カルチャー

禁じられた斜め

文・村上由鶴

2023年6月30日

写真の勉強をし始めたころ、驚いたことがいくつかあります。そのなかで特に忘れられないのは、「斜めに撮ること」を暗に禁じられたことでした。

「プロは絶対に斜めに撮らない」。
「斜めに撮るのは素人だけ」。
カメラを持つ手が震えました。

以来、インスタ用に撮るちょっとした写真でもわたしは水平垂直を強迫観念的に意識するようになってしまいました。
その後、受講生がそれぞれ撮影した写真を見せ合う講評の授業のなかで、「水平とれてない」写真が教室のスクリーンいっぱいに映し出され、それを見ている他の受講生がその写真を「水平に見る」ために同じ角度に一斉に首を傾けたとき、その教えのとおり、斜めの写真の敗北を目の当たりにしました。

でも正直言って、写真を撮るときなぜかカメラ(やスマホ)を斜めにしちゃう人って、よく見ます。そして、斜めにしちゃうのは、素直に写真を撮るのが好きな人に多いような気がします。

実際、斜めを禁じる教えの通り、名作と言われるような写真は人に「あ、これは、斜めの写真だな」思わせるようなことは少なめです。
というのはおそらく、カメラを傾けて撮影された写真であっても、それが写真として、イメージとして、非常に完成されていたら、わたしたちはきっと首を傾けたりしないでその写真を見るからです。
例えば想像して欲しいのは、雄大な富士山をふもとから撮影した「斜めの」写真や、浜辺から海を撮った「斜めの」写真、あるいは、観光地のフォトスポットでキメポーズした「斜めの」ファッションスナップ。「いやなんで斜めにしてんの?」ってなるわけです。
つまり、「斜めに撮ること」が手段や方法ではなく目的化した写真は、「なんでカメラ傾けたの?」&「なんか見づらいな」という理由から、見る人が生理的に、そして、心情的にも首を傾けたくなる写真になってしまうといえます。

とはいえ、これは写真の連載ではなくて写真の連載ですから、「水平垂直を気にすると写真がうまくなるよ」なんてことを伝えたいわけではありません。
写真を撮るその人が「斜めを禁じる教え」を知っているにせよ、知らないにせよ、なぜかカメラを傾けてしまう、その心意気のことがわたしは気になっているのです。

カメラを持って、被写体を見つめ、どう撮ろうかと最高の構図を探すとき、人は、実は過剰な集中力を発揮しています。そうして撮られた「斜めの写真」には、カメラという機械を「使おう」とする意欲がうつって(移って/写って)いるのではないかと思うのです。
いわばそれは、カメラを信用しきって、道具に頼りっきりになるよりも自分の腕による演出で、写真自体をなるべくよいものにしようという意欲。

(禁じられた)斜めの写真に取り組むその姿勢は、「撮影行為」に、より集中している状態でもあります。撮影しながらその場で写真の完成度を自己点検するなどといった、狙い澄ました態度ではありません。
スマホもデジカメも、フィルムカメラのファインダーであっても、撮影時には水平垂直を示すグリッド線を通して世界を見る設定が用意されているわけですから、それを振り切って斜めに撮ることは力強い抵抗の証でもあるのです。
「現実」を自分の腕によってより良く変えていく意識・・・と言ったら言い過ぎかもしれませんが、だからわたしは「禁じられた斜め」を見たときに、そのアツい意欲に、なんだか愛おしささえ感じてしまいます。

つまり、「斜めの写真」が示すのは、カメラを傾けたそのひとが、知的で感性的な生物としてのヒトであって、そのヒトとしての立場を無意識に行使する撮影行為を行っているということ。
それは必ずしも「いい写真」には結びつかないこともありますが、逆に言えば、プロのカメラマンや、写真家のひとたちは、単なる道具としてのカメラをかなり信用しきっている状態だ、とも言えます。

なお、日本の写真界において「禁じられた斜め」的なニュアンスを感じさせる写真もないわけではありません。たとえば、石内都の「Frida」のシリーズなどはそのひとつ。めちゃくちゃ斜めというわけではないのですが、彼女の写真は、「ブツ撮り」なのに、斜めになることもいとわない。ブツ(not人=なんらかのもの)を撮るとき、カメラはどっしり水平垂直に設置されることが多いですが、目の前の物の引力に引っ張られているのか、あるいは、その物を彼女なりに正しく写す意識なのか、カメラはかなり動的で、「どっしり水平垂直」の正反対です。カメラを通じた、人間の感性と被写体の物が発するパワーとの激突を感じさせます。

というわけで、一億総カメラマンの時代になって、それなりにみんなが上手に写真を撮れるようになった今も、ときどき出会える「禁じられた斜め」は、もしかして、テクノロジーに完全には支配されきらない人間に残された矜持・・・なのかもしれません。

プロフィール

村上由鶴

むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。