カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/白武ときお
2026年5月20日
photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2026年6月 950号初出
TSUTAYAで毎週10枚レンタル。
映画の知識と神泉での出会いが、
作家への道を作ってくれた。
京都と千葉で2回売れた。
笑いに助けられた小学校時代。
放送作家の白武ときおさんは京都生まれ。父親は東京出身、母親は高知出身で両親の地元ではないが父親が食器などのデザインをする仕事をしており、その会社の本社のある京都で生まれ育った。大阪同様お笑い文化が身近で学校も笑いの濃度が強かった。
「小学1年生の時点でクラスに“面白いヤツが強い”空気があったんです。笑いを作る子が中心で、笑いを取らないと友達もできないし人気者にもなれない。なので面白い子の親友になって遊びながら、こう笑いを作るのかと真似をして。いちばんではないけど面白い寄りにはいたと思います」
テレビを見るようになったのは島田紳助とダウンタウンが好きな父親の影響だが、3年生の頃に気になっていた女の子が『学校へ行こう!』の大学生がギャルに勉強を教えながら恋愛も発生する企画が面白いと教えてくれて、自分の意思でバラエティ番組を見始めた。以来、どんどんテレビを見るように。そして5年生のときに親の転勤で千葉へ。父親からは「関西から関東に来た奴はいじめられるか人気者になるかどっちかだから頑張れ」とアドバイスがあった。
「もう5年生で友達関係が出来上がっているなか、どうしたら人気者になれるか考えて『授業の最後に漫才をやりたい』と先生に言って、友達と披露したんです。一問一答の大喜利にツッコミがあるような漫才で、なんとか面白いやつ認定を受けて。笑いに助けられた瞬間ですね。京都でも面白く思われなきゃいけなかったし、関東に来てまた面白く思われなきゃいけなくて、今思えば芸人がよく言う『2回売れた』みたいな感じだったかもしれません」
友達ゼロでのリスタートを笑いで切り抜けた白武さん。中学ではサッカー部に所属したが、楽しくサッカーがしたいだけだったからみんなで緩く練習をしたし、高校では見学の段階で先輩に怒鳴られて即帰宅。厳しい体育会系とは決別した。そこからはレンタルDVDを観まくる生活が始まる。『ピザーラ』でバイトをし、貯めたお金で自室にテレビと大容量のデッキと5・1chのスピーカーを揃え、シアターを作った。
「TSUTAYAでDVDを毎週10枚借りて返す、というのをやってました。年間500枚は観てましたね。中1で『笑ってはいけない』シリーズが始まってめちゃくちゃ面白くて、リアルタイムでダウンタウンさんの『リンカーン』とか『ザ・ドリームマッチ』を観てたんですね。TSUTAYAにはそれ以前の『ごっつええ感じ』や『働くおっさん劇場』のDVDがあって、こんな面白がり方あるの? と衝撃で。一方で『死ぬまでに観たい映画1001本』という本を参考に名作も潰していきました」
誰かと感想を言い合うでもなく、ひとりインプットを続けた。その頃、松本人志さんと高須光聖さんのラジオ『放送室』を聴き、初めて“放送作家”という職業があることを知る。作家になれば大好きなテレビの裏方の仕事ができる、と興味を持ち始めたそうだが、そこまでお笑いが好きなら芸人になろうとは思わなかったのだろうか。
「中学の頃から自分より隣の大きいヤツが言ったほうがウケるなと思ってコソコソ伝えたり、全校集会で『マイクを盗んで一言言ったら面白いんじゃない?』とヤンキーをそそのかしたりしてたんです。怒られたくないのもあるけど、面白いことを誰かにやらせたい感覚はずっとありました」
AT THE AGE OF 20
写真は千葉県の小学校時代からの友達とご飯を食べているところと、深夜に友達とTSUTAYAにDVDを返しに行った様子。『学生HEROES!』以来、人づてに様々な番組の仕事を受けるようになった白武さん。「運が良かった」というが、バイトをせず作家業だけでやってこられた裏側には努力もある。「試行回数は多かったと思うし手を挙げ続けてはいました。声をかけられる発生率を上げることが大事だなと思ったので、いかに日本テレビの打ち合わせスペースにいて、ディレクターさんが通ったら企画書を渡すか。若手作家はみんなそうですけど、あちこちに顔を出してアピールしていましたね」
神泉のバーで師匠と出会い、
やがて憧れの番組の作家に。
気持ちが確かになるのは、大学進学後、ちょうど二十歳の年だ。
「大学生活が楽しめなくて、なんとなく高須さんのホームページを見たら鈴木おさむさんや売れっ子作家のインタビューが載っていて。学生の頃から放送作家の世界に入り込んで活動を始めたという話を読んで、そんなに早くからスタート切れるんだ、と。それで放送作家になろうと決めました」
作家コースのある養成所もあるけれど、通ってもなれるかはわからない。今でこそ「大学お笑い」の勢いはすごいが、2010年当時ではプロになれる人は全然いなかった。お笑いを仕事にしたいけど、なかなか叶わなそうという空気があった中で白武さんはどうにか糸口がないか作家へのアクセスを考えた。
「高須さんのサイトから知った放送作家の情報を調べていたら、渋谷のバーで作家の鮫肌文殊さんと中野俊成さんが主催するレコードイベントがあると知り、顔を覚えてもらおうと。『作家になりたい!』と熱心に行くより楽しみながら通い、何度目かの会で僕の隣に見覚えのある人が座ったんです。それが『笑っていいとも!』や『ココリコミラクルタイプ』、僕がテレビを好きになったきっかけの『学校へ行こう!』を担当していた樋口卓治さん。思い切って『作家になりたいんですけど』って声をかけたら『そうなんだ。じゃあ今度仕事場においでよ』と言ってもらえて、あ、なんか始まるかもと」
翌週、仕事場に行ってみたが、樋口さんは酔っ払っていて何も覚えていなかった。
「でも師匠は優しくて『言ったならしょうがないね』と、作家やスタッフになりたい学生を集めた部活動に入れてくれて、『学生HEROES!』という番組のスタッフにも付けてくれたんです。そこで真空ジェシカやママタルトの檜原くん、今のストレッチーズ、ひつじねいりの細田くん、など同世代の芸人志望の人たちに会いました」
師匠の樋口さんは、入り口を与えたあとは「広げるのは自分の技量だよ」というタイプ。番組スタッフに漕ぎ着けたチャンスを生かすべく、白武さんはネタを書いた。
「そうしたら演出の渡辺資さんに『次にフジテレビでこういう特番やるから手伝ってよ』と声をかけていただいて、そこから育ててもらいました。さらに先輩作家の深田さんに『白武はダウンタウンさんのこと詳しいから、「笑ってはいけない」の若手探してるけどどう?』と行き着いて。参加させてもらえることになったんです」
憧れの番組の作家になる切符が自分の元に! レギュラー作家に加え、特番にはさらに作家が投入され、わずかながら若手も参加する。しかしベテラン勢には敵わない。
「30年間もお笑いを最前線で研究し続けているチームなので、小僧は通用しないんですよ。何を言っても『もうやったよ』ということばかり。でもなんとかネタで使う面白いフレーズをたくさん出して採用されて、あと映画の知識が生きたんです。このシチュエーションならこういう演技や展開がある、という年上の人の共通言語があった。徐々にちょっとはいいかもと思ってもらえたので案を出してハマろうと必死でした。人生で一番頑張ったときかもしれないです」
学生時代から作家の仕事を始めて、就職しようとも思わないまま大学を卒業し、気づけば大人気番組に参加していた。振り返ってみれば、白武さんは壁にぶつかるたびに自分なりのやり方を考え、実践し、突破している。正解のない道だからこそ、成功した喜びは何ものにも代えがたいのでは。
「もちろん個人の手柄ではなくチームプレーの結果ですけど、自分が考えたフレーズで松本さんが笑ってお尻を叩かれたとき、これまでの人生って全部意味があったんだって思えました。大量にいろんなものを見たからひねり出せたんだなと。あと『笑ってはいけない』1年目の最後、全体会議の終わりで高須さんに『ときお、来年もよろしくね』って言ってもらえて、あ、通用したんだって。あれは本当に嬉しかったです」
プロフィール
白武ときお
しらたけ・ときお|1990年、京都府生まれ。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)、『ざっくりYouTube』『ママタルト本物チャンネル』などを担当。最近はボードゲーム『サンレンタン』『パパパパパ行』などを制作している。
Instagram
https://www.instagram.com/tokiocom/
取材メモ
作家人生の出発点、樋口さんと出会った神泉の『BASE』で撮影。20代前半はテレビの放送作家として奮闘した白武さんだが、後半はテレビに加えYouTubeにも活動の場を広げた。「上には1963、1964年生まれくらいの大御所作家さんがいて、いつまでたっても追い抜けないなと思っていました。2015年頃からネット配信の動きが始まり、2016年にABEMAも開局して、これは何かあるぞと。同世代の芸人たちとカルチャーシーンを作っていきたくて、Aマッソや霜降り明星のYouTube番組を始めていきました。さらに10年たって潮流の変化を感じるので、囚われずにいろんな分野の仕事をしていきたいです」
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