TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】Kanoko

執筆:遠藤文香

2026年7月27日

そんな世にも奇怪な岡本かの子の一生が濃密に描かれているのが、瀬戸内寂聴の傑作評伝小説『かの子繚乱』(講談社)なわけだが、この小説を読み終わる頃にはもうすっかりかの子の虜だった。

ロンドンの公園で毎日コツコツ読み進めていたけれど、終盤彼女が死んだ時には、取り残されたかの子を愛した男たちと一緒にボロボロと大量の涙を流しながら、深い悲しみと喪失感に襲われていたのを覚えている。(興味のある人は是非、読んでみてほしい。)

今思えば、かの子がその悲しみと共に私の中に「入ってきてしまった」のはこの時だったのかもしれない。

凄まじいひとりの女のいのちの一生、豊穣な生命力あっぱれとっても美しかった!

と当時私は書き残しているけれど、かの子は決してかっこいいとは言えない過剰な感情や欲望を抱えた化け物じみた強さがある一方で、泣き虫で、繊細で、深い孤独を抱えた人だった。

でも、その感情や欲望を恥ずかしいものとして押し込めたりせず、自分も他者も飲み込むように受け入れながら時に爆発させ、惜しげもなく世界に解放していく。

それはまるで海のように、満ちたり引いたりを繰り返す自然現象のようで、なんだか美しいとすら思えてしまう不思議さがあり、かの子という生命そのものが、剥き出しに溢れ出しているみたいだった。

家事も育児も料理も、母らしいことが何一つできなくたって、もっともっと巨大な母性とか、人間らしく生きることの素晴らしさみたいなものを、感じずにはいられなかったのだ。

だから私はきっと、かの子と同じように苦しんだり欲望したりする一人の女として、作家として、救われる部分があったのかもしれない。

生きていく上でぶち当たること必至の自分の不器用さ、何度呪ったかわからないコントロール不能な感情、理解不能なヘンテコな潔癖さ、埋められない孤独、そういう自分の中にある醜くて底なしに面倒くさい恥ずかしい部分を、前よりも少しだけ愛せるようになった気がしているから。

プロフィール

【#3】Kanoko

遠藤文香

えんどう・あやか|1994年生まれ。2018年、東京藝術大学美術学部デザイン科卒業、2021年に同大学院修了。修了後は東京を拠点に写真家として活動し、現在はロンドン在住。主に動物や自然を対象とし、それらと人間とのあいだに古くから培われてきた感覚に関心を寄せながら制作を行っている。主な個展に「when I see you, you are luminous」(Tokyo International Gallery、東京、2023)、「Kanoko」(Poetic Scape、東京、2026)などがある。主な出版に「Pneuma」(roshinbooks)など。

Instagram
https://www.instagram.com/e__n__d__/

インフォメーション

【#3】Kanoko

Kanoko

薄い膜が境界となって内と外をつなぐ — その境界が揺れ、ふたりの気配が立ち上がる

小説家・岡本かの子
写真家・遠藤文香

小説が写真の説明にならず、写真が小説の挿絵にも資料にもならない。
それでも、読むことと見ることを行き来するなかで、小説と写真が〈いま〉として立ち上がる。

本書は、日本の小説と写真を一冊の本の中で拮抗させてきたシリーズの第6作として、岡本かの子の小説『鮨』(1939年)に、遠藤文香の写真を加え、編集・造本した“書物”です。

小説『鮨』には、消えない気配があります。その気配は、岡本かの子の生へも通じているように感じられます。
歌人として出発し、晩年に小説へと向かった岡本かの子の強度、そして家族や時代の圧を引き受けた一人の作家の輪郭が、この小説の背後で静かに息づいています。

その気配を想起させたのが、新進気鋭の写真家・遠藤文香の写真でした。
遠藤文香の写真は、境界を固定しません。
自然と人為、触れることと介入すること、その境界を揺らしながら、気配を残していきます。

岡本かの子の言葉が持つ消えない気配と、遠藤文香の写真が残す気配の余韻が、ただ並走しながら響き合い、ときには読んだはずの小説が違って見え、見たはずの写真の印象も変わっていきます。

—-

言葉:岡本かの子
写真:遠藤文香
出版:町口覚
デザイン:清水紗良(MATCH and Company Co., Ltd.)

判型:縦210mm/横148mm
頁数:240頁
写真点数:98点
仕様:並製本、スリーブケース入り

発行:bookshop M Co., Ltd.

ご購入はこちら

POPEYE ONLINE STORE

8月4日までオープン!