TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#1】地元の街で遊ぶように暮らす
執筆:パリッコ
2026年8月15日
我が家の最寄駅は西武池袋線の「石神井(しゃくじい)公園」だ。その駅のある東京都練馬区石神井町と、石神井台、上石神井、下石神井などからなる、ざっくり“石神井”と呼ばれる街に住みはじめて、もう18年目になる。
街というものは、住めば住むほど、そして遊べば遊ぶほど(酒場ライターである僕の場合は、飲めば飲むほど)あちこちにつながりができ、それがまた不思議な縁を呼び、解像度が高まってゆくものだ。その空気が自分に合えば、思い入れや地元愛が強まっていって、どんどん離れがたい場所になっていく。この都市ならばどこの街がおすすめ、とかではなく、どんな街にもそういう要素があって、僕にとっては偶然それが石神井だったということだろう。正直、骨を埋めたいと思っている。
数年前に大規模な駅前再開発があり、かつ、今もまた駅前に26階建て複合タワーを建てるだとかで、風景はどんどん変わっていっている。それでもまだまだ古い個人商店や酒場は残っているし、街の新たなる活力剤となるようなおもしろい店も増えている。
大好きだった酒場の店主が亡くなってしまい、もう二度とその店に通えなくなるという経験も少なくはなくなってきた。20年近くも住めば、そういう変化も目の当たりにせざるをえず、喜び、悲しみ、祈りなどの種種雑多な感情とともにこの街で生きていくことを、もはや宿命のようにすら感じはじめている。
と、なんだか大げさな書き出しになってしまったけれど、僕にとって石神井での暮らしは、まるで毎日が終わらない夏休みのような、のんきで楽しくて飽きのこない日々だ。
街を歩けばなじみの酒場の店主が買いものをしていたり、そこでよく顔を合わせる常連客が、夕方の銭湯の湯船の隣にいたりする。娘が保育園から小学校と進学し、家族ぐるみで付き合う人の数も増えた。なかにはかなり酒好きなパパ友もいて、もはやパパ友というかただの飲み友。この年になって気兼ねなく地元で飲める新しい友達が増えるのは、なんだか楽しい。
もうひとつの大きな要素はやはり「石神井公園」。駅寄りの石神井池、道を挟んで東側の三宝寺池を中心とした、都内でも屈指の自然豊かな公園で、特に三宝寺池エリアの風景は、東京23区内とは思えないほどだ。ここを散歩するのは僕の日課で、春夏秋冬どころか1日1日風景が変わり、まったく飽きることがない。
このコラムでは、そんな地元、石神井のなかでも特に個人的にお気に入りのスポットを紹介させてもらいたいと思う。初回は、いきなりパーソナル極まりない場所になってしまうけれど、「自分の仕事場」。
僕は長年会社勤めをしていたが、2000年ごろから、好きが高じて酒や酒場の記事を書くライター業を副業的に始め、2019年に酒場ライターとして独立した。その際、強いこだわりがひとつだけあった。それは「家とは別に仕事場を持たなければならない」ということ。
僕がもっとも影響を受けた文章家は東海林さだおさんで、10代のころからエッセイをむさぼるように読んだ。そして、東海林さんの自伝や対談などを読んでいると度々出会うのが「作家や漫画家として独立したならば、家庭とは別に、どんなに小さくてもいいから自分だけの仕事場を持つべき」という持論だった。
自分がライターになるなんて考えてもいなかった若かりしころからその考えが擦り込まれていたわけで、当然、独立したら仕事場を持たねばと、なかば義務のように考えていた。運が良かったのが独立当時、石神井の街に「スタンド・ブックス」という、古民家を改装した小さな出版社があったこと(現在は太田出版内に「スタンド・ブックス」レーベルとして存続)。代表の森山裕之さんも酒好きで、これまた街の縁で知り合い、今までに何冊も一緒に本を作らせてもらった。当時、そのオフィスにデスクがひとつ空いているということで、破格の値段で仕事場として間借りさせてもらうことができたのだった。
昔ながらの木造の平家で、隣は森になっていて、なんだかジブリ映画の世界に登場しそうなシチュエーション。そんな場所を3年ほど仕事場として使わせてもらった時代のことは、40代にしてなお青春の 1ページとして自分史に刻まれている。ただ、スタンド・ブックスの業態変更により、そこを撤退せざるをえなくなったのが2022年のこと。
そんなに金銭的な余裕があるわけでもないんだから、自宅で仕事をするのが現実的だろう。けれども僕には、まだ東海林イズムの灯が残っている。最後の望みをかけて、地元エリアで探しに探したら、どう考えても破格、かつ自宅から歩ける範囲の、条件の良い物件と出会うことができ、以来そこを個人の仕事場としている。
単身向けの小さなアパートで、間取りは6畳一間プラス小さな玄関兼キッチン、それから、ロフト。とはいえ、2面に窓があってやたらと日当たりが良く、リフォーム済みで清潔感があり、ロフトがあるおかげで天井が高く圧迫感もない。ロフトも、収納と考えるとかなりのスペースがある。
真っ白なその空間にまずは必要最低限ということで、レースのカーテンだけをつけ、それから最初に持ち込んだのが、仕事用のテーブルと椅子のセットだった。これは、その少し前に閉店してしまった地元の名店「龍正軒」から譲り受けていた、由緒正しき町中華のダイニングセット。創業以来50年の歴史が詰まったものだ。
真っ白な空間に、真っ赤なテーブル。それだけしかない、どこかSF的ですらある光景に興奮したあの日。自分の新たなる人生の章の幕が開けたような感覚は忘れがたい。
なるべくものを増やさず、なにもない空間のままに使っていきたいという当初の思いはどこへやら、その後仕事場は、ひたすら自分の好きなものだけが集まる雑多な空間へと変貌していった。
子ども時代に使っていたものをオークションで買いなおした、確実に今の時代にそぐわない巨大なコンポ一式。しかしながら、休憩時間にこれで聴く好きなレコードが極上の癒しだ。
居住スペースではないので、季節ものの着替えなどを保管しておく必要がなく、クローゼットも仕事の道具でいっぱい。趣味である駄骨董(主にリサイクルショップでディグってくる、一般的には価値がなさそうだけど自分的にぐっとくる食器類)も、やたらと増える。
特にコレクションに近い「チューハイグラス」や「とっくり型の日本酒瓶」は油断すると増えてしまうのだがやめられず、たまに取り出して眺めては悦に入っている。酒飲み的なシンパシーを感じ、いつのまにやら増えてしまった「たぬきグッズ」コーナーもお気に入りだ。
日中の仕事中、昼食後に15分から30分くらいの短めの昼寝をすると午後の集中力が段違いであることは良く知られている。会社員時代の長年の悩みが、その昼寝をどこでするか問題で、時間に対する費用を払って漫画喫茶などで無理やり寝ていた。個人の仕事場がありがたいのは、その昼寝がいつでも自由にできることだ。午後のやわらかい日差し差し込む店内で、かつて少し奮発して買ったロッキングチェア要素のある大きな座椅子に座り、しばし昼寝をする。その極上の回復タイムは何物にも変えがたい時間だし、いつも思わず寝過ぎてしまう。
ごくたまに、ここに友達を呼んで飲み会をすることもある。若かりしころ、東海林さんのお友達でもあった椎名誠さんの『哀愁の街に霧が降るのだ』という私小説を読んで大きな影響を受けた。日の当たらない狭いアパートでの、貧しくて荒々しいけれども豊かな日々。僕は東京出身だったこともあり、残念ながらそういう暮らしの経験がないのだけれど、今、この仕事場でその追体験をしているようで、正直、すごく楽しい。
プロフィール
パリッコ
ぱりっこ|酒場ライター。1978年、東京生まれ。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。
Instagram
https://www.instagram.com/paricco/
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