カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/石原良純
2023年10月11日
photo: Takeshi Abe
styling: Tomoya Yagi
hair & make: NORI
text: Neo Iida
2023年11月 919号初出
慶應ボーイが思いがけず役者の道へ。
わからないから怖くない。
鈍感力で切り開いた芸能人生。
叔父の入院がきっかけで、
突然の映画デビュー!
「二十歳までの話になると、父(石原慎太郎)や叔父(石原裕次郎)も出てきて話が長くなるから、ぐーっと二十歳の話に絞ろう。そうしよう。はい決まり!」
都内某所の石原良純さんの事務所。メイクをしながらビシッと取材の段取りを決めた良純さんは、どこかでカメラ回してる? と思ってしまうくらい、テレビで見る姿のまんまだった。
「あの頃の僕は、本当に普通の、内部進学の慶應大学生だったな。社会への反発? そんなものないない。革命を起こしてやろうなんて思わないし、ふわふわっと生きてたんだから。高度成長期の最後のあたりで、勉強をして大学に入ったらそのまま就職して、一生その会社に勤めるのが当たり前の時代。僕は金融論のゼミにいたんですよ。海外で働くなら商社マンになるしかなかったし、僕もそうなるんだろうと何の疑問もなかった」
慶應義塾大学では経済学部に所属し、テニスにスキーにと大学生活を謳歌した。就職活動を始めようとした、まさに二十歳の頃、叔父の裕次郎さんが解離性大動脈瘤を患い入院。信濃町の慶應病院には報道陣が押し寄せ、日本中が昭和の大スターの容体を案じていた。
「芸能マスコミが全盛期だったから、毎日ワイドショーで中継していて。うちは4人兄弟だったんで、交互にお見舞いに行っていた。そうするとカメラの放列にバシャバシャッて撮られるから、緊張するんですよ。小さい頃に親の都合でテレビに出たことはあったけど、大人になってメディアとはじめて接したのがあの瞬間だった。芸能界との出合いっていう感じがしたな。その写真が出回って、裕次郎にこれくらいの年の甥っ子がいるって業界に知られたんです。それで、叔父と縁のあるプロデューサーがとある企画を持ってオファーに来て」
それまで、演技なんて一度もしたことはなかった良純さん。でも、芝居を見るのは昔から好きだったという。
「子供ながらに劇団唐組の紅テントを青山墓地まで観に行ったし、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの来日も、リアルタイムでつかこうへいさんが紀伊國屋ホールでやってた舞台にも行った。PARCO劇場には三谷(幸喜)さんと同じ時代に通ってたみたい。リアルタイムで色々観てましたよ。でもまさか自分がやるとは思わなかったなあ」
オファーの内幕は映画『凶弾』の主演。いくら裕次郎の甥とはいえ、演技未経験の大学生には重たすぎる役柄だ。
でも良純さんは引き受けることに決めた。
「あの頃の僕には、このまま普通に就職しても面白いんだろうか、仕事ができるんだろうか、という漠然とした不安と期待があったんでしょうね。臆することなく『やります』って手を挙げられたのは、単純にわからなかったからだと思う。映画の大変さなんて、やったことがないし正直わからないじゃない。だから怖くない。今にして思うと、僕のいちばんの強みって鈍感力なんです。親の七光だとか、叔父とあわせて十四光だとか色々言う人がいても、この家に生まれちゃったんだから仕方ないよなって。細かいことを気にしてもしょうがないよなと思って気にしない。そういう鈍感力が昔からあったんですよね」
期待の大型新人としてデビューが決まった良純さん。手術を終え、退院した叔父のもとへ挨拶に行った。
「何かアドバイスがもらえるだろうと思ったら言われたのは『きちんと挨拶するように』『時間を守るように』。えっそれだけですか? って思ったね。その言葉の意味がわかったのは10年くらいたってからかな。仕事がある、ないに関わらず、人間が働くようになって社会に出ていくときに、時間が守れて挨拶ができる人は、ちゃんと社会の一員になれるんですよ。石原裕次郎というのは数々の伝説を持つスターだけど、非常にオーソドックスに物事を捉える人でもあった。それは今も心がけている教訓です」
AT THE AGE OF 20
生きるとは、
エネルギーを出し続けること。
映画の撮影を終えると、ドラマ『西部警察PART-III』にジュンこと五代純役で出演した。以来『太陽にほえろ!』などドラマ、時代劇に参加したが、裕次郎さんが亡くなったこともあり、26歳で事務所を出ることにした。
「実は石原プロというのは芸能プロダクションではなく、映画の制作会社。映画以外の道は自分で探さなければいけない。それで独立することにしたんです」
雑誌で石原慎太郎番をしていた編集者の三原栄子さんを頼り、マネージャーになってもらった。小さな芸能プロダクションを立ち上げ、演技はもちろん、バラエティの仕事にも奔走した。未経験でも、わからないからこそやってみる。他人の声は気にしない。
鈍感力を武器に、腕白に道を切り開いてきた良純さん。芸能人生も40年を迎えた今、振り返れば先人の声が力になったという。
「常々言われてきたのは『エネルギーを出す』っていうこと。あるとき坂東玉三郎さんと仕事をしたらこう言われて。『良純さん、役者の仕事って何かわかりますか? エネルギーを出すことです。芝居を見せたときにダーッと自分の世界観が客席を覆い尽くす。これが役者の仕事です』。つかこうへいさんも『主役は愛だの青春だの希望だのでっかい声で言ってりゃいい。そのかわり絶対に動くなよ。動かないということは、全部を受け止めること。エネルギーがいることなんだ』って。嘘をついたり困ったりすると、人は揺れる。なるほど、立っているだけでも役者はエネルギーを出し続けているんだな、と実感したんです」
二十歳で役者になったとき、叔父はアドバイスをくれたが、芸術家で放任主義の父親は何も言わなかった。しかし昨年その父が亡くなると、良純さんはあることに気づいたという。
「親父が入院して、僕は事務長みたいなことをやってたから、父にとっては鬱陶しかったんだと思うけど、亡くなる2日前に病室から去ろうとしたら手をパーンと払われたんですよ(笑)。驚いたけど、いいねえ! と思ってね。そのあとお骨になって家に来たら、嫁さんが『お父さん今日は静かね』って言うの。確かにいつも『ビール持ってこい』とか『メシ作れ』とかうるさかったよなあと思いながら寝たんだけど、夜中に雷がバーンと鳴って、家がダーンて揺れたところで目が覚めて。そこで俺、わかったんです。人間が生きていくってことはエネルギーを出し続けることなんだ。アウトプットするためにインプットし続ける。親父は本を読み続けたし、人の話も聞いて、テレビも映画も観て美術館にも行っていた。最後までものすごくエネルギッシュで、わがままで、未来に期待していた。これがエネルギーを出すっていうことで、それこそ二十代の頃からみんなが教えてくれてたことなんだなって。生きるとはエネルギーを出し続けること。人生はその連続なんだと思うんですよ」
プロフィール
石原良純
いしはら・よしずみ|1962年、神奈川県生まれ。1982年、映画『凶弾』でデビュー。1997年に気象予報士の資格を取得、『FNNスーパーニュース』(フジテレビ)でお天気キャスターに。『週刊ニュースリーダー』『ザワつく!金曜日』(ともにテレビ朝日系)に出演中。
取材メモ
三田にある慶應義塾大学の正門近くで撮影。小さい頃は逗子の実家から、小学生で東京に越してからは田園調布から通学した。良純さんは生粋の慶應ボーイだ。「前に新幹線で『僕、金融ゼミの1個上だったんですよ』って声をかけられて、名刺をもらったの。あとで見たらその人、某銀行の副頭取だったんだよ。てことはだよ、もし役者にならなかったら俺も副頭取になっていたかもしれない(笑)。人生ってわからないもんだよねえ」
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