カルチャー

映画の”食”について考える。Vol.3/荻野洋一

『生きている画像』(千葉泰樹)

2026年10月30日

illustration: Shigokun
text: Yoichi Ogino
edit: Keisuke Kagiwada

 毎月ひとつのテーマを掲げ、さまざまな執筆者にそれにまつわる映画エッセイを寄稿してもらう「映画の〇〇について考える。」。今月のテーマは、いよいよ秋が始まったということで、”食”。今回は映画評論集『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』の著者である荻野洋一さんが、日本映画『生きている画像』について書いてくれた。

『生きている画像』/荻野洋一

 タクシーの後部座席にて。「その角を右に曲がるんだ」「ああ、すし徳ですか。ダメですよ。値段がべらぼうに高くて、板前が無礼な奴です」――映画『生きている画像』(1948/千葉泰樹監督)の1シーン。画壇の大家・飄人先生(大河内傳次郎)と3人の門弟を乗せたタクシーがすし徳に到着する。1948年キネマ旬報ベストテンで9位に選出された『生きている画像』だが、その真価に見合う名声を後年も博しているとはとても言えない。

 こわもてのすし徳(河村黎吉)がカウンターごしに睨みを利かせている。飄人先生、お燗を自分でつけつつ、最初の握りをつまむ。そして門弟たちに向かって「君たちの来るところじゃないね。これはなかなかのものだよ」「そうですかね?」「いや、これだけの穴子は初めてだよ」「そういえば舌の上でとろけるようですな」「(笑って)心細いお客様だ」。ここで我が意を得たのか、すし徳が口を挟む。「まったくだ。人間の舌にもいろいろあるからね」。おかみさんが「あんた、およしよ」と横からたしなめる。タクシー車内の忠告どおり、確かに無礼な寿司職人だ。ところが飄人先生と相思相愛となったすし徳はこのままなんと、準主役のようなポジションにおさまってしまう。名手・千葉泰樹のピリッとサビを利かせた粋な演出が光る。

 寿司は、世界で最も有名な日本料理でありながら、『二郎は鮨の夢を見る』(2011/デヴィッド・ゲルブ監督)のようなドキュメンタリーはともかく、映画内で描かれることが意外と少ない。すぐに思いつく例としては『抱かれた花嫁』(1957/番匠義彰監督)が浅草の老舗を舞台としたが、寿司の描写は物足りない。これならいっそ『秋日和』(1960/小津安二郎監督)の寿司屋シーンのほうが出色かもしれない。連れてこられた会社重役の中村伸郎が「目黒のサンマでね、案外こんな場末のチャチな店がうまいんだ」と毒舌を吐くと、店の一人娘の岡田茉莉子が「場末で悪かったわね」と口を尖らせる。千葉に負けじと、小津もサビを利かせてきたネ。

 落選続きで芽の出ない門弟“ラクセン”(笠智衆)の妻(花井蘭子)が出産で落命するが、残されたラクセンは乳飲児を背負って亡妻の肖像画をすさまじい形相で描き、みごと帝展で特選の大望を果たす。『生きている画像』は、芸道の険しさと夫婦愛の尊さを、飄逸たるユーモアと悲愴の美を薪として焦げ目をつけた、まさに隠れた傑作である。すし徳がらみのエピソードは、極上の逸品にあってガリのような箸休めとして機能する。

 すし徳とて凡人ではない。飄人先生の粋と孤高に惚れ込んだ彼は、東京都心の店をさっさと引き払い、なんと郊外らしき飄人邸の近所で再開店する。「こんな辺鄙なところじゃ、お客が来ないだろう?」という人の心配をよそに「うるさくなくていいですよ」と澄ましている。ついには飄人先生に気の早い戒名まで付けてもらい(陶酔院妙夢一徳居士!)、涙ぐんで「先生、とてもいけませんや」「気に入らんか?」「とんでもない。早く死んでみたくなりますよ」。おっと、またもやサビが利いてるネ。

プロフィール

荻野洋一

おぎの・よういち|映画評論家の傍ら、番組等の構成演出を手掛ける。著書に映画評論集『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』がある。また、リトルモアのウェブにて日本映画時評「欠片を探して」を、映画チャンネルでは古今東西の芸道ものを探求する「芸道=外道論」を連載中。

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作品のあらすじ

『生きている画像』

千葉泰樹監督

酒と絵に生きる孤高の洋画家、瓢人先生とその多様な弟子が織りなす人間ドラマ。牧野虎雄をモデルとした瓢人を大河内傳次郎が、帝展でも門展でも落選続きの弟子・麦太(愛称ラクセン)を、若き日の笠智衆が演じている。