カルチャー

写真の人–篠山紀信について

文・村上由鶴

2024年1月30日

新年早々、激動の世相のなかで写真家・篠山紀信が亡くなったという報道がありました。

「激写」といった流行語を生み出し、宮沢りえのヌード写真集『Santa Fe』は写真集として史上最多の165万部(!)を売り上げ、樋口可南子の写真集でヘアヌードブームの立役者となり、全国を巡回した写真展「写真力」は100万人が来場、青山霊園での撮影で罰金の支払いを命じられるなど、「お騒がせな大物」として、お茶の間にも知られていました。

俗っぽく、スキャンダラスなのに、なにか魔法のような力を持ってスターやアイドルの理想的な表層をとらえる写真家。

とはいえ、薄っぺらい表層というよりは、リッチで濃厚な表層を創り出して、決してその裏側に入ることのない姿勢は一貫していました。危なっかしいけど一流だからしょうがない、といった感じで受け止められ、これが日本における「写真家のイメージ」の形成にも大きな影響を与えたのではないでしょうか。

篠山紀信が世に出たのは、雑誌文化、広告文化が華やかだった時代。写真家は、雑誌や広告のために写真を撮るだけでなく、文化人として、様々な媒体で独自の精神論めいた写真論をよく語りました。

そんな篠山紀信の雑誌での「出役」仕事のなかでも写真史の事件のひとつとして語り継がれているのが、篠山紀信と荒木経惟の対談です。

『波』(1991年2月号)*1で、篠山紀信と荒木経惟は、ある1枚の写真をめぐって論争を繰り広げます。

その写真とは、荒木経惟の『「センチメンタルな旅・冬の旅』(1991年)に収録された、妻・陽子さんの棺のなかの遺体の写真。

これについて、篠山と荒木はこんな会話を繰り広げます。

 荒木 死は一番真実だね。これはウソだとはいえない。

 篠山 だけどそれをウソかもしれないというのが荒木さんじゃなかったの。(中略)あなたがいうウソとまことのやりとりから出てくる荒木流のリアリティを感じて僕はどきどきしたもの。(中略)あなたの写真は一面的じゃないというか、多義性を孕んでいるからこそ面白かったんじゃないですか。本当のこというとこれは最悪だと思うよ。荒木ほどのやつがこれをやっちゃったのはどういうことかと思ったね。

 荒木 一回妻の死に出会えばそうなる。

 篠山 ならないよ。女房が死んだ奴なんていっぱいいるよ。

 荒木 でも何かを出した奴はいない。

 篠山 そんなものは出さなくていいんだよ。これはやばいですよ。はっきりいって。

 荒木 いや最高傑作だね。見てるとミサ曲が聞こえてくるでしょう。

 篠山 だからつまらないんじゃない。ミサ曲が聞こえてくる写真集なんて誰が見たいと思うの。あなたの妻の死なんて、はっきりいってしまえば他人には関係ないよ。

 荒木 だからこれは俺自身のためのものなの。なんといっても第一の読者というのは自分なんだから。(中略)

 篠山 確かにこの写真を見てるとあなたの悲しみと荒木経惟という写真家のすごさは十分感じられますよ。でもこれをやられちゃうと……。

 荒木 これは悲しみを感じさせようというものじゃないんだけど。

 篠山 そんなこというけどね、あなた。この文章読んでご覧なさいよ。−雪が降った。ヤな予感がした−お涙ちょうだいだよ。

興味深いのは、篠山が「やばい」と言っているのが、陽子さんの写真を世に出すことが冒涜だとか見せ物的などということではない点です。篠山は、倫理や規範ではなく、荒木自身がこれまでに構築してきた「荒木経惟という写真家」の像を裏切るものだから「つまらない」と言っているように読めます。「こんな写真を撮るなんて、お前の写真家像、ブレブレじゃないか!」という感じでしょうか。

さて、言われっぱなしの荒木は、その後『すばる』*2のインタビューで、『波』での篠山の発言を一通り批判したうえで、篠山紀信の写真をこんなふうに語っています。

―ところで、『波』ではうその写真というのは、私写真でない写真だという一言で済ませていますがこれをもう少し説明していただけませんか。

 荒木 要するに、自分とのかかわり合いというか、自分に関することじゃなくちゃだめということですね。篠山さんの場合は極力そういうのを捨てて、時代の予感だからとか何とか言う。そんなに何で時代の奴隷にならなくちゃならないのかなというような気分がするんだけど。私にかかわっていることじゃなかったらおもしろくない。写真じゃないと。

(中略)

 荒木 篠山さんは時流で、私は自流で、向こうは時の流れの時流、私は自分の流れの自流というふうに言ってたんだ。

さて、一連の流れを見ていると、篠山と荒木は理想とする「写真家像」に大きな違いがあることがわかります。

荒木が言うとおり、篠山は「時代」の流れをとらえ、荒木は「自我(私)」を写真の中に流し込むといった感じでしょうか。インタビューではその後、逆説的に、私写真派の荒木(とインタビュアー)が、篠山は「完全には自分を消していない」写真を撮っているとして褒めています。

また、約10年後の、荒木と篠山との対談*3でも、荒木が「『篠山の写真は、個性とか主張、お前がないんじゃないか』といわれる。カメラマンの業界では誰もがそう思っている。でも、それはちょっと違うんです」とも言っていて、篠山本人もまんざらではない様子で話が展開しています。

しかし、実際に篠山自身の他のインタビューを読むと、この人は写真に「自分らしさ」が出ることにも、出すことにも、あるいは出ちゃっているものに関しても、ほとんど関心がなかったのではないか?と思わずにはいられません。

むしろ、篠山紀信がたびたび言及するのは「写真というメディアの基本的な性格」についてのこと。彼は「写真家ってのは時代の映し鏡で、突出した出来事や人を撮らなきゃいけない」とも発言していましたが、いわば、彼は「写真の基本的な性格」を、そのまま写真家の「性格」になるように自分にインストールした人。いわばカメラが擬人化した人であって、「私」よりも「写真」が先に立っていたようです。

そのうえ、篠山紀信の写真とはなんだったのか、というのは、結局、篠山紀信の口からではなく、荒木や、そのまわりのひとびとが口にするばかり。彼自身の言葉も、「シノラマ」とか「激写」のようなキャッチコピーがほとんどで、流れていくようにつかみどころがありません。

戦略や、裏や、照れや、てらいなく「時代と伴走する」ことが写真家としての性格であるとして、自分を器にしてここまで開いている(開き直っている?)というのは、やはり自身の確固たる写真論を秘めている、傑出した写真の人と言えるでしょう。

雑誌文化の衰退とSNSの勃興のなか、写真家同士のこのような舌戦は見られなくなって久しいし、あったとしてもSNS上の小競り合いに変わっています。1枚の写真から自分の写真家としての性格、写真論をぶつけあうこの言葉たちがなんだか遠く感じられるほど、近年、写真業界はかつてより饒舌ではなくなっている気もします。

もしかして、こういう写真家精神を示す言葉と、そこからどうしてもこぼれてしまうものに読みごたえがあったからこそ、あの時の日本の写真が生き生きとしていたのかもしれませんね。だとするなら、わたしももう少し舌戦を恐れずいこうかな…。ではまた!

*1 参考文献:「対談 ウソとまこと/うまいへた 篠山紀信/荒木経惟」、『波』(1991年2月号)、新潮社
*2 参考文献:「「私写真」が語る末期と転生–篠山紀信氏への反論として 荒木経惟」『すばる』(1991年5月号)、集英社
*3 参考文献:『純写真から粋文学へ 荒木経惟写真対談集』荒木経惟(2000年)松柏社

プロフィール

村上由鶴

むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。光文社新書『アートとフェミニズムは誰のもの?』(2023年8月)、The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。