カルチャー
ティルマンスと「写真薄い」問題
文・村上由鶴
2023年4月30日
text: Yuzu Murakami
絵画、彫刻、映像、インスタレーション…など、アートにはさまざまな形態(メディア)があります。写真もそのひとつですが、写真の、ちょっと不利な特徴がその「薄さ」ではないかな、とわたしは常々思うのです。
薄いというのは、内容が薄いとか、メッセージが薄いとか、そういうことではありません。物理的な薄さのことです。
それを初めて強く実感したのは、美術系の大学の卒業制作展に行った時のことでした。
美術系の大学の卒展/修了展に行ったことがあるひとにはおわかりいただけるかもしれませんが、こうした展覧会というのは、たいてい学科ごとの展示になっていることがほとんどです。学科ごとというのはつまり、メディアごとに部屋が分かれているということであり、絵画や彫刻の部屋をまわったあとに、写真のコーナーに行くと、その薄さが際立って感じられることがあるのです。
もちろん、写真は二次元の平面ですから、薄いのは当たり前です。
最近では、日常で写真を見るときはモニターに投影される写真を見ることがほとんどですが、そもそも「もの」としての写真は紙として存在するものでした(ちなみに写真業界では、その「紙」として存在する写真のことを「プリント」と呼びます)。
美術として展示される写真のプリントは、多くの場合は額縁などに入れられます。
ちなみに、「絵画だって、写真と同じ二次元の平面では?」と思う人もいるかもしれませんが、キャンバスには少なくとも2cmくらいは厚みがあり、そのうえに絵の具を盛るような塗り方をすれば、もっと立体感が生まれます。
ですからもしキャンバスの絵画の横に、額縁に入れられてない1枚のプリントをぺたっと貼ると、写真はとても薄く、貧相に見えます。名作と言われる素晴らしい写真であっても、ペラペラのプリントがただ壁に貼られているだけでは、それは「素晴らしく」は見えないのです。
つまり、写真を額縁に入れるのは、写真の貧相さを隠すためだ、と考えることができます。
写真を額縁に入れるということは、写真自体が「正装」することであり、その「正装」のスタイルによって、鑑賞する人の姿勢も強制的に正されてきました。
さて、そんな「正装」スタイルの写真が主流となってきた写真芸術のなかで、スーツのような額縁を脱ぎ捨てて、裸のままの貧相な写真を展示したのが、ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans 1968-)でした(現在、エスパス ルイ・ヴィトン東京で展覧会を開催中。〜6月11日まで)。
ティルマンスの功績はここで全てを語りきることができませんが、日常の光景を切り取ったかのような素朴で「自然体」っぽい彼の写真は、ある時代を特徴づけ、多くの写真家が真似をしました。
その「自然体」的な写真に加えて、後の写真表現に大きな影響を与えた彼の発明のひとつが展示のスタイルです。
そのスタイルとは、美術館やギャラリーなどの空間(壁面)にペラペラのプリントを、ほぼそのままに貼って見せることで、写真の「薄さ」を際立たせる手法。彼の場合は、ひとつの壁面のなかに、大小さまざまな大きさの写真(額装されたものもプリントしただけの状態も含む)を、等間隔ではない形で配置しました。
そんなティルマンスは、彼が写真というメディアを使う理由のひとつに「(写真自体には、それが)芸術であるという露骨な主張がない」ことをあげています。
いわば、ティルマンスが写真に惹かれたのは、記録の道具としての「利便性」に特化した写真の裸の状態、弱々しくて「芸術然としていない」姿、つまり「薄さ」だったのでしょう。
逆に、彼に言わせれば、絵画や彫刻はある意味では「芸術然とし過ぎていた」。なぜなら、ほとんどすべての絵画は、(落書き的なものを除けば)それは常に芸術的なものを目指しているからです。彫刻となればなおさらでしょう。
ティルマンスは、写真自体が持つ弱々しい魅力を美術館やギャラリーに持ち込み、それまで額縁によって芸術らしさを装ってきた写真の生の状態を暴いたのです。
とはいえ、この、ティルマンスのスタイルは、美術館やギャラリーなどの格式高いアートのスペースだからこそ通用する手法とも言えます。
いくらティルマンスの写真であっても(彼の写真と知らなければ)、街なかの壁、あるいは飲食店の中にペラペラのプリントとして貼られていたとしたら、これは多くの人には見落とされてしまうでしょう(これはティルマンスの写真に限りませんが)。
さて、近年、特に日本では芸術祭や写真フェスティバルの一環で市中の、展示空間ではない場所や、飲食店などで写真作品を見せる展覧会やプロジェクトがより増えているように思います。
こうした「街なか写真展」的な企画は、日常のなかに作品がちゃっかり入りこませるという意味では、普段アートや写真に親しまない人にとって、よい出会いの機会となるかもしれません。
しかし、これは逆に言えば、よっぽどの写真でなければ、それが「芸術」だとは理解されないということに他なりません。ものとしての写真は薄くて弱いし、常にモニターの中には新しいイメージがあるからです。
ティルマンスが登場し、写真やアートの業界に衝撃を与えてからすでに30年経ち、彼のスタイルはもはや定番のものとなっているので、彼の作品自体を正装させていた要素として「美術館やギャラリーの空間」があったことが徐々に忘れられていっているように思います。
ですからいまは、展示室ではない場所で写真を見せるならばその写真のイメージ自体に強さや、あるいは「芸術然」とした態度が、良くも悪くも求められる時代と言っていいでしょう。
本来的に、薄くて、貧相な写真のあり方に、自覚的である人の写真しか、現代の日常を生きるわたしたちには見えないのですから。
プロフィール
村上由鶴
むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。
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