CULTURE

二十歳のとき、何をしていたか?/濱田マリ

2022.12.13(Tue)

photo: Takeshi Abe
styling: Nao Hirose
hair & make: Hitomi Akiyama
text: Keisuke Kagiwada
2023年1月 909号初出

“何者でもない女”が、
大舞台のステージで歌い、
やがてマイクを置くまで。

ベストコート¥47,300、メトロプルオーバー¥22,000、コーデュロイタックドローパンツ¥19,800(すべてスニュウ/スキュア☎03·
6323·4200) その他は私物

 ひとつの大きな挫折が、
 成功を掴むきっかけに。

 濱田マリさんといえば、連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で演じた、夫とクリーニング店を切り盛りする和子の姿が記憶に新しい。驚いたことに、濱田さんのご実家も兵庫でクリーニング店を営んでおり、二十歳の頃は手伝っていたこともあるそうだ。しかし、当時の濱田さんは主人公を支える心優しい和子とは異なり、だいぶトンガっていたらしい。

「バンドをやっていたんですよ。当時、イギリスの『ラフ・トレード』というレーベルから、ヘタウマでノイジーなんだけど、何かジワるよねっていうガールズバンドがたくさん音源を出していて、目指していたのはそういうのです。女の子たちがなりふり構わず、自分がいいと思ったことを大威張りでやっているような。ただ、自分では楽しかったし、間違いないと思ってやっていたけど、両親には理解されず嫌われてましたね。私もよく反抗していましたし……」

 穏やかな表情でそう振り返る濱田さんから、ノイジーなロックを奏でている姿を想像するのは難しい。「音楽も性格もパンクスだったんですね」とこちらが言葉を継ぐと、「そう表現していただけるのは嬉しいですけど、実際は“何者でもない女”でした」と濱田さん。そんな“何者でもない女”から脱却を図るべく、アマチュアバンド対象のコンテスト番組『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場したのは、21歳の秋。しかし、結果的にこれがバンド解散の引き金になってしまった。

「自信満々で出ていったのに、審査員の先生方に酷評されてしまったんです。それで自信がなくなり、脱退させてもらうことにしました。メインボーカルだったので、私が抜ければ解散になる。それもわかった上での決意でした」

 ただ、脱退したからといって、音楽活動から完全に足を洗ったわけではない。番組に出演する数か月前、モダンチョキチョキズ(以下、モダチョキ)というバンドに、ゲストボーカルとしての参加をオファーされていたからだ。しかし、モダチョキといえば、日によってメンバー構成がフレキシブルに変わり、ロック、ファンク、歌謡曲、コミックソングまでこなす愉快なバンド。それまでのバンドとは、まるで音楽性が違いそうだが……。

「バンドを脱退する決心がついたのは、そのオファーがあったからというのもあると思います。メンバーはモダチョキで私が歌うことを、よく思ってなかったので。だから、一切合切を捨てて、モダチョキのゲストボーカルになろう。半年に1回でも呼んでもらえればそれでいい。その先は知らない! そんな思いで、モダチョキに参加することにしたんです」

 結果的に、その選択は間違ってなかった。初めてゲストボーカルとしてステージに立ったその日、モダチョキがレコード会社にスカウトされたからだ。これがきっかけとなり濱田さんは正式メンバーとして加入し、1992年に晴れてメジャーデビュー。東京に移り住み、ライブ、ツアー、レコーディング、プロモーションと、怒涛の日々が幕を開ける。以前のバンドはあれほど嫌悪していた両親も、モダチョキに関しては大絶賛。自宅から半径4㎞以内が行動範囲だった父が、電車に乗ってライブ会場へと足を運ぶという、濱田さんの言葉を借りるなら“事件”も起こった。しかし、“何者でもない女”から“有名人”へと見事な転身を果たしたにもかかわらず、濱田さんの心には解けないわだかまりがあったという。

「モダチョキは、すごい勢いで大きくなってしまったので、そのメインボーカルというのは荷が重すぎたんです。他のメンバーはみんなプロのミュージシャンでしたけど、私は『歌手です!』って言い切れるほどうまくはないし、譜面も読めませんでしたから。楽しそうにバカなことをやっているように見えていたとは思いますが、曲がりなりにもお金をもらってやっているので、そこに私は後ろめたさとか不甲斐なさを感じていたんです。普通、バンドってステージ上でボーカルと楽器の人がアイコンタクトを取るじゃないですか? あれも怖くてできなかったですからね。かといって、お客さんを見て歌うわけでもなく、いつも見ていたのは非常口(笑)」


AT THE AGE OF 20


写真はモダチョキとしてデビューした当時の濱田さん、24歳。とき同じくして上京し、初めて住んだのが、今回の撮影場所である碑文谷だ。公園にはよく訪れており、「ここでは、恋が終わったり、また始まったりしていましたね。甘酸っぺぇです(笑)」と濱田さん。また、かつて公園に隣接していた、民家の中にある卓球場でもよく遊んでいたそう。モダチョキ在籍時にソロとしてリリースしたセカンドシングル「ひとひと」のプロモーションビデオも、その卓球場で撮影している。

ラッキーに食らいつき、
努力したから今がある。

 わだかまりが解けるまでには、デビューから2、3年の歳月を要した。きっかけとなったのは、打ち上げの席でバンドメンバーの一人に言われたある言葉だ。

「『マリちゃんは、僕らの方を絶対に見てくれへんよな』って言われたんです。『あ、バレてる』って焦りましたよね。恥ずかしいから『見てへんよ。これからも見る気ないからね』と言い捨てて、すぐにそこから立ち去りましたけど。でも、次の日もステージがあって歌わなきゃいけない。気まずいなと思いながら、ある曲の伴奏中に、恐る恐る後ろを振り返ってみたら、みんなちゃんと笑って私のことを見てくれたんですよ。『すみませーん』って思いました(笑)。その日からですね、歌うことに自信がついて、メンバーのことを好きになれたのは。自分はラッキーでここに立っているだけで、歌うお人形だと思っていたけど、『あ、人間だわ』と思えるようになったんです」

 そんな中、29歳になった濱田さんに、またしても大きな転機が訪れる。モダチョキが活動休止するというのだ。
「モダチョキってすごいお金がかかるバンドだったんですよ。デビュー時はまだバブルの残り香があったからなんとかやれたけど、そろそろ採算を取れるようにならないと続けるのは難しいだろうなとは思っていました。あと、いろいろやり尽くして、迷走していた部分もあったんです。メジャーデビューはしていたけど、やっぱりアマチュアだったというか、プロとしてやっていく何かが足りなくて、限界を感じたんでしょうね。だから、もっとやりたかったなぁという思いもあったんですけど、休止が決まったときは『ですよね』って納得しました」

「それに」と濱田さんは続ける。「ちょうど今のようなお芝居の仕事を始めたいなと思っていた時期でもあったんです。だから、悲しくはありませんでした」

 その言葉どおり、30代以降は俳優としての道を歩み始めた濱田さん。最後に改めて自身の二十代を総括してもらった。

「ラッキーだったなと思います。実際、モダチョキ参加からメジャーデビューというとんでもねぇラッキーがなければ、今頃は実家のクリーニング屋さんを継いでいたと思うので。だけど、それでのほほんとしていてはいけないわけで、私なりに努力して食らいついたんでしょうね。そのラッキーと努力があるから今がある。まぁ、そう思えるようになったのは最近のことなんですけど。最初に組んでいたバンドのことも、モダチョキのことも、少し前までは恥ずかしくて口にもしたくなかったですから。でも、当時の自分から2倍以上年を取って、“若気の至りという罪”の時効が来たんでしょうね。今は、かわいかったな、頑張っていたなと、純粋に思えます」

プロフィール

濱田マリ

はまだ・まり|1968年、兵庫県生まれ。’92年、モダンチョキチョキズのメインボーカルとしてメジャーデビュー。活動休止後は、俳優、ナレーター、声優など幅広く活動。近年の出演ドラマに『カムカムエヴリバディ』『生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔』など。

取材メモ

モダチョキとしてデビューした直後、濱田さんの初レギュラー番組『おかずな夜』が始まった。中村ゆうじさんが共演で、料理をテーマにした過激なバラエティ番組だったらしい。「本当にすごい番組でした。例えば、モダチョキの衣装を着た私がラーメン丼ぶりを持って恵比寿の駅前を歩いて、カメラの前に来たらズズズッと食べたり(笑)。でも、私がもともと好きだったオルタナティブな表現ができる場所で、本当に楽しかったです」と濱田さん。

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