カルチャー

映画の”着替え”について考える。Vol.1/堀潤之

『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール)

2026年6月5日

illustration: Shigokun
text: Junji Hori
edit: Keisuke Kagiwada

 毎月ひとつのテーマを掲げ、4人の執筆者にそれにまつわる映画エッセイを寄稿してもらう「映画の〇〇について考える。」。今月のテーマは、衣替えのシーズンにちなんで”着替え”。1週目は映画研究者の堀潤之さんが、ジャン=リュック・ゴダールによる不朽の名作『勝手にしやがれ』を取り上げてくれた。

『勝手にしやがれ』/堀潤之

『勝手にしやがれ』(1960年)の中盤、パトリシア(ジーン・セバーグ)とミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)が長い時間を過ごすホテルの一室のシーンに、よく知られた「つなぎ間違い」がある。七分袖のボーダーシャツを着ていたパトリシアが、次のカットではノースリーブで縦縞のトップスを着て洗面所の鏡の前で身繕いをしているのだ。『勝手にしやがれ』の撮影風景を劇映画として現代に蘇らせた『ヌーヴェルヴァーグ』(25)のリチャード・リンクレイターもこの箇所に着目し、スクリプターが服の違いに注意を促してもゴダールは意に介さず「着替えたんだろ」と答えるというやり取りを含めている。しかし、ここでパトリシアが着替えたとするなら、彼女は魔法のように一瞬で着替えたと考えるしかない。ミシェルとの会話は直前のショットとつながっているので、ここに物語内の時間の省略はないと考えられるからだ。

 したがって、これが『勝手にしやがれ』に散見される「つなぎ間違い」の一つであることは疑いない。だが同時に、この唐突な衣装の変化は、パトリシアという作中人物のあり方に照らしても示唆的である。彼女はそもそも〝やたらと着替える女〟である。あの鮮烈な「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」のTシャツからボーダーシャツに着替えた彼女は、この「つなぎ間違い」の直前にも、ミシェルがあちこちに電話をかけている間、画面外でスカートから白いショートパンツに履き替えている(画面外なので観客の目には見えないが、そう合理的に推定できる)。情事に及んだ後にはしばらくミシェルのシャツを羽織り、よりフォーマルな雰囲気のワンピースに着替えてミシェルと外出すると、記者会見の取材に着ていくための服をねだり、衣料品チェーン店のプリジュニックで買ってもらったらしいボーダーのワンピースに、途中で立ち寄った新聞社で衣装替えする(車で待つミシェルに向けてくるりと一回転して新調した服をお披露目する仕草が可愛らしい)。

 留意すべきは、パトリシアが着替えるところが画面にはいっさい示されないことだ。彼女の着替えは画面外で、シーンとシーンの間で、さらにはショットとショットの間で生じるのである。こうした観点から彼女に比せられるのは、序盤でミシェルが金を借りに行く女性(リリアーヌ・ダヴィッド)である。彼女は色男のミシェルが「キープ」している都合のよい女の一人なのだろう。いささかだらしのないパジャマ姿(しかも右肩の部分が裂けてしまう)のまま嬉しそうに突然の来訪を受け入れ、他愛のない会話を交わしながら、しまいには彼の面前で控えめに着替え始める彼女は、パジャマの上からワンピースを被ってパジャマを脱ごうとしているその最中に、ミシェルに衣装箪笥の中のお金をまんまと盗られてしまうのだ。隙だらけの彼女に比べると、決して着替えの最中を見せることのないパトリシアははるかに手強い女である。ミシェルが最終的に彼女に出し抜かれてしまうのは、彼女が〝いつの間にか着替える〟という特技を持っていたからなのかもしれない。

プロフィール

堀潤之

ほり・じゅんじ|映画研究・表象文化論。関西大学文学部教授。著訳書に『映画論の冒険者たち』『ゴダール・映像・歴史』(いずれも共編)、ニコル・ブルネーズ『ジャン=リュック・ゴダール 思考するイメージ、行動するイメージ』、アンドレ・バザン『オーソン・ウェルズ』、ジャック・ランシエール『映画の隔たり』『イメージの運命』、コリン・マッケイブ『ゴダール伝』など。

作品のあらすじ

『勝手にしやがれ』

ジャン=リュック・ゴダール

盗んだ車でパリへと向かう途中、マルセイユで白バイ警官を射殺したことから指名手配となった自動車泥棒のミシェルは、アメリカ人留学生パトリシアの元へ転がり込むが……。1950年代末のフランスで起きた映画ムーブメント“ヌーヴェル・ヴァーグ”の存在感を世に知らしめた、ゴダールの長編デビュー作。