カルチャー
映画の”着替え”について考える。Vol.2/鷲谷花
『怪盗ルパン』(ジャック・ベッケル)
2026年6月15日
illustration: Shigokun
text: Hana Washitani
edit: Keisuke Kagiwada
毎月ひとつのテーマを掲げ、4人の執筆者にそれにまつわる映画エッセイを寄稿してもらう「映画の〇〇について考える。」。今月のテーマは、衣替えのシーズンにちなんで”着替え”。2週目は映画研究者の鷲谷花さんが、ジェントルマンなアルセーヌ・ルパンが大活躍する『怪盗ルパン』を取り上げてくれた。
『怪盗ルパン』/鷲谷花
ジャック・ベッケル監督『怪盗ルパン』(1957年)は、1906年発売のルノー「タイプA1」を運転するアルセーヌ・ルパン(ロベール・ラムルー)のクロースアップで始まる。自動車にフロントガラスがなく、運転に防風・防寒装備が必須だった時代らしく、ルパンはツイードのドライビングコートにフラップ付きのキャップをかぶり、ゴーグルをかけているが、ハンドルを握る両手を覆う3本ステッチの白い革手袋が、実用的な服装といささか不釣り合いに見える。庭園の木陰の暗がりで降車したルパンが、コートとキャップ、ゴーグルを脱ぎ捨てると、下からは、白手袋と合わせて一分の隙もないタキシードにホワイトタイの正装が現れる。首相の別荘の舞踏会に潜り込み、ルネサンスの名画を盗み去るにあたり、怪盗紳士ルパンには特別な仕掛けは必要ない。ただ、その場にふさわしく装い、バルコニーの手すりを飛び越えて、近くで休憩していた貴婦人をワルツに誘うだけでよい。
この映画の場合、「怪盗紳士」の「紳士」と「怪盗」は、背反的ではなく相補的な概念らしい。ルパンは、「紳士」としての会話、所作、そして装いのコードを完璧にわきまえているがゆえに、同じ特権階級の者たちだけに開かれた空間に自在に出入りし、貴重な財を盗み去る「怪盗」として立ち回ることができる。
第一次世界大戦前の欧州社交界の紳士たちのドレス・コードは国境を越えて共有され、映画の後半で、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世(O. E. ハッセ)の城に拉致されてきたルパンには、ロンドンのサヴィル・ロウの老舗ヘンリー・プールのジャケットが着替えに提供される。ルパンは、パリの自宅ではスレートグレーのベルベット、老紳士に変装してホテルに滞在する時はバーガンディーのチェックのフランネル、ドイツ皇帝の城ではボルドーのサテンとベルベットのガウンにそれぞれ着替える。生地やデザインは変わっても、「プライベートでくつろぐ時はガウン」という規範は、居所を問わずに守り通される。
同性の紳士たちは、自分たちのコードを共有する「身内」のルパンが、実は「怪盗」であることを決して見抜けない。ルパンの正体を見極め、捕える力は、マニキュア師のレオンティーヌ・シャニュ(ユゲット・ユー)はじめ、もっぱら女性たちのみに備わっているらしい。
大半の登場人物が特権階級に属する映画の中で、例外的に食べるために働かなければならない身分のレオンティーヌは、ホテルのマニキュア係として、ルパンの変装した老紳士を接客し、面倒な来客の相手を早く終えたいので、続き部屋のドアを開けて無言で合図するよう頼まれる。娘の婚礼支度に田舎からパリに出てきた老富豪に化けたルパンは、結婚祝いの宝石類を選ぶ口実で、宝石商をホテルに呼び出していた。頼まれた通りにドアを開けたレオンティーヌを、老紳士の令嬢だと思い込んだ宝石商たちが、合図に応じた老紳士が隣室に入るのを見送り、父娘が購入する品を決めて戻るのを待つすきに、ルパンはすべての宝石を盗んでホテルを去る。
ルパンとの共犯を疑われてホテルを解雇されたレオンティーヌは、ルパンの世を忍ぶ仮の姿である紳士ラロッシュの世話で、パレ・ロワイアルの高級理髪店に再就職する。客として訪れたラロッシュ/ルパンの爪の手入れをするうちに、それがホテルの老紳士と同一人物の手だと悟ったレオンティーヌは、その手首に警察官だった亡父の形見の手錠をかけ、居合わせた警部に逮捕を求める。しかし、ラロッシュの正体がルパンだと聞いた店内の紳士たちは、こぞって大笑いで否定し、ラロッシュが首相とも懇意のパリの名士だと知らされた警部は、なすすべもなく手錠を外してしまう。失望と憤りにかられてその場を後にするレオンティーヌは、チップを渡しに追ってきたルパンに、「焦ったでしょ、あなたはルパンよ」と告げる。
『怪盗ルパン』と同時代の1910年前後、働く女性向けの既製服が普及し、女性の服装から階級を判断することが、従来と違って難しくなっていた。上流階級の客を見慣れたはずの宝石商たちが、レオンティーヌを老富豪の令嬢と見誤るのも、そうした時代の潮流ゆえではなかったか。腕一本で自活するばかりか、亡き父親の手錠を受け継いでルパン捕縛に挑むレオンティーヌは、旧時代の女性には未踏だった領域へと果敢に踏み込むが、その挑戦は、怪盗紳士を取り巻く紳士たちの結託に阻まれる。
しかし、『怪盗ルパン』が回顧する、国境を越えて「身内」のコードを共有する特権階級の共同体は、映画の時代から間もなく勃発する第一次世界大戦を機に崩壊してゆく。ベッケルが助監督を務めたジャン・ルノワール監督『大いなる幻影』(1937)では、交戦国となったドイツとフランスの紳士ふたりが、戦地にあって互いに友情を感じ、共に自分たちの階級の終焉を哀惜する。一方、レオンティーヌのような女性には、さらなる未踏の領域をめざす機会が拓かれつつあった。『怪盗ルパン』では、ルパン捕縛に惜しくも挫折するレオンティーヌだが、いずれ痛烈な一矢を報いる時も近いかもしれない。ルパンの別れ際の投げキスに投げキスを返し、そのまま振り向かずに歩き去るレオンティーヌの後ろ姿には、そんな予感も漂う。
プロフィール
鷲谷花
わしたに・はな|映画研究者。近年は昭和期の幻灯(スライド)に関する調査研究活動と、現物のフィルムと幻灯機による上映活動にも取り組む。『姫とホモソーシャル 半信半疑のフェミニズム映画批評』は、第45回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞した。
作品のあらすじ
『怪盗ルパン』
ジャック・ベッケル監督
モーリス・ルブランによる古典的活劇小説の実写化。1910年の春の夜、フランス上院議員の屋敷で、各界の名士を招いた夜会が開かれていた。突然灯りが消え、再び灯りが点くと数枚の名画が紛失。代わりに残されていたのは、アルセーヌ・ルパンの名刺だった。
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