カルチャー

二十歳のとき、何をしていたか?/藤本美貴

2023年2月13日

photo: Takeshi Abe
styling: Takanohvskaya
hair & make: Toshiya Ohta
text: Neo Iida
2023年3月 911号初出

誰にも媚びず、常に全力。
与えられた舞台でめいっぱい咲き、
アイドルを全力で駆け抜けた。

コート¥97,900、オーバーパンツ¥53,900(ともにエイトン/エイトン青山☎03·6427·6335)、シャツ¥41,800(マーガレット・ハウエル☎03·5785·6445)、レザーシューズ¥94,000、キーリングポーチ¥23,000(ともにルメール/スクワット︱ルメール☎03·6384·0237)、ピアス¥55,000(サピアバハール/フィルグ ショールーム☎03·5357·8771)、ヴィンテージの時計¥382,800(江口時計店☎0422·27·2900)

デビューを目指し上京。
夢を掴んだ孤高のアイドル。

華やかな芸能の世界で、リアルな生き様を見せ続ける藤本美貴さん。だからミキティは、昔も今もカッコいい。足跡を辿ると、始まりは14歳で受けたオーディション。15歳で「モーニング娘。第3回追加オーディション」の最終選考に残り、練習生入りが決定。故郷の北海道からひとり上京した。

「ソロでデビューすることは決まっていたんです。ただ時期は未定で、レッスン以外することがないんですよ。だから事務所のお手伝いをしてました。郵便物を分けたり、モー娘。が出た雑誌の切り抜きを手伝ったりして、OLさんみたいに10時に来て17時に帰る。なぜか私は会長室に預けられて電話を取ってました(笑)。スタッフさんに『お腹すいた』って言ってご飯に連れていってもらったし、下積みという感覚はないですね。ただ漠然と、いつデビューできるんだろうって」

 チャンスが巡ってきたのは上京2年目の2002年。あややこと松浦亜弥さんが登場してソロアイドルブームの機運が高まるなか、「会えない長い日曜日」でデビューした。17歳の春だった。

「そこからは怒涛の毎日ですよね。感慨に浸る間もなく、言われたことをただ一生懸命やるだけ。当時の芸能界は緩くて、夜中の2時とか朝の5時までレコーディングして、帰ってお風呂に入って軽く寝て歌番組に行くのが当たり前。1週間で10時間くらいしか寝られなかったです。ハロプロ(ハロー!プロジェクト)のライブもあったし、その1年が芸能生活でいちばん忙しかった気がしますね」

 春にデビューしてから2〜3か月置きに4枚のシングルを出し、秋にモー娘。を卒業した後藤真希さんとあややとごまっとうを結成。年末には紅白歌合戦の紅組トップバッターに。真っ赤なふわふわのマントに羽根つきハットで登場し、「ロマンティック浮かれモード」を堂々歌い上げた藤本さんはキラキラ輝いていて、まさに2002年の顔だった。ただ、出番後に衝撃の展開が。プロデューサーのつんく♂さん直々に「モー娘。のメンバーに加入決定」と報告されたのだ。その衝撃を、藤本さんは「もう、えーっ!? ですよ(笑)」と振り返る。いったん整理しよう。グループのオーディションは受けたものの、藤本さんの夢は歌手。ソロとして目標を果たせた今、進路変更はショックも大きかったはず。なんでですか? と食い下がってもよさそうだが……。

「いや、でもそこは『入るんですね? わかりました』だけです。だって決定事項にイエスもノーもないですもん。つんく♂さんから下されたものは絶対だし、この仕事って自分でプロデュースしてるわけじゃないから、与えられた役割を果たさないといけない。そもそも思いどおりにいくと思ってないんです。日々やることをやって、積み重ねて、機会を与えてもらったらあとは上がるだけ。その考え方は今でも変わらないですね」

 惚れ惚れする決断力で、藤本さんはシングル「シャボン玉」からモー娘。に参加。歌割りやダンスのフォーメーションなど、ソロとは異なるレッスンにも頑張って付いていった。テレビ出演も『ハロー!モーニング。』『めちゃ×2イケてるッ!』『うたばん』などぐんと増え、キャラも定着し始めた。

「納得して入ったものの最初はモヤモヤして、反抗期みたいな時期がありました。仕事はちゃんとやるんですよ? でも頑張って笑ったりしません! みたいなね(笑)。それもあって“美貴様”って呼ばれるようになったりして。そのうちおとめ組とさくら組に分かれて対決企画も始まって、このままじゃ負けちゃう、そろそろ本腰いれて頑張んなきゃ、と気持ちを切り替えました。でも、馴れ合う必要がないとはずっと思ってましたね。他のメンバーもそうだったと思うけど、個々の力を出していこうっていうグループだったから。みんなプロなんですよ」


AT THE AGE OF 20


藤本美貴
2005年、二十歳の宣材写真。当時は「THE マンパワー!!!」「大阪 恋の歌」などがリリースされ、藤本さんはソロ経験を生かした抜群の歌唱力でモー娘。を支えていた。「シングルを4枚か5枚出したらアルバムを1枚出して、ライブも年中あったし、ジャージでリハやレコーディングに行って帰る毎日でした」。疲労はあっても精神的に追い込まれることはなかったそう。「客観的に見れるほうだと思います。ライブ中、幽体離脱みたいに自分を上から見てる感覚があったんですよ。『そうそう、このあと大変だよねえ』みたいな(笑)」

 忙しくて誕生日の記憶はないというけれど、成人式には思い出が。

「実家に帰っていて、突発的に地元の成人式に行こうと思って事務所に確認したら『スタッフもいないしダメです』って。でも行っちゃお、と思ってたらさらにメールが来て『藤本のことだから勝手に行こうとしてると思うけど、ホントにダメです』って(笑)。ここまで言われたら行けないやと思って諦めました」

 10代から働いていると、二十歳は大人への節目ではないのかもしれない。淡々と20代に突入した藤本さんのプライベートは、おとなしいものだったそう。

「外に出なかったですねえ。映画を観に行こうと思ってパジャマから着替えるけど、面倒くさくなってパジャマに戻っちゃう。アイドルだから外出しづらいとかじゃなくて、もともとの性格ですね。私、人生ではじけてる時期がないんですよ。末っ子で、はじけたお姉ちゃんたちから『お前は冷めガキだべや』ってイジられてたくらい(笑)。テンションも上がらないし、全然子供らしくなかったと思う」

 東京には一般人の友達はいない。唯一といえる遊び友達があややだった。

「お互い忙しいから頻繁にではないけど、家に泊まりに行ってました。渋谷で買い物もしましたよ。通りすがりのおばさまに『あんたたち似てるね、双子かい?』と声をかけられて、適当に『そうです〜』とか言って(笑)」

 そして22歳、第5代リーダーのバトンを渡された藤本さんに不測の事態が。就任の5月1日からわずか25日後、週刊誌にのちに夫となる庄司智春さんとの熱愛報道が出たのだ。

「ふたりの間で別れたふりをして付き合う? という話も出たけれど、きっとまた撮られるし、そうなったらみんなに合わせる顔がない。迷惑をかけたことは本当に申し訳ないけれど、でも一生モー娘。ではないじゃないですか。いつかは卒業するし、個人の活動が増えていくはず。だったら潔く脱退して、堂々としたかったんです」

 こうして藤本さんはモー娘。を脱退。在任期間25日というグループ史上最短リーダーになった。スパッとキャリアを手放すなんて、22歳の若さでは到底できない決断だ。

「基本、後ろを振り返らないんですよ。落ち込まないし反省もしない(笑)。時間を戻すことはできないから、前に進む。『ああすればよかったかな』がよぎっても『次はこうしよ!』で終わりです」

 有言実行で前へ前へと突き進み、道を切り開いた藤本さん。今やバラエティで大活躍し、ライブでは変わらぬ美声を披露している。デビュー20周年を迎え、突っ走っていた二十歳のあの頃を思うと、優しい気持ちになるという。

「今は精神的にも解放されて、すごく自由なんです。何があっても私の味方だって思える旦那さんや家族がいるから、いい意味で何も気にしなくなりました。基本的な性格は昔も今も変わらないけど、それでも20代の頃は色々我慢してたし、辛かっただろうなと思います。だから今の現役メンバーたちを見ると頑張ってるなあと思う。やけに沁みてくるんです」

藤本美貴

プロフィール

藤本美貴

ふじもと・みき|タレント。2002年「会えない長い日曜日」でソロデビュー後、CM、ドラマ、バラエティなどで活躍。2019年にYouTubeチャンネル「ハロー! ミキティ」を開設。3月12日にデビュー20周年最後の記念ライブ「藤本美貴20周年記念!大感謝ライブ!~ミキティアイドルやります!春の大集会!〜あしたから21周年~」をヒューリックホール東京で開催予定。生配信チケットの詳細はこちら

YouTube
https://www.youtube.com/@hello_mikitty

取材メモ

思い出の目黒川で撮影。「20代初めの頃よく散歩したんです。庄司さんと歩いたことも」と藤本さん。明るく屈託ない佇まいはYouTubeチャンネル「ハロー! ミキティ」の姿そのまんまで、庄司さんが「ミキティーー!」と叫ぶ気持ちがわかる気がした。夫婦の朝食動画が335万回再生中と大ヒットだけれど、直近では庭で転がる動画の破壊力がすごい。「やりたいことある? って聞かれて思いついたのがあれで(笑)。楽しいからみんなもぜひ!」