カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/田中直樹
2026年4月20日
photo: Koichi Tanoue
text: Neo Iida
2026年5月 949号初出
どこまでも普通だった少年が、
親友に誘われ、芸人になり、
コメディの世界を生きるまで。
野球と工作が好きな小学校時代。
中学で親友・遠藤さんに出会う。
「本当にもう普通の生徒でした。目立つこともなく、かといって一人ぼっちかと言われるとそうでもなく、友達もいて、成績も運動も普通。普通を集めてふるいにかけたら、最後まで残らず途中で落ちるくらい普通。昔の友達はみんなびっくりしてます。僕がお笑いやってるのを」
ココリコの田中直樹さんは、10代の自分を「普通」と語る。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』ではジョーカーならぬTANAKERに扮し、『ホットスポット』などのドラマでは名演を見せる。あらゆる舞台で個性を発揮する田中さんの、普通の青春を振り返ってみよう。
「末っ子の長男で可愛がってもらったと思います。姉が2人いて、上のお姉ちゃんとは9歳、真ん中のお姉ちゃんとは6歳離れていて、2人とも優しくて」
生まれは大阪の豊中市。第2次ベビーブームで、街は子供で溢れていた。小学生の頃は近所の友達と野球をして遊び、チームにも所属して野球ばかりしていたという。学校で特別目立つことはしなかったけれど、工作は好きだった。
「ローラースケートが流行って、靴と一体型の1万円以上のと靴にベルトで固定する3000〜4000円のがあって、小学生には買えないので自作しました。近所の工場のおっちゃんが廃材をくれはるんですよ。その木の板に椅子のキャスターを8個くっつけて。でもキャスターやから方向が固定されず、足を置く感じで進まないといけない。何も楽しくなかったです」
別のクラスにはのちの相方となる遠藤章造さんがいた。喋ったことはなかったが、野球も喋りも上手な人気者で、生徒会長に立候補する活発な少年だった。二人は中学の同じクラスで仲良くなる。
「僕は遠藤さんのことが好きで、感性が近くて、いつも笑わせてもらってたんです。遠藤さん、当時から『龍』っていうギャグを持ってたんです。目頭を指でつまんで細くして、もう片方の腕をヒラヒラさせて、その手の先が尻尾かと思いきや口だっていう(笑)。本当にしょうもないんですよ。でも当時は大好きで。どんどん仲良くなって」
中学でも大人気の遠藤さんとは同じ野球部で、より距離が近づいた。白球を追いかけて3年間を過ごし、遠藤さんは香川の強豪校へ。田中さんも地元の高校で野球部に入ったものの、練習がきつくて1週間で退部。頭数合わせで誘われたハンドボール部に入部した。それからは授業と部活の普通の日々。お笑いは見ていたのだろうか。
「大好きでしたよ。ドリフもひょうきん族も。中学のときはとんねるずさんの『夕やけニャンニャン』を見て新しいものが始まった気がしましたし、高校の頃はダウンタウンさんの『4時ですよーだ』。部活がない日が楽しみでした。あとコメディがずっと好きだったんです。小学生のときから日曜洋画劇場で『Mr.BOO!ミスター・ブー』とか『ピンクパンサー』を見ていて」
AT THE AGE OF 20
写真は上京したての二十歳の田中さん。遠藤さんが久我山の親戚の家に住んだので、その近くで部屋を借りたそう。電車を乗り継ぎ、溜池山王駅近くの東京支社までネタ見せに向かった。東京NSCが設立前で、先輩にはTEAM-0や極楽とんぼがいて、のちにDonDokoDonやペナルティ、ロンドンブーツ1号2号が入ってきた。「我々、デビュー当時はココリコボンバーズって名前やったんです。でも加藤さんがいつも『ダメだよ、ボンバーズいらない。ボンバーズちぎっちゃえよ』って言うんですよ。あ、『取る』『外す』をこの人『ちぎる』って言うんだって(笑)。でもココリコにしたら仕事も増えたので、ちぎってよかったなと思います」
二十歳でアテもなく上京。
銀座七丁目劇場を経てテレビへ。
高校卒業後はデザインの専門学校に入学し、店舗設計のクラスに。ものづくりが好きだったし、2番目の姉の夫がデザインの仕事をしていて魅力を感じたのだそうだ。遠藤さんはというとプロ野球選手をあきらめ香川で働き、19歳で大阪に戻ってきた。二人がお笑いを志すのはこの頃だ。
「卒業制作の提出期限をだいぶ過ぎて卒業できひんかもっていうとき、遠藤さんがちょうど大阪の仕事を辞めて『時間ある。何もすることがないわ』って家に来て手伝ってくれたんですよ。1週間ぐらい毎日、朝から晩までずっと。僕もうあれ遠藤さんの作品だと思ってるんですけど(笑)。でもギリギリで卒業したので就職活動ができてない。遠藤さんは中学生の頃から将来はプロ野球選手か芸能人になるのが夢で、野球は難しいから芸能界に入りたいと。で、就職が決まってない僕を誘って東京に行く話に」
デザインや設計の仕事を考えていた田中さんには寝耳に水。驚きはなかった?
「ありました。だって遠藤さんは中学の文化祭で『プロ野球ニュース』をネタにめちゃくちゃ面白いコントをやってるんですよ。一方僕は『知って得する盲腸』っていう研究発表をしたんです。盲腸になる生徒が多かったから。遠藤さんのコントは生徒でギュウギュウだったのに、僕は人が減って担任の先生だけ頷いてくれて……。でも遠藤さんには卒業制作を手伝ってもらった感謝があったし、僕も芸能に全く興味がないわけではなく、コメディに憧れる自分もいて。あと丹下健三さんのデザインが採用された都庁を見たかった。東京への憧れですね」
吉本興業の養成所NSCには高校卒業後の18歳で入学する生徒も多く、二人は遅いスタートを自覚した。たったの2年。だがその2年に遅れを感じ、「それやったらいきなり東京でスタートしたほうがいいかもね」と話し合った。同時に「3年たったときに一分一秒でも何かのレギュラー番組に携われてなかったら諦めようか」とも約束した。’92年、二十歳で上京。当時は東京にNSCができる前で、オーディション雑誌でライブを探した。ある日お笑い番組で芸人が「今度ライブやります。オーディションもあります」と告知しているのを目撃し、急いで3分ほどのコントを作った。
「見せたら『いいじゃない』と言われ、その夜のライブに出させてもらえることに。もちろんウケないんですけど、一か所だけ5割くらいの人が笑ってくれたんですよ。そのひとつの笑いで『あっ嬉しい、幸せ。もっと笑ってもらえたら』と感じたことがない感覚になって。初めて人前に立つのが楽しいと思えました。それが初舞台で、吉本主催のライブだったんです。それからずるずる吉本に預かってもらって」
初舞台が’92年5月。やがて’94年3月に銀座七丁目劇場が開館した。それからは劇場のオーディションを受けて出番をもらう毎日。バイトをしないと食べていけないし、「数日間を数百円で過ごさなきゃ」という苦しい時期もあった。でも劇場の先輩には恵まれ極楽とんぼの加藤さんも「お前らは大丈夫だよ」と言ってくれていた。「極楽さんの仕事がどんどん増えている頃で、そんな人が言ってくれはるんやったら大丈夫かなって」ただ、テレビに出ようともがいてもなかなか結果が出ない。遠藤さんとも衝突した。
「ウケるウケないをお互いのせいにしてコミュニケーション取らなくて、楽屋で取っ組み合いの喧嘩になったんです。言い返さなと思って『なんだ、てめえこの野郎!』と言おうとしたら、慣れなくて『なんだ、このてめえ野郎!』になっちゃって(笑)。先輩が入って笑いにしてくれました」
奇跡的にその後すぐレギュラー番組が決まり、3年の約束は果たされた。芸人になるとは思っていなかった田中さんは、『いきなり!黄金伝説。』や『ココリコミラクルタイプ』などの冠番組で求められることに応え続けた。二十歳の頃は必死だったが、芸歴を重ねた今、わかったことがあるという。
「コントやコメディが好きなのは小学校の頃からの延長線上にあって変わらないんですけど、バラエティもその場その場で演じてるのかもわかんないです。企画に対して自分がどういうふうにそこにいたら面白くなるか、がベースだし、シチュエーションがあったほうがやりやすい。そういう世界が好きなんだと思います。それが30代、40代くらいから見えてきた。今54歳なんですけど、どんどん楽しくなってきてるんです」
プロフィール
田中直樹
たなか・なおき|1971年、大阪府豊中市生まれ。1992年、親友の遠藤章造とココリコを結成。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』などのバラエティに加え2001年の映画『みんなのいえ』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、俳優としても活動。現在ドラマ『月夜行路 −答えは名作の中に−』(日本テレビ)に出演中。
取材メモ
雨が降る3月の寒い日、吉本興業旧東京支社付近で撮影。当時、東京支社はオフィスビルのワンフロアだった。「1階の駐車場とか近くの路地で立ってネタ合わせしてましたねえ」。取材では遠藤さんとのエピソードがざくざく。中学最後の試合はキャッチャーの田中さんの送球ミスが敗因に。今でもこう言われるそう。「遠藤さんが言うにはですよ。『みんな落ち込んで歩いてんのに、田中は帰りしな普通にたこ焼き食ってた』。覚えてないんですよ。確かに試合中からお腹すいてたなみたいな記憶は微かにあるんですけど。『いまだに信じられない』って」
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