カルチャー
写真はもう、感動的に映らない?
文・村上由鶴
2023年8月30日
text: Yuzu Murakami
8月は、やはり戦争のことを考えます。
とくに太平洋戦争を描いた映画やドキュメンタリーなどを見ることが多いのですが、そのなかでも実は幼い頃におそらくテレビで見たきりで、あまり細かいことを覚えておらず、今年の夏に見返したのが中居正広主演の映画『私は貝になりたい』です。
この映画は、理髪店の店主が、太平洋戦争中に上官の命令で(とても嫌だったけど)捕虜を刺殺したとしてC級戦犯として逮捕され処刑されてしまう、というお話。実在した元陸軍中尉の遺書をもとにした、戦争の悲惨さを伝えるフィクションです。
このタイトルの衝撃的な語感だけが一人歩きし、ちょっとミーム的に使われがちな「貝になりたい」という台詞(遺書)ですが、実際、映画では、絶望のうえに絶望を重ねて、ようやく光が見えた…と思いきや、最大の絶望が訪れ、その先に、もうなににも生まれ変わりたくない、という境地に達して出てくる最も悲痛な日本語表現のひとつと言っていいと思います。
さて、この映画では、とても重要な小道具として、主人公・清水豊松の家族の写真が出てきます。
物語のクライマックスで、人知れず処刑される清水豊松。
彼の手にあるのがその家族写真です。13階段を登り切り、最期に家族の顔を目に焼き付けようと、手に握った写真をその手を開いて見ようとしますが、その瞬間、豊松は顔に袋をかぶせられてしまいます。とうとう写真を見ることができなかった豊松が、力を込めて手を震わせながら写真を握りしめたところで、刑が執行。力のなくなった手から写真がはらりと落ちるという演出になっています。
さて、この悲痛なシーンですが、いつも写真のことをぼんやり考えているわたしはなんだか気が散って、ここでの写真が担わされている役割についつい意識が向いてしまいました(よくない視聴者?)。そして、これからの(同時代を描いた)映画やドラマのような映像作品で、写真ってこういう重要な小道具にはもうなれないのかも?と思ったのです。
映画『わたしは貝になりたい』の場合、クライマックスの最も胸を打たれるシーンで写真が登場するのは、写真が紙の状態であること、つまり「モノ」として存在しているからではないかと思います。
さらに、その写真は家族写真であり、主人公にとってその写真が家族の「存在」とほぼイコールになっています。
はじめは綺麗な状態だった写真、何度も握りしめたことがわかるしわしわの状態の写真、そして、もはやその写真を握る力も尽きて家族とのつながりが完全に断絶してしまうことを示すように落ちていく写真…など、「モノ」として登場した写真は、それ自体が登場人物のようにさまざまな表情を見せています。
『わたしは貝になりたい』に限らず、映像作品において、写真は、重要な小道具として使われてきています(そういえば、先日見た是枝裕和監督の映画「怪物」にも、モノとしての写真が出てきました)。
でも、実際には、写真をわざわざプリントして、モノとして所持することは結構珍しいことになっている気がします。そうなると、かつての映像作品と同じように、写真に感動的な役割を担わせるのもなかなか難しいのではないかと思います。
例えば、現代を描いたドラマなどでは、かつて「モノ」として写真が登場したのとは写真自体が担わされる感情が全く違っているのではないかと思います(SNSの写真が発端になって事件が起こる、とか)。
そもそも、スマホをみんなが持つようになってから、コミュニケーションのあり方はだいぶ変わりました。映像作品におけるスマホの映し方やそこでの会話や事件の描写にも、それぞれの作品なりのさまざまな工夫が見られます。
そんななかで、一般にはほとんど「モノ」ではなくなりつつある写真を、映像作品のなかで描こうとするとき、写真の性格はかつてとは違うものになっていると言っていいでしょう。写真に写っている人と、「モノ」としての写真が同一視されることもなくなり、写真はその人自身ではない、虚像である、ということが演出にも現れています(当たり前のことですが)。
いわば、写真が感動的なアイテムとして映像作品に出演していたのは、写真が「モノ」であったからかもしれません。
ぐちゃぐちゃにしたり、破ったり、踏みつけたり、燃やしたりできる「モノ」としての写真という登場人物が成立しにくくなった現代の映像作品。
そのなかで写真がどのように描かれているのか(なんとなく脅迫だったり、猜疑心・虚栄心の象徴として使われている気がする、もちろん思い出ってのもあるにはあるだろうけど)を考えながら見ることから、いま、わたしたちが写真にどのような道具としての役割を期待しているのか、あるいは、なにを恐れているのかが、見えてくるかもしれませんね。ではまた!
プロフィール
村上由鶴
むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学。光文社新書『アートとフェミニズムは誰のもの?』(2023年8月)、The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」、幻冬舎Plus「現代アートは本当にわからないのか?」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。
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