ライフスタイル

私のいえは、東京 山のうえ Vol.45

社本真里の隔週日記: 小屋で暮らしたこと

2024年3月2日

photo & text: Mari Shamoto
edit: Masaru Tatsuki

 2024年2月。檜原にもやっと雪が積もった。雪かきは大変だけど、やっぱり雪景色が1番好きだと再確認する。

今年降った雪。標高が少し違うだけで降り方も積もり方もかわる。

 愛知の母からは「雪はどう?」と心配してメールが入る。いつも私のことを気にかけてくれる。母は岐阜の呉服屋の次女として生まれ、24歳で父と結婚し自営業の父の実家に嫁いだ。翌年に私を産んで、それから20年以上家事・育児・親の介護に大変な毎日だったと思う。その姿を私は1番近くで見たきた。それがひと段落して娘がやっと社会人になったと思ったら、山の上の集落に暮らすと言い出したのだから、勘弁してよと思ったと思う。ましてや人の家の2階に住むと言い、その2年後には小さな小屋を建てて住むと言い出すのだから。

 どんな時も私の意思を汲む母も、このときはどう受け入れたいいのか苦しんでいた。実家に帰るとそのことで言い合いになったこともあった。寂しい思いをさせたと思う。けど少しづつ「まりちゃんにはジローさんヨシコさんがいるから安心だわ」と言うように変わっていった。旅先で手間をかけて作られた塩や油を買ってきては教えてくれたり。私が学生時代から通うお店でカゴのカバンを買ったりしていた。娘の趣向や考えを少しでも理解しようとしてくれていたのかな。そんな母は私のこの記事を読み、毎回印刷をしてストックしているらしい。母にとって山の上の集落に住む娘を知るには丁度良かったみたいだ。

社本真里の隔週日記: 小屋で暮らしたこと
ジローさんが直してくれたランプ、私がいつも寝る部屋に掛かっていた。

 引っ越しして半年、相変わらず1ヶ月に1〜2回集落に顔を出している。ジローさんはワインがたくさんあるよーとか、壊れたアルミのシェードランプを直したから取りにおいで(私がネジを買ってきて、自分で修すはずだった)とか、メールをくれる。仕事終わりの夕方に寄って、そのまま泊まらせてもらうことが多い。久しぶりに私が来るからといって、夕食が豪華になるわけでもなく、残り物のなめ茸とか、お昼のカレーなんかが食卓に並ぶ。いつも通りなのがものすごく嬉しい。

お味噌汁には2㎝くらいの小さなカブがいた、可愛かった。

 この記事を書いている今日、2月19日月曜夜も私はジローさんヨシコさんの家にいる。駐車場に車を停めたら揚げ物の臭いがした。家に入って、やっぱり揚げ物だねーというと、今日はこれしかないわよ! とヨシコさんが言う。隣の家族も集まってきて日付が変わるまで色んな話しをして。私はいつも2階の本棚に囲まれた畳の部屋に布団を敷いて寝る。今日はここのところ雨が降らず水が少ないからお風呂はなし。でもこの日は雨が降っていて、屋根に落ちる雨音がうるさいくらい聞こえて心地が良かった。すぐに眠りにつけたけれど、3時頃から隣の家のニワトリの声に目が覚めてしまったら、ジローさんの大きなイビキと、トイレに行くヨシコさんの足音も気になって眠られなかった。

 朝、外に出たら雨が止んでいて雲海が見えた。気持ちが良くて寝不足がどうでもよくなる。どこからか焚き火の匂いがして、鳥の鳴き声だけが聞こえる。ヨシコさんが朝からいないと思ったら、猿を追っ払いに行ってきたわと言って戻ってきた。朝ごはんは、ジローさんの畑で間引いた小さなカブが入ったお味噌汁をいただき、ジローさんの入れたお茶を飲む。この日もまだまだ話し足りなくて出社を遅らせた。

 10時過ぎて、そろそろいってきます、と言ってふたりの家を出た。

プロフィール

社本真里

しゃもと・まり | 1990年代生まれ、愛知県出身。土木業を営む両親・祖父母のもとに生まれる。名古屋芸術大学卒業後、都内の木造の注文住宅を中心とした設計事務所に勤め、たまたま檜原村の案件担当になったことがきっかけで、翌年に移住。2018年に、山の上に小さな木の家を建てて住んでいる。現在は村内の林業会社に勤め、山の素材の販売や街と森をつなぐきっかけづくりに奮闘している。