カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/ピーター・バラカン
何が起こるかわからないのが人生だ。 明確な目的もないまま学んだ日本語が まさか夢を叶えることになるとは。
2021年3月9日
photo: Takeshi Abe
text: Keisuke Kagiwada
2021年4月 888号初出
日本語の勉強とロックに明け暮れた日々。
「これというはっきりした理由がないんです」。ピーター・バラカンさんは、ロンドン大学日本語学科に進学した理由をそう明かす。まさかこんなラフな選択が、バラカンさんの現在の活動へと続くことになろうとは、シャーロック・ホームズでも推理できないだろう。
「そもそも大学に行きたい強い動機もありませんでした。ただ、18歳で就職するのが嫌だった。当時のイギリスの大学は、授業料が無料だったので、入れるなら入っておこうくらいの気分だったんです。とはいえ、イギリスの大学は日本やアメリカと違って、1、2年でいろんな授業を受けた上で専攻を決めるのではなく、入学したらひとつのことだけを学ばなければいけません。語学が好きだったので、外国語ならいいかなと思って、あるとき母と色々な言語を次々と候補に挙げていて、その一つとして出てきた日本語になぜかピンときたんです。当時は1968年で、日本がまだ世界に注目されてない時代。日本文化に興味があるとかないとか以前に、出合う機会がありませんでした。なので、日本に対するイメージも特にないまま進学したんです」
かくして、幕を開けたのは日本語漬けの日々。とはいえ、勉強だけに明け暮れていたわけではない。なんせ入学したのは、ロックの黄金時代といわれる1969年。音楽好きのピーター青年がみすみすスルーするはずもない。
「サンタナ、オールマン・ブラザーズ・バンド、ドニー・ハサウェイ……。あの頃は新しい感覚の音楽が次々に誕生しました。だから、めちゃめちゃ充実していましたよね。’69 年と’70 年の夏休みには、ロックフェスにも行きました。まだフェスがなにかもわかってなかったので、寝袋ひとつで行ってひどい目に遭いましたけど(笑)。’69 年のワイト島のフェスはトリがボブ・ディランとザ・バンドだったんですが、何万人も集まっていたし、PAもよくない時代。ビデオスクリーンもないですから、風が吹くと音が聞こえないんです。だから、何を演奏したかは全く覚えてないんです(笑)」
そんな音楽生活をさらに満ち足りたものにしてくれたのが、毎週かかさず聴いていたチャーリー・ギレットのラジオ『ホンキー・トンク』だった。
「ラジオのDJって基本的に滑舌が良くてカッコいい喋りをするものですよね。それが嫌だったわけではないけれど、チャーリー・ギレットは、ごくごく普通に、友達同士で話すかのように、しかも、僕の好きな曲ばかりかける人だったんです。僕もこんなラジオができたらいいな、それが理想の仕事だなと思っていました」
しかし、バラカンさんがその夢を叶えるのは、まだまだ先の話。22歳で大学を卒業したバラカンさんが、せめて音楽関係の仕事をと就職したのは、小さなチェーンのレコード屋だった。
「働き始めて4、5か月で店長になりました。イギリスはどこの会社でも能力さえあればどんどん昇進できる能力主義の国なので、その辺は日本と違います。ただ、ブラックな労働環境だったんです(笑)。9時から19時まで働いて、週休1日。それで週給30ポンドしかもらえず、しかも3分の1が天引きされる。木曜日には電車賃がなくなって、歩いて帰ることなんてこともあったくらいです」 「もっとマシな仕事を探さなきゃ」と考えていたある日のこと。音楽業界誌をめくっていると、日本の音楽出版社「シンコーミュージック」の求人広告が目に飛び込んできた。面接してもらったはいいが、1か月たっても連絡はない。電話が鳴ったのは、諦めかけていたときだった。いわく「10日後に東京に来てほしい」。
初めての日本上陸とスティーヴ・ミラー事件。
「今でも覚えていますが、東京に着いたのは’74 年の7月1日です。翌日に初めて丸ノ内線に乗ったら、座席に座っている人がみんな黒髪なんですよ。それを見て『ああ、アジアに来たんだな』と強く思ったことが忘れられません」
会社での仕事は英米の会社に向けてビジネスレターを書くことだったという。新しい環境には、すぐに馴染めたようだ。
「最初の数年間は本当に楽しかったですね。仕事では海外から届く新譜のレコードのサンプル盤がいち早く聴けましたから。休みの日は、レコード屋をめぐったり、仕事仲間とコンサートに行ったり、充実してました。日本の新しいアーティストを聴いていましたね。細野晴臣のソロアルバムだとか、久保田麻琴と夕焼け楽団とか、あと小坂忠の『ほうろう』というアルバムが好きでしたね」
しかし、慣れてくると楽しい仕事の負の側面も見えてくるもの。特に、バラカンさんを苦しめたのは、音楽出版社という存在の立場の弱さだった。サンプル盤を聴いていくらバラカンさんがプッシュしたいと思っても、実際に宣伝をするのはレコード会社。彼らが宣伝に力を入れなかったために、誰にも知られず消えていくレコードを見るたび、いたたまれない気持ちが募った。それが爆発してしまったのは、29歳になった頃だ。
「スティーヴ・ミラー・バンドの『Fly Li-ke an Eagle』が出たときです。素晴らしいアルバムなので、絶対にヒットすると思ったのにレコード会社が8月にリリースしたんですよ。8月と2月は音楽業界で『恐怖のニッパチ』と呼ばれるくらい、売れない時期なんです。それでつい、著作権のやりとりをしていたスティーヴ・ミラーの弁護士に、『あのアルバムが日本でいい時期に発売されなくて残念だ』ってかなり強い口調の手紙を送りました。そしたらその弁護士が本国のレコード会社に抗議をしたらしくて。ある日、僕たちの会社に日本のレコード会社の洋楽部長が乗り込んできて、僕は怒鳴られました。まぁ、スティーヴ・ミラーの次作は宣伝をすごくきっちりやっていたので、結果としてよかったんですが。でも、そうこうするうちに、僕自身も仕事へのやる気をなくしてきてしまって」
そして、選んだのは独立という道。ちょうどその前に願ってもないチャンスが到来していたというのだから、人生は何が起こるかわからない。なんと飲み友達だったラジオの構成作家に、新番組のオーディションに誘われ、見事にパスしていたのだ。
「メインパーソナリティは襟川クロさんという女性で、僕はアシスタントでしたが、ラジオ番組はずっとやりたかったので嬉しかったですね。だけど、憧れのチャーリー・ギレットみたいに静かに喋ると、『もっと明るく!』って、ディレクターに言われるんですよ。毎週言われるからがっくりきてしまって。当時、ロンドンに留学していたガールフレンドに手紙を書いたんです。『いつも暗いって言われるから、もう辞めようかと思っている』って。だけど、彼女は『せっかく自分の一番望んでいた仕事なんだから、今は我慢するときだと思う。今辞めたら二度とチャンスはないよ』って。それで我慢したら、だんだんと受け入れられるようになりました。だから、彼女は正しかったですね。今の妻なんですけど(笑)」
プロフィール
ピーター・バラカン
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