カルチャー

二十歳のとき、何をしていたか?/ダースレイダー

2024年3月11日

photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2024年4月 924号初出

人生がまるごとRPG。
東大に合格したその夜に知った、
マイクを持ってラップする喜び

ロンドンから東京へ。
ゲーム感覚を養った幼少期。

 ラッパー、ダースレイダーさんの人生は壮絶だ。33歳で脳梗塞を発症し、左目を失明。40代で腎臓の数値が悪化し、余命5年を言い渡される。2017年4月11日、40歳の誕生日にリリースされた楽曲「5 years」には、絶望と葛藤、そして病と闘う生き様が込められていた。奇しくも20年前の同じ日、二十歳を迎えたダースレイダーさんは東京大学入学式という晴れの舞台にいた。その心境は、「完全にヤバい。みんなが仲良くなってるのに僕だけ『誰この人?』って感じで……」。

 どうしてそんなことに。さらに時間を巻き戻せば、そもそもダースレイダーさんはパリ生まれ。ジャーナリストの父親の都合で幼少期をロンドンで過ごし、小学4年生で東京の高井戸へと移った。

「ロンドンで読んだアドベンチャーブックの記憶を頼りに、即興でRPGを作って、友達にプレイヤーを割り振って遊んでいました。先生の似顔絵を貼った自作カードダスを作ったことも。人生そのものがわりとゲーム感覚なんですよ。中学受験もゲームと思って攻略しましたから」

 小学校5年生で難関の武蔵中学を受けると決め、塾に行くとE判定。残り2年で合格するには、と攻略法を探った。

「ゲーム化によって自分で自分を操縦する感覚が身についた気がします。ドラクエみたいに、HPが少ないとか、防御力が低いとか、自分の能力値がわからないと戦えない。過信せず何ができるか分析する。そんな10代だったと思います」

 自分が主人公でしかない多感な頃に周りが見えまくっていたとは。ロンドンで過ごした時間も影響しているんだろうか。

「あるかもしれませんね。引っ越しが多くて、時には国も変わってしまう。地元がないし居場所がないんです。よそ者としてコミュニティに入っていかないといけなくて、そこで自分がどういう人間で、何を考えているか説明できないと『お前は誰だ?』と言われてしまう。自分が何者かを常に考えていたと思います」

 目の前でユダヤ人とアラブ人の友達が喧嘩を始めて戸惑ったとき、のちに背景に中東情勢があることを知ったという。彼らには伝承された生き方や土地の歴史という大きすぎるバックボーンがある。じゃあ日本人の自分は? その問いが、常に隣り合わせのようにそばにあった。培ったゲーム感覚は、大学入試でも発動。東京大学というボスを倒すゲームだ。

「3年間サッカーに打ち込んだので現役合格は狙ってませんでした。当時の僕の理屈は『浪人生は大学生になれるけど、大学生は浪人生になれないからいったんやっておこう』。試験会場には行って、いわゆる難しいダンジョンに入って死んでくるっていうのだけやりました(笑)」

 御茶ノ水の駿台予備校の東大クラスに入り、苦手な古文や数学の授業に出つつ、レコード屋を回って遊んだ。イギリス時代、マドンナやマイケル・ジャクソン、ボーイ・ジョージといったポップスに触れ、東京で暮らし始めてからは地元のレコードショップにあったビートルズにハマった。そこからローリング・ストーンズ、イーグルスと’60〜’70年代のロックに目覚めたため、作ったテープは友達よりもその親に人気だったそうだ。

「ロックの根っこにはブルースがあると気づいてから、スライ&ザ・ファミリー・ストーンやジェームス・ブラウンなどのソウルミュージックを聴くように。ヒップホップはその進行形という感覚でした。高校生になるとミクスチャー・ロックが流行って、周りのスケーターたちがレッチリとかハウス・オブ・ペインをセットで流して『これがかっこいいんだよ』とか言っていて。なので、僕の中ではずっと音楽は洋楽だったんです」


AT THE AGE OF 20


運命を変えた予備校時代、勉強仲間と撮った一枚。19歳のダースレイダーさん、ふっくらして可愛らしい。高円寺のデビュー戦では、実はいろんな出来事が。「先輩がサビの部分を歌ってくれなくて。あとで聞いたら『お前の曲は暗い』って言われて、えー今さら! みたいな(笑)。あと『トリを務めるクルーが悪いやつで、途中でマイクを抜いてくるから気をつけろ』とも言ってたので警戒してたけど、入り口で『頑張りな』とか言ってくれてめちゃくちゃいい人でした」

運命を変えた予備校時代、勉強仲間と撮った一枚。19歳のダースレイダーさん、ふっくらして可愛らしい。高円寺のデビュー戦では、実はいろんな出来事が。「先輩がサビの部分を歌ってくれなくて。あとで聞いたら『お前の曲は暗い』って言われて、えー今さら! みたいな(笑)。あと『トリを務めるクルーが悪いやつで、途中でマイクを抜いてくるから気をつけろ』とも言ってたので警戒してたけど、入り口で『頑張りな』とか言ってくれてめちゃくちゃいい人でした」

予備校でヒップホップと出合い、
東大合格直後にクラブデビュー。

 音楽ライターになれたら、という仄かな夢はあったが、自分が音楽をやるとは微塵も思っていなかった。そんなとき、予備校で一風変わった人物と出会う。

「自習室にラジカセで音楽を流しながらガンガン声を出してる迷惑な人がいたんですよ。『何してるんですか?』って聞いたら、『お前ラップ知らないのか? 今日本語ラップが来てるんだ』って。3浪くらいしてる医学部志望の先輩で、最新のヒップホップウェアで身を固めた、予備校にだけはいなくていいはずの人(笑)。しかしこの人がやっているラップなるものは、楽器も弾かず、楽譜も見ずにできるようだ。しかも日本語で。こんな表現方法があるなんて、と感動したんです。僕にもできるかも、そう思った瞬間に音楽との距離が一気に変わりました。自分がラッパーっていうキャラになったらどう育てる? と新たなゲームが始まって、歌詞を書き始めたら面白くなっちゃって。でもふたつのゲームを同時に進めるのは危険だから、現場に行くのはやめて、まずは東大ゲームをクリアしようと」

 その年は『さんぴんCAMP』というヒップホップのビッグイベントがあり、ライムスターにブッダブランド、キングギドラなどが登場。日本語ラップが大きく飛躍し、シーンを賑わせていた。はやる気持ちを抑えて攻略を続け、見事東大に合格。本郷にある赤門前で発表を見たその日、先輩に報告すると「今日の夜に高円寺のドルフィンでライブがあるから、お前も来て歌ったら?」。ついにきた。念願のクラブデビューだ!

「ダンジョンに突入する感じで『やります!』って返事しました。キングギドラの『地獄絵図』っていうイカつい曲のインストにリリックを乗せた『16番地の殺戮現場』という曲だけ持って高円寺へ。目の前にはお客さんで満員の、夢にまで見た現場が広がってる。一番手で、マイクを持ってステージに上がってラップをしたら、もうめちゃめちゃ気持ちよかったんですよ。自分で書いて練習してきたラップを、ちゃんとした音響で人前でやることが最高に楽しくて、自分の中からものすごいエネルギーが湧き上がる感じがあって。合格発表より今がいちばん楽しい! って思っちゃったんです」

 大学入学とともにラップゲームを本格的にスタート。予備校時代に本名の「レイ」を生かして名付けた「ダースレイダー」という名前で活動を始め、クラブへ行き、友達ができたら家に呼び、ヒップホップを聴いた。装備も丸刈りにヒゲに迷彩服に変更。入学までのわずか1か月でみるみるレベルアップし、結果的に新入生のオリエンテーションをサボることとなり、入学式で一人ぼっちに。でも、クラブという新しいステージがダースレイダーさんを待っていた。

「実はいろんなことが繋がってるんですよね。僕の最初のラップを見てた大森庸平は、今も僕のアルバムやイベントのデザインを手伝ってくれているし、彼の幼馴染みの真田人とはMICADELICを結成しました。その瞬間は意味がわからなくても、10年後、20年後に『あのときのアレってこういう意味があったんだ』が見えてくる。でも、アクションを起こさないと何にも繋がらないんです。20代、バカやったことも、誰かを怒らせたこともたくさんあります。でもすべて無駄ではなかったと思うんです」

プロフィール

ダースレイダー

1977年、パリ生まれ。幼少期をロンドンで過ごす。東京大学中退後、2000年にMICADELICのメンバーとしてメジャーデビュー。最新アルバムに『ラップの鉄人』。近著に『イル・コミュニケーション―余命5年のラッパーが病気を哲学する―』(ライフサイエンス出版)。

取材メモ

当時「ラッパーで東大生」という肩書は話題になったという、あまり通わなかった学び舎で撮影。ラジオみたいに飛び出すトークが面白すぎて、言葉を扱う仕事のすごさを実感した。大学中退後、移籍したavexに紹介されたカフェバイトの話も最高。「女性客が多くて、お茶の話を聞かれるから、『台湾の標高1500mの村人しか採っちゃいけないんです』とか適当なことを言うのをやってて。そこでフリースタイルの技術を学びました(笑)」