将棋ファイル

香川愛生/女流四段

2026年8月18日


photo&edit: Masaru Tatsuki
text: Fuya Uto

――将棋は何歳から始められましたか?

小学校3年生、9歳のころでした。当時、学校や学童保育で、雨の日はベーゴマなどアナログゲームが流行っていて、一つとして将棋がありました。クラスメイトの男の子に教えてもらい始めたのですが、やっぱりルールを覚えたてだと、なかなか勝てず。男の子と対等のはずなのになんで勝てないのか。負けず嫌いだったのですごく悔しくて、近所の道場や教室に通うようになったんです。そこから、昨日まで勝てなかった子や大人に勝てるようになり、あまりの気持ちよさに満たされ、どんどん楽しくなっていきました。

――勝つことの楽しさと同時に、性別や年齢が関係ないことも惹かれた理由でしょうか?

そうですね。子供のときは喧嘩っ早く、ボーイッシュで……。男の子と取っ組み合いの喧嘩をしてしまうような、納得いかないことがあると体が先に動いちゃうタイプだったんです。でも、特に学年が上の男の子が相手だと、体格の差もあって何もできなかったりするじゃないですか。将棋の場合はそれが全くない。どんなに年上でも、体が大きくても、自分が頑張れば勝てるというのが、すごく魅力的に感じたんです。それに当時は女の子が全然将棋をやっていなかったんです。「他の子がやっていないことをやりたい」という気持ちがあったので、むしろチャンスと捉えていたのもモチベーションの一つでした。

――将棋には、暮らしのなかでどのような役割があると感じますか?

先を読むゲームなので、日常生活でも二手三手先のことを考えたり、相手がいるから戦えるので、相手のことを考えたり。ちょっと考えすぎなくらい、日頃から目の前のことや人のことを考えるようになったのは、将棋の影響だと思います。会話で相手に「こう言ったら、こういう風に返ってくるのかな」と、何パターンか考えるのは癖になっていますね。それと、将棋を指す前は少し口下手で、初対面の人と上手にお話しすることが苦手だったんですが、盤を挟み、色々な世代や性別の人と対話し、感想戦で自分の考えを話す経験を経て、だんだん「人が考えていることを想像する力」が鍛えられた気がします。将棋をやっていなかったら、全然身についていなかったと思いますね。

――考えるのは、やはり相手に勝ちたいからでしょうか?

そうですね。将棋を極めたいというよりは「相手に勝ちたい」タイプです。例えば藤井聡太竜王・名人のように、勝敗に囚われすぎず、最善手や将棋そのものを究めていきたいと語られるトップ棋士の先生方もいらっしゃいますが、私はかなり逆。AIや将棋の神様が「この手が最善手」と言う手が存在する局面だとしても、目の前の対戦相手にだけ勝ちやすくなるような手が別であったとしたら、迷わずそちらを選びたい。将棋は人と人とでやるものなので、相手の癖、戦い方、価値観、こだわり、強いところ、弱いところなど、それらをなるべく感じ取って戦う。だから、対局までの間、寝ても覚めてもずっと相手のことばかり考えて過ごしているんです。対局の事前準備のひとつとしては、相手の過去の棋譜を見て、「この場面でこの人はどんなことを考えているんだろう」と思考の癖を読み解こうとしたりします。将棋の面白いところは、そうした対局を通して「人の大事にしているもの」を考えられるところだと思っています。

――それでも、ものすごい準備していたとしても負けてしまったときはどのように自身と向き合っていますか?

もう、本当にガッカリします。将棋って「負けました」と自分で言わなくてはいけない、ルールというより、珍しい文化があります。とにかくその言葉は言いたくないですが、負けを受け入れるということを、将棋を通して学べました。将棋をやっていなかったら、大人になっても自分の失敗と向き合えない、弱い存在のままだったかもしれません。だからこそ、何より戦っているときが最も自分が生きている実感が持てる。ファンの方には「戦闘民族ですね」とか、先輩からは「真剣師の生き残りみたいだね」なんて言われたりしますが、まさにそう。純粋に戦うことが好きなんです。特別な時間を味わわせてくれる将棋という存在に、とても感謝しています。

――日常生活の中で将棋の視点で考えてしまう瞬間はありますか?

私は将棋でも「早指し」派で、短い持ち時間の棋戦のほうが成績が良いタイプです。将棋って、とにかく考える競技だと思われがちですし、いや実際考えることもすごく大事なんですけど、短い時間で最善手に近いところに手が伸びる対局観や感覚もすごく大切だと思っています。理想を言えば、さまざまな物事に対して、洗練されている人ほど短い時間でより良い解にたどり着けると思っているので、日常でもそうありたいです。……と言いつつ、例えば洋服の買い物など、正解がないときでも正解を考えちゃったりも。「一番似合う服があるはずだ」とか、考えすぎなのは正直自分でも気になるところです。

――香川さんの「脳内盤」は、どのような形や色をしていますか?

普通の木の盤と駒ですね。背景は特になくて、盤だけが見えている感じ。ただ、デジタルの盤なのかアナログなのかもよくわからなくて……あまり「頭の中で見て考えている」という自覚がないんです。その時々で目の前にある将棋盤が、そのまま頭の中に残像としてあるだけ、という感覚に近いかもしれません。

――普段、どのような環境で練習されているのでしょうか。
真っ暗な部屋でデュアルモニターとパソコンをつけて研究しています。明るい部屋が苦手なので、電気を全て消し、画面と遮光カーテンの隙間から漏れてくる光だけの環境。作業中は部屋の隅っこで「名探偵コナン」のアニメをずっと流しつつ、黙々と研究をしています。作業中は、子供のときからコナンが大好きでどの話もどんな事件か、誰が犯人かわかっているので、BGMとなっていますね。同じ曲がリピートされるよりか、話がどんどん移り変わっていくアニメの方が集中できるんです。

――もし将棋をやっていなければ、何になっていたと思いますか?
母一人子一人の家庭なので、とにかく当時は「早く働いて母を楽にさせてあげたい」という気持ちが強かったですね。ひたすら将棋と向き合い、小学校6年生でアマチュア女性の日本一に、中3でプロになりましたが、将棋を続けた先に「女流棋士」という職業がなければ、私はこうした選択はしていなかったのではないかなと思います。もし将棋に出会っていなかったら、ずっと「自分は何をすべきか」と悩み続けていたかもしれません。10代でこの道だと決められたことは、人生の大きな転換点でしたね。

プロフィール

香川愛生

かがわ・まなお|1993年、東京都生まれ。女流四段。15歳でプロデビューし、立命館大学在学中の2013年に「女流王将」のタイトルを初獲得。翌年も防衛。2019年からスタートした自身のYoutubeチャンネル「女流棋士・香川愛生チャンネル」では趣味であるゲームやコスプレを通じて将棋普及活動に注力している。

Official Website
https://kagawamanao.com/

Official Youtube
https://www.youtube.com/channel/UCDsB5oS-K8To0NAz4iWVNKQ