カルチャー

映画の”怖い話”について考える。Vol.1/後藤護

『血ぬられた墓標』(マリオ・バーヴァ)

2026年7月3日

illustration: Shigokun
text: Mamoru Goto
edit: Keisuke Kagiwada

 毎月ひとつのテーマを掲げ、4人の執筆者にそれにまつわる映画エッセイを寄稿してもらう「映画の〇〇について考える。」。今月のテーマは、夏といえばということで、”怖い話”。1週目は暗黒綺想家の後藤護さんが、残虐な怪奇映画『血ぬられた墓標』を紹介してくれた。

『血ぬられた墓標』/後藤護

 1960年はホラー映画のヴィンテージイヤーだとされている。

 誰もがご存じヒッチコック『サイコ』を筆頭に、ジョルジュ・フランジュ『顔のない眼』、マイケル・パウエル『血を吸うカメラ』、ロジャー・コーマン『アッシャー家の崩壊』など、それ以前の古典的ホラーとは一味も二味も違うラディカルな傑作が生み出された、いわゆる「奇跡の年(Annus mirabilis)」。今回紹介するマリオ・バーヴァ監督『血ぬられた墓標』もそんな60年産ヴィンテージの一本で、死とエロスをバタイユ的に融合させ、さらにモノクロームの映像が崇高美の域にまで達したイタリアン・ゴシック・ホラーの逸品だ。

 この映画を伝説化させたのは、何と言っても冒頭の苛烈を極めた処刑シーンとみて間違いない。時は17世紀、バルカン地方某国の王女アーサは、魔術を行った罪で魔女裁判にかけられ、恋人とともに処刑される。松明に照らされてぬらっと輝く半裸の上半身をさらし、頭には黒い目出し帽をかぶった、筋骨隆々の不気味な処刑人たちが、縛められたアーサの背中に「S」の焼き鏝を当て、烙印を押す(SはSatanの略語と思われる)。

 刑罰はこれで終わらない。内側に鋭いトゲが何本もついた悪魔の仮面を処刑人が手に取り、それを美しいアーサの顔に押し当て、さらにはその上に全力でハンマーを叩き込み、仮面から大量の血があふれ出るとともに彼女の悲鳴が上がり、タイトルクレジットに突入するショッキングな導入だ(アヴァンタイトルの時点で残虐が最高潮に達するのは東映の「異常性愛路線」の先駆け)。

 なぜこのミソジニックな顔面拷問シーンに恐怖を覚えるのかを自己分析するに、アーサを演じるバーバラ・スティールの、いまなら「ガンギマリ」と呼ばれそうなほど見開いた目玉によるところが大きいのではないか。つまり、彼女の異様に見開かれた目玉を通じて観客は、目というもっとも脆弱な器官に感覚がフィクスするので、あのトゲつき仮面がぐさっと刺さるとき、なにか自分の目にも突き刺さってくるのではないかと、犠牲者に我が身を重ねながら、マゾヒスティックに追体験してしまうのだ(男性観客は殺人鬼に追いつめられるホラー映画のヴィクティム・ヒロインにマゾヒスティックに感情移入して映画を見ている、と解き明かしたキャロル・クローヴァー『男と女とチェーンソー』の洞察に依拠している)。

 まあ、いくら冒頭の拷問が怖いと言っても、映画全体を通じて見れば、近ごろのジャンプスケア(突然のショックシーンで椅子から飛びあがるくらいビビらせる演出)に慣れたホラーキッズたちにとっては、まったく怖くないかもしれない。古城、蝙蝠、吸血鬼、秘密の隠し通路など、ゴシックホラーの常套表現をこれでもかと詰め込んだ演出は、もはや荒唐無稽とさえ感じる向きもあるだろう。とはいえ、ゴシックホラーとは、そうしたお決まりのディテールが醸し出す恐怖の「ムード」を、熟成したヴィンテージワインのように「味わう」優雅なジャンルなのである。

プロフィール

後藤護

ごとう・まもる|暗黒綺想家。著書に『黒人音楽史 奇想の宇宙』『悪魔のいる漫画史』『ゴシック・カルチャー入門』など。8月下旬に新刊『博覧狂気の怪物誌』を刊行予定。現在『日本戦後黒眼鏡サブカルチャー史』を準備中。

作品のあらすじ

『血ぬられた墓標』

マリオ・バーヴァ監督

18世紀のバルカン地方。王女アーサは魔女裁判で処刑される。およそ200年後、ひょんなことから蘇った彼女は、自分を殺した一族への復讐を決行していくのだった。イタリア怪奇映画の父、マリオ・バーヴァの記念すべき監督第1作。