイルを指す、『POPEYE Web』チームの雑談から生まれた造語。あれから半世紀……今ではすっかり“ワスレ”去られてしまった、昭“和”のユースカルチャー、「ワスレチック」スタイルの全貌を、この道歩いて20年のライター・トロピカル松村が語り尽くすシリーズ連載。
アイテムの選考基準は、70年代後半~80年代前半のユースファッションであること、そして昭和のアスレチックボーイに愛されていたこと。その2つをクリアしたものなら、なんでもワスレチックアイテムに認定だ!
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「競技ウェアを街で着る」、それこそが“ガチ”の証だ
ブーム度★★★ 忘れられ度★★☆ 入手難度★★☆
左上_〈G&S(ゴードン&スミス)〉のスケートボードウェア。
右上_〈ホビー〉のスケートボードウェア。
左下_〈マカハ〉のスケートボードウェア。〈スタンダードカリフォルニア〉阿久戸さんからの頂き物。
右下_〈シムス〉のスケートボードウェア。
デザインの効いた伸縮性のあるテニスポロに、スケートボードやモトクロス用の肘当て付きメッシュジャージ、ベースボールジャンパーやサーファーのためのボードショーツだってそう。ワスレチック期はそれらの“競技服を街でファッションとして着る”という動きが大きく加速した時代だった。もちろんアスレチックウェアそのものの起源はずっと以前に遡る。しかし、現代のスポーツウェアに見られる、ファッション性も兼ね備えた2WAY仕様の礎は、間違いなく昭和50年代に築かれたと断言したい。
競技ウェアが街使いされた最たる要因は、若者たちが「自分はヒップなスポーツを嗜んでいるんだ」と主張したかったことにあると思う。サーファーやスケートボーダーのイラストがプリントされたTシャツなんかでも充分だったけど、自分はもっと“ガチ”である、ということを世に知らしめるために、競技服はうってつけのアイテムだったのだ(そもそもアメリカンスポーツを嗜んでいるというだけで自慢になるという時代性が面白い)。
ワスレチック期の映画ではないが、2005年に上映されたスケートボードムービー『ロード・オブ・ドッグタウン』を観ておいて損はない。1975年頃からのカリフォルニアスケートカルチャーが克明に描かれていて、劇中のコンテストシーンではスケートボードブランドのメッシュジャージを着た選手たちの誇り高さが上手く表現されているから。
1977年『POPEYE』6号より。茅ヶ崎「サーフバム」の藤沢ジョージさんが〈べイン〉のスケートボードウェアを着ている。
1978年、西岡昌典(デビル)さんの著書『スケートボード入門』のカバーには、〈シムス〉のスケートボードウェアを着る氏の姿が。
左上_〈フィラ〉のビヨン・ボルグモデル。ワスレチック時代はやはりボルグorマッケンローだ。
中上_〈エレッセ〉のジャージ。どれもカラーデザインが秀逸。街で着たくなるわけです。
右上_〈セルジオ・タッキーニ〉のニット。プレイヤーブランドでいうと〈アーサー・アッシュ〉がさらにツウ。
左下_〈フィラ〉のポロ。米・テニスボーイはTシャツにカットオフジーンズでキメていたりもしたがやはりこちらが王道。
中下_〈フィラ〉のポロ。伸縮性のあるコットン地と、小さいスナップボタンが特徴。
右下_〈エレッセ〉のポロ。〈ラコステ〉や〈マルボロ〉あたりのブランドは鹿の子ポロのカテゴリで後に登場します。
ウェットスーツとウィンドブレーカーを組み合わせた〈オニール〉の変わり種。実用ではウィンドサーファーが好んだとか。
写真提供:テッド阿出川さん ジーンズと合わせてカジュアル使いするサーファー(チームオニール)の姿が。
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憧れの職場だから、仕事着だってとっておき
ブーム度★★☆ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★
左_1976年からアメ横の名店「る~ふ」で勤めた玉木さんから託されたスタッフTシャツ。〈HI-CRU〉のポケ付きボディ。
右_青山の人気アイスクリーム店「スウェンセンズ」に務めていた筆者の先輩が着ていた制服。ボトムスは黒の〈ファーラー〉で。
インポートウェアの名店、三軒茶屋「セプティズ」の玉木さんは、1974年に京都から大学進学のために上京。地元でもファッション番長だっただけに、なんとしてでもアメ横の「ミウラ」か「る~ふ」(いずれもアメリカンカジュアルウェアの先駆的インポートショップ)で働きたかったそうで、1976年の暮れに「君、明日からる~ふな!」と社長に言ってもらえたときは本当に嬉しかったと筆者に話してくれた。
Vol.1の「ショップ編」でも書いたが、ブティックに限らず、アメリカンテイストの新しい店が続々と誕生したワスレチック時代。サーフショップやカフェバーなど、すべてが“ヒップ”なわけだから、当時の若者なら誰しも「こんなところで働きたい」と思う店がひとつやふたつはあったんじゃないだろうか。多様な働き方がある現代とは違い、玉木さんのように「その店に立つ」ということを誇らしく思う若者がたくさんいたことは間違いないと思う。
資料提供:「セプティズ」玉木朗さん 貴重な「る~ふ」の名刺や店内写真。どこをとってもカッコいい。
資料提供:杉山登さん 「スウェンセンズ」には芸能人もよく来店したそう。1981年『POPEYE』117号より。
加えて伝えたいのが、「従業員用のウェアでさえ誇らしかった」という当時の若者のファッションである。前述の玉木さんは「る~ふ」のTシャツを、筆者のサーフィンの先輩は若かりし頃に「スウェンセンズ」という南青山のアイスクリーム屋でアルバイトをしていたときの制服を、僕に譲ってくれるまで長年残していたのが良い証拠だ。
極めつけは、筆者の別の先輩が譲ってくれたトレーナーにある。当時、鎌倉のサーフショップ「イージー」で店番をしていたその先輩は、店のシルクスクリーンを勝手に使い、自分が愛用するトレーナーの袖に「イージー」のロゴをプリントしたのだそう。務め先にそこまで愛情を持っている若者が今の時代にどれだけいるかわからないが、ワスレチック時代には相当数いたのではないだろうか。
鎌倉のサーフショップ「イージー」で店番をしていた筆者の先輩が、無断で自分のトレーナーに店のロゴをシルクスクリーンした名付けて”勝手にユニフォーム”。スイムフィンメーカー〈チャーチル〉のトレーナーなのも良い。
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スポーツチームはオリジナルウェアありきです
ブーム度★★☆ 忘れられ度★★☆ 入手難度★★★
左から順に
・「代々木フリスビーファミリー」のジャージ。〈チャンピオン〉製。
・1980年に作られた大阪のインディサーフチーム「OSSCA」。詳細求む。
・日本サーフィン連盟「J.S.O」のワッペン。
・1981年の大阪インディサーフチーム「フォーエバー」。こちらも詳細求む。
またまた映画『ロード・オブ・ドッグタウン』にまつわる話で恐縮だが、シェイパーのジェフ・ホー率いるカリフォルニア・サンタモニカにあったサーフショップ「ゼファー」が、かつて伝説のスケートボードチーム「Z-BOYS」を作ったのは有名な話。劇中でも描かれている通り、チームライダーらに配られたチームTシャツは、言わずもがな彼らの“一張羅”となった。
スポーツチームがウェアを作るという文化は日本にも古くからあった。サーフチームでいうと、「鵠沼シャークス」や「茅ヶ崎バーバリアンズ」など、60年代からチームウェアを着用している面々の写真が残されている。しかし、バリエーションがどうしても少なく、いいとこスウィングトップにワッペンを施す程度。ファッション的にはまだ発達していなかった(そもそも洋装文化が育っていないから仕方がないのだが)
その点、ワスレチック期に突入してからのチームウェアは多種多様。筆者が所有する当時のものを見ると、代々木公園を拠点にした日本最古のフリスビーチーム「代々木フリスビーファミリー」は緑の〈チャンピオン〉のジャージを用いているし、インディーな地方のサーフチームでさえ赤のMA-1に刺繍を施している。
何にせよ、スポーツチームに入りオリジナルウェアを手に入れたり、自分たちでスポーツチームを作りウェアを自作したりして、当時の若者たちはこれまた本格派の称号を纏う気分を味わったというわけだ。
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ステューデンツの青春は”お揃い服”に宿る
ブーム度★★★ 忘れられ度★★☆ 入手難度★★★
「イエール」に「ハーバード」などアイビーリーグの流れを受け、60年代以降、日本の大学でもカレッジもののグッズを作るムーブメントは少なからずあった。しかし76年『POPEYE』創刊号により存在があらわになった「UCLA(カリフォルニア大学)」の影響は絶大で、キャンバスファッションに第二の波がやってきたのだ。
80年代に向かうにつれ、その第二の波はさらに大きくなっていく。前述したスポーツチームウェアのブームとも相まって、さらなる進化を遂げたのだ。それが、クラブ・同好会の連中たちのためのユニフォーム、つまりは“お揃い服”だった。
筆者の所有する「青山学院大学」ユースホステル部のTシャツのイラストは、初期『POPEYE』を支えたイラストレーター本森隆史さんによるもの。同じカラーリングのスタジアムジャンパーに”○○大学テニスクラブ”といったワッペンを施すのもお決まり。〈アンクルボブ〉社など、お揃い服を作るメーカーが続々登場したりもして、恩恵を受けた企業も少なくない。
そんなお揃い服の人気を象徴するのが80年頃の『POPEYE』にたびたび出稿されている〈ボンカレー〉の広告。「関西学院大学」ケン玉愛好会や、「立教大学」易学研究会など、さまざまな大学のクラブ・同好会に着目するこの企画では、かなりの確率でお揃い服を着用している学生たちを目にすることができる。
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大会関係者のウェアを持てたら一人前!?
ブーム度★★☆ 忘れられ度★★★ 入手難度★★★
左上_サーフィンコンテスト『スタビーズ』の運営者Tシャツ。
右上_〈アイパサーフボード〉のシェイパーだった手塚プロの私物トレーナー。
左下_アキ秋山さんがカリフォルニアの大会『360オアシス』に出場した際のポロ。
右下_サーフィンコンテスト『デュークカハナモクサーフィンクラシック』のスタッフポロ。
本格派を主張できるユニフォームの究極形ともいえるのが、コンテストものだ。筆者が所有する〈360〉というスケートボードメーカーのポロシャツは、なんと初代プロスケートボーダーのアキ秋山さんがカリフォルニアの大会に出場した際に配られた逸品。とあるイベントでお会いした際に本人から譲っていただいたもので、このとき真にコンテストものの偉大さを噛みしめたのを今でも覚えている。
変わって白のトレーナーは〈アイパサーフボード〉の国内シェイパーを務めた手塚延幸プロの私物だ。袖に自身で”PRO-AM”とプリントしているのだが、コンテスト時に会場にいるスペクテーター(観客)たちとのファッションに差をつけるため、自らプロであることを主張したのではないかと思わずにいられない。
あらゆるユニフォームがブームとなったワスレチック期。競技服、スポーツチーム、仕事着、学生のお揃い服に加えて、このコンテストものも侮れないジャンルである。
Profile
トロピカル松村
とろぴかる・まつむら|1988年、兵庫県生まれ。編集ライター。サーフィン専門誌の編集者を経てフリーランスに。サーフィンを始めたときから約20年間、当時のサーフボードで波に乗り続けている。昭和の西海岸ブーム(ワスレチック)期にフォーカスした私設ミュージアム「さんかくなみ」を二子新地で営んでいたが、2025年7月に閉館。ジーンズ&スポーツを掲げるブランド〈CRT〉のディレクターでもあり、著書に『ボクのニッポンサーフィンサウンド』がある。筆者が着ている大リーグジャンパーも、当時めちゃくちゃ流行したユニフォームもの!
CRT
https://www.instagram.com/crt_jeans/
https://crt-jeans.com
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