カルチャー
スクショは写真なのか
文・村上由鶴
2022年11月30日
text: Yuzu Murakami
「いや、どっちだっていいけど」
と思う人が大半で、おそらくこんなことを考えているのは、写真研究者か、写真家か、アーティストたちくらいかもしれません。
「スクショ」=スクリーン・ショットは、キャプチャーともいいますが、パソコンやスマホなどのデバイスで、表示されている画面を保存するための機能です。
もちろん「ショット」だから写真とも言えるだろうけど、メモ代わりに使っている人も多いし、これはいわゆる写真(というもののスタイル――カメラを被写体のほうを向けてもってレンズの向こうを見つめてシャッターを押す)とは違うのではないか、と感じる人も多いかもしれません。
ここでこの話を終わりにしてもいいくらいの小さな問いですが、それでもこの問いを取り上げたいのは、これに対する答えこそ、現代の「写真」がいったいどんなものなのか考える手掛かりになると思うからです。
この「スクショは写真なのか」問題は、ここ数年、若手の写真家、写真を使うアーティストたち会って話を聞いていく中で、よく耳にした「ある感覚」と遠くでつながっているように思います。
その「ある感覚」とは、「あらゆるイメージを等価に受け取る」というもの。
例えば、Instagramやtumblr、Pintarestをはじめとする「画像(イメージ)」を扱うウェブ上のプラットフォームを通して、私たちは日々膨大なイメージが自分のデバイスのスクリーンを縦横無尽に流れていくのを見ていますが、そうやって目にするイメージの出どころは古今東西といった感じです。
名前は知らないけど顔だけよく見るモデルの次に、知らない人の10年前の旅行写真が出てきたかと思えば、静謐なモノクロ写真が出てきて、最新のファッションシューティング(これは大体動画)が出てきて、その後に、イラストみたいな現代アートが出てきたり、「それってあなたの感想ですよね?」とか言われたり、アイドルが踊ったり、フェルメールのようなオランダ黄金時代の美術がふと出てきたり、そこからしっとりとした釉薬が美しいい器が出てきたり、漫画広告が出て来たかと思えば、輝く焼き肉が食欲をそそったりしますよね。
近頃の若手の写真家たちは、まさにそうしたイメージの濁流に生きています。
例えば若手写真家デュオのSystem of cultureがインタビューのなかで「作品によって異なりますが、制作にあたってリファレンスにしているのはInstagramやtumblrのフィードです。Instagramやtumblrからのインプットっていうのは、現代の作家のひとつの特徴だと思う」と語っているように、他の若手の写真家のなかにもはっきりとした「師匠」や「憧れの写真家」といった権威に従うのではなく、流れてくるイメージを等価なものとして受け取っている人は少なくありません。
彼ら・彼女らはそうやって出会ったあらゆるイメージに対して、あくまでドライにスワイプ/スクロールで受け流している印象があります。
しかし、他方で、その「等価」なイメージの濁流のなかで偶然に出会った1枚から着想を得て制作することもまた彼ら・彼女らのひとつの特徴と言えます。いわばその写真家独自の「特別」の発見です。
つまり、有象無象・縦横無尽・古今東西のイメージのなかにも、彼らの目に留まるイメージがあり、その流れて来たイメージをひょいっと捕まえるための、もっともシンプルでお手軽な方法がまさにスクショです。彼ら・彼女らを写真家たらしめているのはキャッチするイメージへの感度の先鋭さやユニークさに他ならないのです。
現代の「等価」なイメージのなかから自分だけの特別なイメージを拾い上げて自分の制作の血肉にする行為は、濁流の中に手をぐいっと突っ込んで魚を生け捕りするよう。そしてそれはやっぱり結構写真らしい行為である、と言えるのではないでしょうか。
もはや「路上でスナップすること」が「盗撮」と言われかねない現代において、一部の写真家にとっては、「撮る/獲る」ことの主戦場が、とっくにウェブ上に移り変わっているといってもいいでしょう。その点では、写真作品を作るときの「獲る(撮影)→料理する(現像・編集・プリントなどなど)」というプロセスにはすでに結構大きな転換が起こっている可能性があります。いわば、パソコンやウェブは、調理と放流の場とは考えられてきているけれども、生簀としてはあまり考えられてこなかったようにも思われます。
パンデミック&ステイホーム後のいまでは、インターネットはより多くの人にとって身近なものになり、写真家に限らず多くの現代人がデバイスの中で自分の意識をうろうろさせ、イメージの濁流のなかを泳いだり、時にはこれぞ!というイメージ(あるいは知識など)を生け捕りしたりする場所になりました。
ですから「スクショ」は、デバイスのなかで「写真」を撮っているというだけでなく、最も身近な日常を記録している新しいスナップなのではないか、と思えてくるのです。
そう、もしかするとスクショこそ、「現代の写真」の最もリアルなありかたなのかもしれません・・・。ではまた!
プロフィール
村上由鶴
むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。
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