カルチャー

映画の”怖い話”について考える。Vol.2/上條葉月

『幸福』(アニエス・ヴァルダ)

2026年7月10日

illustration: Shigokun
text: Hazuki Kamijo
edit: Keisuke Kagiwada

 毎月ひとつのテーマを掲げ、4人の執筆者にそれにまつわる映画エッセイを寄稿してもらう「映画の〇〇について考える。」。今月のテーマは、夏といえばということで、”怖い話”。2週目は字幕翻訳者の上條葉月さんが、ヌーヴェル・ヴァーグ左岸派のアニエス・ヴァルダ監督作『幸福』を紹介してくれた。

『幸福』/上條葉月

 先日『ひつじ探偵団』を観に行った。ひつじたちは、1、2の3で、なんでも忘れてしまうことができる。大切な人の死や、迫り来る恐怖のことを考えると、つらいし怖いし、耐えられない。だから全部忘れてしまおう!とひつじたちはいう。忘れることは幸せか、いや忘れてはいけないこともあるのではないか。ひつじたちのけなげな葛藤を観ながら、ふとアニエス・ヴァルダの『幸福』を思い出した。

 お揃いの洋服を着た子供たちと、手を繋いで歩く幸せな夫婦。緑豊かな美しい森の風景に同じメロディが響く。この映画の怖さは冒頭とラストで繰り返される一見瓜二つの「幸福」な家族の反復にある。『幸福』は夏から秋の季節の移り変わりが美しい自然や花々によって描かれるが、冒頭のひまわりの黄色がラストで見事な黄葉に変わっているだけでなく、一家の母であり妻である女性が変わっているのである。

 本作は満ち足りた家庭生活を送っている夫が、ある日突然別の女性と恋に落ちるという、いわば不倫関係を描いた作品だ。しかしその言葉の泥々したイメージがそぐわないほど、淡々としたリズムで劇的な瞬間を排除し静的に描く。唯一動的なのは、愛人であるマリー・フランス・ボワイエとの恋が始まる前に、突然動物園のライオンが映し出される瞬間かもしれない。夫のジャン=クロード・ドルオーは妻=植物と愛人=動物と対比する。それくらい違う2人だからどちらも愛しているのだと。

 ところが「奥さんの代わりはイヤ」といったはずの愛人は、最後にはすっかり彼女の代わりになってしまう。ラストのモンタージュで、彼女の顔を映さずに家事や日常動作の手の動きだけを繋ぎ合わせ、以前の妻と判別不可能にしてしまうのだ。そんな新しい母を子どもたちはすんなり受け入れる。まるで母親のことなど1、2の3で忘れてしまったかのように!花瓶の花が何度となく変わったのと同じみたいに、そこにいる人が変わっても、家族の日常は何一つ変わらない。

 初めて観た大学生の時、とにかく怖かった。まだ10代の自分の、誰かにとっての唯一無二でありたいという幻想が打ち砕かれた感じがした。幸福は代替可能で、自分がいなくても世界は問題なく続いていくという現実を突きつけられたような。こんな映画に『幸福』だなんてタイトルをつけるアニエス・ヴァルダはなんて怖い人なんだろう!

 10年以上ぶりに恐る恐る観直したけれど、意外と幸福ってこんな束の間の、そして繰り返されるものかもと思ってしまった。この映画の異様に美しいルックはこれが誘惑的なファンタジーであることを強調する。秋もいずれ終わり、冬が来るのだ。子どもたちはいずれ父を恨むかもしれないし、ボワイエは“動物”だった自分が恋しくなるかもしれない。それでもまた春が来て、冬の寒さを忘れるだろう。何度も四季をめぐるうちに私もひつじくらいいろんなことを忘れてしまったのかもしれない。それが何よりも怖かった。

プロフィール

上條葉月

かみじょう・はづき|字幕翻訳家。最近の字幕翻訳担当作に、リチャード・リンクレーター監督の『サバービア』やロバート・ワイズ監督の『捕らわれの町』など。訳書に『ヒッチコックとストーリーボード』。新宿ゴールデン街のバー『西瓜糖』でも時々働いている。

作品のあらすじ

『幸福』

アニエス・ヴァルダ監督

フランソワは妻子とともに幸せな暮らしを送っていた。しかし、フランソワがエミリという女性と知り合ったことにより、人生の歯車が狂い始める。一家がピクニックに出かけたある午後、悲劇が……。1965年のベルリン国際映画祭において銀熊賞他を受賞した。