カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/濱家隆一
空洞のまま突き進んだ若手時代。 時おり仕事で訪れた東京は、 相方と約束を交わした勝負の地だった。
2021年3月17日
photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2021年2月 886号初出
謎の自信だけが常にあった、〝イチビリ〟な大阪時代。
「どう考えても大事な1年!」。2020年、かまいたちの濱家隆一さんは、そう自らにハッパをかけてきた。大阪で名を馳せたのち『キングオブコント2017』の覇者となり、東京へと進出したのが2018年。以降『アメトーーク!』や『ロンドンハーツ』といった全国ネットのバラエティ番組の打席に立ち続け、フジモンさんにイジられ、かまいたちは瞬く間にゴールデンタイムの主砲となった。芸人ならば次こそ“冠”。関東初の冠番組『かまいガチ』が始まった2020年は、「大事な1年」がまさに具現化した年だった。
堅実な芸人人生を歩んできたような濱家さんだが、「若い頃はほんま何も考えてませんでした。ただのバカ(笑)」と苦笑い。でも、妙な自信だけはあったという。
「『ごっつええ感じ』が大好きやったんで、小さいときから芸人になるって決めてました。下調べもせず、ただお笑いといえばダウンタウンやろ、吉本やろって」
高校時代は茶髪にピアス姿で野球部の主将を務めながら、学祭で漫才のマネごとをしていた。「調子のってる“イチビリ”やった」というクラスのお調子者は、卒業したらNSC(吉本総合芸能学院)に入ると宣言。だが、入学金と1年間分の授業料で約40万円が必要とわかり、高校卒業後1年かけてバイトで金を貯めることに。
「でも遊び呆けてました(笑)。居酒屋バイトの先輩とカラオケして、麻雀して。普通、お笑いやるぞと思ったら劇場に通うとかネタ書くとか、あるじゃないですか。でも何もせず、『NSC入ったらすぐ売れるんやろうな』って思ってました」
ともあれ1年後にはお金も貯まり、濱家さんは野球部の後輩とコンビを組み入学。晴れてNSC大阪26期生になった。約700人の生徒がネタ見せで実力別に編成され、濱家さんは見事Aクラスに。
「でも全然おもんなかったです。当時のネタが、『新しいアンパンマンのタイトルを考えよう』『アンパンマンとニコール・キッドマン!』『ハリウッド女優と出るかあ!』。これでAクラスやったんで(笑)」
後輩とはスピード解散。濱家さんはNSC在籍中、4回の解散を経験している。
「僕、男前とばっかり組んでたんですよ。キャーキャー言われようと思って(笑)。喋ってて『うわ、おもんな!』って思うと、こいつやないんやろなってすぐ解散して」
学校には実家から通っていた。芸人の道を選んだ息子を、父親は「専門学校で手に職を付けたほうがええんちゃうか」と心配し、母親は「好きなことやり」と背中を押してくれた。同期の天竺鼠や藤崎マーケット、和牛たちと過ごす時間も楽しくて、1年はすぐに過ぎ、卒業。Aクラスの濱家さんならすぐに劇場所属?「それがね、卒業したら全員フリーになるんです。吉本所属でもなんでもなくて、劇場のオーディションを受けないと舞台に上がれない。自力で挑戦するしかない」
5番目の相方とも解散。ひとりでオーディションを観に行くと、やたら面白いピン芸人がいた。それが山内さんだった。
「すぐ『組まへん?』って電話しました。あいつずっとCクラスやって、僕がコンビ解散してCクラスに落とされたときに、『番号教えてもらっていい?』って言われたのを思い出して。あいつもコンビ組みたかったらしくて『ぜひぜひ』って感じで。それでネタ合わせしてみたら、もうめちゃくちゃ面白くてびっくりしたんですよ。それまで腹抱えて笑うなんて一度もなかったんです。漫才っぽいものを作ってただけやったんでしょうね。山内と組んで、お笑いがめっちゃおもろなって」
六本木のネオンに驚いた、いつか勝負をする街、東京。
コンビ名は漢字表記の「鎌鼬」に決めた。吉本以外のインディーズライブに顔を出し、オーディションを受け続けて1年ほどたった頃、ようやく劇場入りが決まった。それが2000年代の若手芸人の拠点、今はなき「baseよしもと」だった。
「当時のトップ3組が千鳥さん、笑い飯さん、麒麟さん。怖かったです。みんなめちゃくちゃ尖ってたし、大悟さんも人相悪くて。全然喋りかけられへんかった」
劇場は実力主義のピラミッド型。頂点に鎮座するトップ組の下に入れ替え制の1軍、2軍、3軍が控えており、かまいたちは3軍からコツコツと戦った。
「調子は良かったです。『M-1』も2度目の出場から準決勝まで行けたし、結成3年目で『ABCお笑い新人グランプリ』も獲った。生意気やったと思います。俺みたいなおもろいやつそら売れるわ、賞獲るのも当たり前やんな、っていう痛ーいヤツ。本当はそんな人間やないのに、芸人はそうならないかんと思い込んで」
とろサーモンの久保田さんに可愛がられ、大悟さんとも飲みに行くように。テレビにも少しずつ出始め、24歳くらいで15万~20万円の給料がもらえるようになった。でも、そこからが長かった。
「部活の延長線みたいな感覚やったんですよね。ギャンブルして、パチンコして、酒もめちゃくちゃ飲んで。劇場に寝泊まりしてた時期もありました。その頃から会社に借金するようになって『今なんぼ借りれますか?』って限度額いっぱい借りて、バーッと使うんです。生活費じゃなく、ただ遊ぶ金。で、元金が減ったら『なんぼいけます?』ってまた借りる。なんであんなことしてたんやろ……。」
理由なき反抗を続けていた頃、たまに東京の仕事が入ることがあった。定宿は当時六本木にあった『ホテルアイビス』。
「この仕事するまで東京に来たことがなくて、初めて交差点“ROPPONGI”ってサインを見たときは『六本木や!』って興奮しました。怖くて遊びに行かれへんかったけど、これが東京なんやなって」
山内さんとの暗黙の了解が、「『キングオブコント』か『M-1』で優勝したら東京で勝負しよう」だった。だから、東京は憧れの地というより、絶対に来るべき約束の場所。その後、26歳で『ふくらむスクラム‼︎』のレギュラーが決まり東京に呼ばれるも、番組はすぐに終了。「いったんステイや」という山内さんの言葉で、再び大阪で足場を固めた。
「それまで気楽にやってきたのに、初めて『あ、ダメかも』と思って、余計にお酒に走りました。酩酊するまで飲んで、師匠の現場にも遅刻して、28歳で痛風に」
大阪の賞レースは獲れても、全国の大会に指がかからない。自堕落な生活は、コンプレックスの裏返しだったのかもしれない。そんな濱家さんを、山内さんはただ見守っていたという。
「見放してたのかも(笑)。でもあいつは優しいし、本人が気づかん限り変わらへんってタイプなんで。大人なんですよ」
29歳、『せやねん!』で千鳥の後任となり、ロケ芸人として奮闘。賞レースを次々と狙いながら、東京行きの切符を手にするまで6年の月日を要した。
「昔の話が記事になるたび、『こいつ何なん?』って思うんです(笑)。酒に溺れて、売れへんのを人のせいにして……。もっと頑張れたと思います。20代は空洞でしたね。そうやな、それがいちばんやな」
プロフィール
濱家隆一
https://www.youtube.com/
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