カルチャー
いま、写真に証明できるものはあるか?
文・村上由鶴
2023年1月31日
text: Yuzu Murakami
先日、役所に書類をとりにいったとき、「写真付きの身分証明書お持ちですか?」と聞かれました。「写真付きの」というのは重要なことのようで「コピーとりますね〜」と言って係の人はコピー機へ。
その人がカウンターに戻ってきたら、身分証の写真とわたしの顔を見比べるターンが来るな、とマスクを外して待機していたら、「はーい、お返ししまーす」と免許証を手渡されて終了しました。
正直こんなことはことさらにとりあげるまでもなく超よくあることで、「写真付き身分証明書」はとっくに「慣例的なもの」であり、これが誰かの存在を証明できるのは、社会的なルールによるところが大です。
顔も写真もほとんど自由に変えられるようになり、そのうえ顔の半分がマスクに覆われているわけで、もはや、「写真付きの身分証」と「わたしがわたしであること」の接点は、わたしたち身分証を持つ人たちの努力によるものとも言えます。
これってなんだか性善説が過ぎるような気はするけれど、もはや写真が写真に写った「それ」をそのまま正しく写しているなんて考え方は過去のものとなりました。
これは身分証に限ったことではありません。たとえば、ネットショッピングサイトや、旅行本、賃貸物件サイト、YouTube、芸能人やインフルエンサーの姿など、例をあげればきりがないけど、カメラを一度通過したイメージの「信憑性」はかなり薄いと言っていいでしょう。
だいたいの映像(写真であれ動画であれ)「よく撮れたらこんなふうに見えるんだろうな」、「露出あげてんな」「広角カメラ使ったらそりゃ広く見えますわな」という感覚と切り離すことはできません。
これは、誰もがカメラを持つようになったいま、多くの人がリテラシーとして獲得した感覚です。
このように写真はもはや、写真に写っているものを「証明する」力をほとんど失いかけています。
では、現代において写真(や動画)が証明しているものはもはやないのでしょうか。
そう問われると、答えは否であろうと思います。
というのも、写真のイメージが完全に虚構で作りものじみていたとしても、「写真を撮る」ということを、昔よりも多くの人が、多くの機会で経験するようになっているのであり、「撮る行為」自体は完全に民主化されました。
この「撮る行為」の民主化によって証明されるものがあります。
アイドルやミュージシャンのライブ映像や、レッドカーペットを歩くスターの映像を思い出してみてください。そのスターを取り囲み、熱狂する群衆の手には必ずスマホが握られています。
群衆たちはそのスターの写真を撮るためにスマホを握った手をのばし、そのスターを「この目に焼き付ける」というよりむしろ「自分の端末で映像を残す」ことに尽力しまくるわけです。
この経験の反転も興味深いですが、ここで注目したいのはスマホを握る熱狂した群衆です。
その群衆は、そのスターを支持する人の数を示しますが、彼らが撮影する写真(や動画)は彼らの人数よりも多くなるでしょう(熱狂すればするほどいっぱいシャッターを押す)。
さらにそのスターがおちゃめなポーズでもしようもんなら、その写真の枚数は跳ね上がるはずです。
いわば、民主化された「撮る行為」(の量)は、熱狂の民意を反映しています。いま写真はそれに写っているものを証明するのではなく、ひとびとの熱狂や情動、衝撃や感動を証明するのです。
TwitterやInstagramなど、フォロワーの数が明記されているSNSでは、当初は「支持」の数値化と考えられていましたが、「フォロワーを買う」というチート技が横行していることはすでに明白になっています。
そう考えると、フォロワーの数でもなく、「撮る行為」の数/量こそが、熱狂の総量に近いのではないかと感じます(誰だかわかんないけどなんとなくカメラを向けた、という人を含めても)。なお、もちろんその写真や映像が撮影される場所によって、群衆の数は異なりますが、そのように「場所に左右されること」という点だけは写真が変わらず持っている特徴かもしれません。
つまり写真の中ではなく写真の外において「人々の熱狂」が可視化され、「証明」されるのが、現代の写真の「真実性(真実らしさ)」なのです。
そして、いま、写真に証明されるものがひとびとの「熱狂」であるということは、写真が、よりわたしたちの感性・感覚に近い道具となっているということでもあります。
従って、タイトルの問いに答えるならば、いま、写真に証明できるものはイメージのなかにはないけど、「撮る行為」が証明するものは「まだある」と言えるのです。とはいえこれももしかしてもうすぐ変わってしまうのかもしれません。写真技術はわたしたちの感覚よりもちょっと足が速いのです。
ではまた!
プロフィール
村上由鶴
むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。
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