カルチャー

二十歳のとき、何をしていたか?/上出遼平

2026年8月6日

photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2026年8月 952号初出

突然の呪いで勉強漬けに。
バンドもボクシングも中国での日々も、
瞬間瞬間を積み重ねたら、今に繋がった。

ライブハウスから帰っても、
欠かさず勉強をした。

「好奇心あるのかなあ。あるように見えているでしょうね、外からは。好奇心旺盛な人だって思われていますよね。でも本当はやりたくないんですよ。事件を追うのだって怖い。たまたま自分にできることがこれだったとしか説明できないんですよね」

 旅をして、ニューヨークで店を営み、Podcastでトークする。映像ディレクター上出遼平さんの様々な活動を支えるものが、好奇心だけでないとしたら何だろう。その生い立ちを聞きに国分寺へ向かった。出身は東京の西に位置する小平市。国分寺は青春時代の多くを過ごした隣町だ。

「地元の小さい塾に通ってたんですけど、親に『もっとハードなところに行きたい』と言って早稲アカ(早稲田アカデミー)に入れてもらい、わりと全国上位に入ってました。サッカー部の最後の試合と駿台模試の日がかぶったときは模試を取ったくらい」

 学ぶ楽しさを知ったのは『学研』の教材だったという。その気持ちのまま中学校に上がったら、学年の成績が一番になった。
「あ、自分は勉強ができるんだとわかってそこから呪われたんです。一番以外はダメなんだって。だから辛かった。中1から超徹夜して教科書も丸ごと覚えてました」

 呪われた上出さんは、僅かでも勉強の負担を減らすべく大学の付属校に進学した。遊ぶのは変わらず地元の友達で、授業が終わると国分寺に帰り、幼馴染みとバイクに乗りバンドを組んだ。音楽の入り口は兄の部屋からCDを盗んで聴いたザ・ブルーハーツ、ゴーイングステディ、ハイスタンダード。中学3年生で初めてオナニーマシーンのライブに行って衝撃を受け、ザ・スターリンやアメリカ、イギリスのバンドも聴いた。中高校生のバンド活動というとコピーから入りそうなものだけれど……。

「パンクとか言ってる奴らがコピーバンドなんて許されるわけないじゃないですか。でもランシドとかニルヴァーナのコピーしてる軽音楽部をバカにするくせに向こうのが圧倒的に上手っていう。僕たちがやってたのはどのジャンルでもない、音楽とも言えない音楽。僕もドラムの叩き方がわかってなくて、シンバルとかスネアを投げたらいいのかなと思って普通に投げてました」

 ボーカルはラバーソールにピンクのライダースとデニム、ギターの友人はディッキーズにヴァンズ。上出さんはボンデージパンツに革ジャン。モヒカンやスパイキー頭で尖ったいでたちの少年たちは、当時街に溢れたゴスパンクを「あれはファッションだ」と敵視していた。「どう考えても自分たちもファッションなんですよ。だけどそんなのはくだらないと思ったし、そんな歌を歌ってました」

 内部進学できるとはいえ二段階選抜の可能性もある。上出さんはライブハウスから帰っても机に向かい、人気の法学部に進んだ。

「法学部なら法律が学べるし法の抜け穴もわかるかなって(笑)」というのはもちろん冗談だけれど、背景には高校初期に非行に走った経験もあったそうだ。当時、グレた自分自身にも違和感があったし、法律は興味を持って学べる分野ではと考えたのだ。そして少年非行の研究を始めた。

「僕のグレ方は可愛いもんですけどね。心配してほしかったってことだと思います。多分、あまりにも優等生だったんですよ。兄は兄で嫌なグレ方をして、家族がぶん回される修羅場が時々あって、僕は家族の仲を取り持つためにご機嫌ピエロをやっていた。自分だって心配される存在でありたいのに、どこかでそれが破綻したんだと思うんです。『心配してよ』って」


AT THE AGE OF 20


写真は眉毛がなかった17歳の頃。大学で非行について学んだ上出さんによればグレるトリガーは「不良漫画」だそう。「不良のなり方なんて普通知らないけど、漫画を読めば『まずこういうバイクを買うのか』とわかりますからね。あとは地元の先輩。僕の時代はEXILE系が出てきてたんですけど、池袋の『手刀』というライブハウスで出会った先輩がカワサキのピンクのZ400FXに乗っていてリーゼントに特攻服姿がカッコよくて。バイクで遊んでただけで本気じゃないんですけどね。あとヨレヨレになって朝帰っても絶対勉強してたんで親も仕方ないなって感じでした」

大学時代のNGO活動で、
中国のハンセン病回復者の村へ。

 大学に入って始めたことがもうひとつある。前からやりたかったボクシングだ。

「どれだけ金や地位や職があっても路上で殴られたらおしまい。ある程度自衛できたほうがいいんじゃないかとずっと思っていました。基本的に僕の人生は弱点克服の積み重ねなんですが、肉体的制圧力が欠けている気がしていて。高校生の脳にはダメージが大きそうだけど、大学生ならいいかと思って始めました」

 国分寺駅近くのサイトーボクシングジムに入会。早朝に約10㎞のロードワークをし、教室の最前列で授業を受け、ジムでトレーニングをし、バイトに行って帰って寝る。そんな生活を二十歳まで続けてプロライセンス取得後にパタッとやめた。ボクシングで食う気はなかったからだ。では当時の上出さんの将来の夢はなんだったんだろう。

「なかったです。未だにないです。先を考えることができないって人生の序盤で気づいて。だから全試験頑張っちゃうんです。先々こうなりたいと思えたら手を抜けるけど、できない。そのかわりちょっと先に何かあると思った瞬間に全力でアクセルを踏んでしまう。一生フルフルでやるしかない」

 テレビ局の採用試験を受けたのは募集が早かったことが理由で、必ずしもテレビ局員になりたかったわけではなかったそうだ。だが、ジムを辞めたあと学内の友人に誘われたNGO活動は、その進路に影響を及ぼしたかもしれない。内容は、中国のハンセン病の回復村でのボランティア。年に2回ほど中国の山奥の村に数週間滞在する。電車とバスを乗り継ぎトラックの荷台に乗って行くと聞いて興味を惹かれた。

「活動の大きい柱は困っていることの解消。トイレが壊れたら直す、道がガタガタだったら直す。もうひとつは正しい認識を広めること。ハンセン病って国からの扱いがすさまじくて、例えば小学生でも『この子はハンセン病だ』となったら連れていかれて二度と家族と会えなくなる。でも本当は感染のリスクは少ないし、仮に感染しても発症リスクは低い。発症しても薬があるから治せる。三段階で恐れるべき病気ではないと言える。それを周囲の人々だけでも正しく知っていれば回復者のみんなは近くの街に下りて買い物だってできるわけです。だから僕たちが『どうもどうも』と回復村から街に下りていってじいちゃんばあちゃんと飯食ってる写真とかを見せて説明をすると、ああ平気なんだと思ってもらえるんです」

 物事を正確に伝えるにはどうしたらいいのか、上出さんは考えを巡らせた。

「知ってもらうには面白くなきゃいけない、という思考回路から、テレビの道が見えた部分はあると思います。世の中の課題を真面目なドキュメンタリーで放送したって誰も見ませんよね。でも隔離された人たちは何を食べてるの? という切り口なら見てくれるかもしれない。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』はまさにその延長線上で、実は繋がっているんです」

 二十歳までの間に、上出さんを上出さんたらしめる核は完成していたんだと思う。目の前の問題に向き合い、できることに全力集中する。確かにそれは好奇心とは別の力のような気がする。

「僕のパーソナリティの重要な部分は忍耐力だと思います。頑張るぞって決めたら頑張り続けられるんで、僕は。それがずば抜けて強くて、みんながやりたくないことをやってるだけ。それは教育のおかげかなと思いますけどね。親が十分に愛を注いでくれたから、何があっても自分の幸福や存在を否定することにはならないし、外圧に耐えられる自分が出来上がった気がします。それにいくらかの好奇心と、親父が星野道夫の写真集を僕にこそこそ与えてくれていたから山や自然への関心がある。すべてが合わさって今の僕になっている感じです」

プロフィール

上出遼平

かみで・りょうへい|1989年、東京都生まれ。テレビ東京在籍時に『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を手掛ける。退社後2023年にニューヨークへ移住。今年3月、友人たちとブルックリンのグリーンポイントに山道具を扱うショップ『CONTRASTO』をオープン。著書に小説『歩山録』(講談社)、『MIDNIGHT PIZZA CLUB 1st BLAZE LANGTANG VALLEY』(同)など。YouTube『健康チャンネル』(www.youtube.com/@KENKO-KAMIDE)配信中。

Instagram
https://www.instagram.com/kamide_/

取材メモ

撮影の合間、街を歩く人に「いつも見てます。気をつけてください」と声をかけられていた上出さん。未解決事件を取材するYouTube『健康チャンネル』を立ち上げて以来、多くの視聴者が無事を祈っているようだ。著書も数冊出しているけれど、学生時代にブログを書いていたそう。「ライブドアブログで日々の徒然なることを書いてました。ブロガーという感じではなくて、文章を書くのが好きだったんです。特別な情報じゃないけどたまにビュー数が上がることがあって、快感を覚えたところはあるかも。ミクシィはむしろ唾棄すべきものと思ってやってなかったです。ミクシィはシャバい、やっぱライブドアブログだろみたいな変に硬派な感覚があって。兄貴の部屋にあった『特攻の拓』を読んでたのが大きいかも」