カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/荒俣 宏
2026年2月17日
photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2026年3月 947号初出
俗悪漫画、博物学、幻想怪奇小説。
好奇心の赴くまま好きを追求し、
コンピューター室で原稿を書いた20代。
『世界恐怖小説全集』を読み、
幻想怪奇小説に魅せられた。
「東京の子って天邪鬼で、ひょっとこ曲がりが多いんですよ。特に我々みたいな昭和20年代生まれの共通の特徴は、人が嫌がることが大好きで、人から褒められることが大嫌い。そして自虐主義なんだよね。何日間メシ食ってないなんて普通は恥ずかしくて言えないけど、逆に自慢するわけ。先生に『お前顔色悪いぞ』と言われて『3日前から何も食ってないです』って返すのがカッコよかったから」
荒俣宏さんは戦後間もない昭和22年、まさにその年、下谷区と浅草区が合併して誕生した台東区下谷に生まれた。幅広いジャンルに精通する荒俣さんの審美眼は、幼少期から鍛えられていた。
「近所に漫画が1冊ひと晩10円で借りられる『ネオ書房』という貸本屋ができたんです。幼稚園児だと借りられないから、小学校に上がるのを待ち構えて会員になりました。店頭に並ぶのはエッチな作品やホラー、時代劇といったいわゆる俗悪漫画ばかり。無理もないですよ。昔は中学を出たら働きに行かされるわけで、貸本屋に来る若い人は難しい哲学の本なんて読まない。僕も教科書に出てくるような立派な本は一切読まず、ものすごい迫力で人を斬る画を描く平田弘史の時代劇漫画ばかり読んで、そこから江戸時代が好きになりました。僕たちは漫画で歴史を学んだ最初の世代なんです。当時の大人は読まなかった『三国志』も『水滸伝』も子供の我々は漫画で読めてしまった。なかでも新選組の生き方が僕の好みに合ったんですよねえ」
興味は広範囲に及び、博物学も大好きだった。特に水生生物に興味を持ち、よく近所の川でメダカや蛙を採集したという。そんな荒俣少年の人生に大きな影響を及ぼしたのが、中学3年のある日の出来事。おたふく風邪で寝込み、ふと手に取った新聞の折り込み広告に惹かれた。
「池袋の西武デパートでゾッキ本のセールをやっているというお知らせで、そのチラシに今まで見たこともないような恐怖小説が販売されると書いてあったんです。早速親に電話してもらったら配達してくれて、読んだ途端これは新しい文学だとわかりました。それが東京創元社の『世界恐怖小説全集』。治って学校に行き直したときには別の人間になってました。もう一生この小説をやろうと思って」
古典の怪奇実話やゴシックホラー、心霊小説を束ねて全12巻で刊行された『世界恐怖小説全集』は『吸血鬼カーミラ』『幽霊島』『怪奇クラブ』などの翻訳をイギリス文学翻訳家の平井呈一さんが手掛けていた。幻想怪奇小説にすっかり魅了された荒俣さんは、興奮して平井さんに手紙を書いた。
「『今まで読んだことがなかった小説です。向こうには吸血鬼なんていうのがいるんですね。私は中学3年生でこういう本をもっと読みたいんですけれど、どこにも売っていない。どうしたらいいですか』って出版社に送ったら、なんと返事が来たんです。驚いちゃって。作家の先生が中学3年生にですよ?」
平井さんからの返信には「中学3年生からファンレターが来たのは初めてです。日本には翻訳された怪奇小説はほとんどないので、好きならぜひ英語をやりなさい。原書は日本橋の『丸善』に海外の本がたくさんあるからそこに行って買いなさい」と書かれていた。早速『丸善』に行き、店員に促されるままカタログで注文をした。選んだのは恐怖小説全集5巻『怪物』に3編収録されていたH・P・ラヴクラフトの小説。半年ほどたって現物が届いた。
「1日1ページから2ページぐらいずつ辞書を引きながら読みました。でも短編を一冊読み終えても、主人公が何をやったのかわからないし、最後に変な怪物が出たな、くらいしか掴めない。でも不思議でね、2作目、3作目と読み進めるうちにストーリーがわかるようになってくるんですよ。平井先生も指導してくれてね。高校に入った頃はホラー小説の日本語吹き替えもやってました。そんなことしてる高校生は珍しかったと思うけど」
AT THE AGE OF 20
二十歳の頃、荒俣さんは大好きな新選組にさらに夢中になっていた。「受験勉強中に、『新選組血風録』という司馬遼太郎原作のドラマを観たんです。スポットが当たるのは近藤局長でも土方でもなく隊士たち。負けていく人々の悲劇を描いた斬新さが面白くて、友達と新選組研究会を作りました。しかも制作費がなく役者は大部屋俳優ばかりで、若手の栗塚旭さんが演じた土方歳三がもう当たり役。僕は大ファンになり、二十歳の頃は栗塚さんの新選組と一緒に生きてました。いつか会いたいと思っていて、京都国際マンガミュージアムの館長のオファーが来たとき、栗塚さんは京都の人だから『会わせてくれるならやります』と返事をしたら夢が叶いました。それからずっとお友達で、栗塚さんが亡くなる前の昨年の3月には、一緒に日本海のズワイガニを食べに行きました。二十歳から会いたかった人とお友達になれて。すごく記憶に残ってます」
夜のコンピューター室で
やさぐれながら原稿を書いた。
インターネットがない時代だけれど、荒俣さんは好奇心によって自らの世界をぐんぐん広げていった。平井さんを介して、当時『現代人の読書』を上梓した評論家の紀田順一郎さんとも親交を深めた。一方、同級生は「受験勉強なんてやらねえぞ」という態度を決め込み、荒俣さんも休み時間には漫画を描いていた。
「それがカッコいいと思ってたわけですけど、支配的な勢力に反対する人が大勢いたんですよ。多数決が嫌いで、少なければ少ないほど自分たちのステータスが上がると思いこんでいた。つまり体制が嫌い。それは学園紛争も起こしますよね」
慶應義塾大学法学部に進学した荒俣さんは、いくつかの雑誌に原稿を寄稿するように。同人誌も出版し、紀田さんと一緒に『怪奇幻想の文学』の編集、翻訳、解説を担当。精力的に活動を広げるなか、将来作家になろうという気持ちはあったんだろうか?
「全くなかったですね。だって怪奇小説なんて誰も読んでくれないわけですから。どこかに勤めながら、あくまで趣味として書いていこうと思ってました」
就職先には日魯漁業(現マルハニチロ)を選んだ。この会社なら昔から好きな水生生物の研究ができると思ったのだ。
「でもね、入社してから9年間コンピューター室でした。鮭の養殖場で研究しながら暮らそうと思ってたのに、『文系の卒業生は営業だ』と言われて、断ったら船の積み荷を管理する資材部に配属されちゃって。結果的に楽でしたけどね。夜勤なんで原稿を書いても怒られないから」
昼と夜が逆転した社会人生活の始まり。’60 年代が終わりを迎えたちょうどその頃、アメリカからサブカルチャーやカウンターカルチャーといった新しい考え方が日本に伝播し始めた。
「『社会のあなたは半分、プライベートのあなたがもう半分。どっちを重要視するかはあなた次第』みたいな感じで、例の『サタデーナイトフィーバー』が大ブームになるんです。昼は会社の雑用係、夜になるとディスコのスーパースター。あれが当時の若者たちのひとつの理想型。それと僕の生き方がぴったり合った。まともな同期は昼で精いっぱいだけど、我々は夜のやさぐれの人ですから、夜を待って会社でいろんなことをやる。その感じが良かったんです」
経営危機でクビになりかけても、荒俣さんはやさぐれながら居直って10年勤めた。20代のほとんどを、夜のコンピューター室で原稿を書いて過ごしたのだ。
「友達もなく、誰にも好まれなくても、僕にはいろんな師匠がいましたからね。それに当時は社会が膨らもうとして社会に余白があった。高度経済成長期で給料も上がって、余分な人間を雇えた。新しい文化がたくさん出て、もう固定化された社会じゃなくなって、いろんな生き方ができた。我々のような人間もうまく当てはまったんです。そこに今の若い人たちと同じような『別に辞めてもいいんだぜ?』ってへそ曲がりのやさぐれ精神があって、自分をフィクション化することに役立っていた気がします。自分を自分で騙す方法を知ってたんじゃないかな。新選組もそうだけど、死ぬときまでカッコよさがありゃいいっていうね。20代の頃はそういう精神でした」
プロフィール
荒俣 宏
あらまた・ひろし|1947年、東京都生まれ。1987年に伝奇小説『帝都物語』が日本SF大賞を受賞し大ベストセラーに。1989年、『世界大博物図鑑 第2巻 魚類』でサントリー学芸賞受賞。幻想文学などの翻訳、評論、妖怪評論や図像学研究など領域を横断した活動で知られる。
取材メモ
取材の中で荒俣さんが話してくれた若者への言葉。「今の人たちって、スマホでも何でもなるべく繋がらないようにしてるじゃないですか。私たちの20代は全く逆で、なんとか繋がろうと思ってたんです。そこで僕が採用した方法が『弟子になる』。勉強になるし、師匠に言われたことはやらなきゃいけないけど、その足かせも快い。ネットワークはバーチャルだからデマがあるけど、師弟関係はたとえ嘘があってもリアルです。二十歳の頃に、そういう繋がりをひとつふたつ持っておくといいと思います」
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