ライフスタイル
“やらされる”から“やる”へ。 狂言師として一人前になった今、 伝統の継承のためにできること。
野村裕基/これが僕の仕事。
2026年9月7日
これが僕の仕事。
photo: Shinji Hosono(stage), Naoto Date
hair & make: Mamiko Dobashi
text: Keisuke Kagiwada
2026年9月 953号初出
3歳で初舞台を踏んだ野村裕基さんは、狂言師となる宿命を背負って生まれてきたと言っても過言じゃない。人間国宝の万作氏を祖父に、狂言のみならず映画や演劇の世界でも活躍する萬斎氏を父に持つ、問答無用のサラブレッドなのだから。しかし、思春期の裕基さんにとって狂言という仕事は苦痛でしかなかった。
「中学生の頃までは、本当に狂言が嫌いでしたね……(笑)。やっぱり子供には楽しいことより辛いことのほうが多かったですから。運動会や部活の合宿を休んで、土日の地方公演に参加しなければならなかったり。だから、“やらされている”って感覚が強かったです」
高校の3年間をイギリスで過ごすことに決めたのも、その宿命から逃げるのが目的だった。
「父もイギリス留学の経験があったので、ダメとは言われないだろうという目算もありました。だけど、外国で学業に専念し、休み期間中だけ日本に帰国して狂言をやるという環境が整い、それぞれ別個に集中できるようになったのがよかったのかもしれません。だんだんと狂言とも真剣に向き合えるようになったんです」
狂言に取り組む意識が“やらされる”から“やる”へと変化する中、大曲「三番叟」を披いたのは、17歳のとき。「身に染みるような達成感を味わえた、初めての瞬間でした」と裕基さんは振り返る。
「『三番叟』は、基礎課程を締めくくるような意味合いがある演目なんです。これまで以上に装束は重く、〝百日稽古〟と呼ばれる厳しい稽古を積まなければできません。それをやり切れたことは、大きかったですね。だから、大学に入って以降は、もしかしたら別の仕事を選ぶことだってできたのかもしれませんけど、その選択肢を自然と除外するようになりましたね。実際、周りが就活をするようになって、みんなが『ES(エントリーシート)を書かなきゃ』と慌てるなか、僕は『ES? ゲーム機のこと?』みたいな感じでしたから(笑)」
『第一回狂言イデアの会』の公演の様子。上の写真は「茸」の一場面だ。家に生えたキノコに困った男が、山伏に祈祷を頼むものの、祈るほどキノコが繁殖してしまうというコミカルな内容で、裕基さんが山伏役を務めた。一方、左は会の中核を担った「金岡」で、御殿の女中に恋い焦がれる絵師の巨勢金岡役を務める裕基さん。祖父や父もしばしば務めたこの大曲を、裕基さんは披いた。
そして、大学を卒業した数か月後、「釣狐」を披く。裕基さんにとってそれが忘れがたいのは、野村家で“狂言師の卒業論文”と位置付けられる秘曲だからだ。
「通常、狂言は短くて15分、長くても40分くらいなのですが、『釣狐』は大体60分から70分くらいあって、体力的にも精神的にもハードルが高い演目です。稽古にも1年ほどかかるため、寿命が縮みそうな思いもしなければなりません。鯉の滝登りじゃないですが、それを乗り越えたことで、初めて狂言師として一人前になれる。そうやって『三番叟』、『釣狐』と段階を踏んでいくことで、自分の中にも責任感が生まれていったというか、『釣狐』を披いた人間として生きていく自覚が芽生えた感じはありましたね」
ところで、狂言とは先祖代々伝わる型が、親から子へと口伝され、精密機械のように体に叩き込んで舞台で披露する芸能といわれる。その際、裕基さんは自身の個性を、どう捉えているのだろう。
「狂言は教え込まれたレールを逸脱することが許されないので、自分自身の個性やオリジナリティを出しにくいというのは、確かです。だけど、それでもなお、どうしてもその人の本性が滲み出てくることはある。例えば、祖父は現在95歳でまだ現役ですが、僕らと同じ台詞や動きをしているのに、何かが違って見えます。それは経験値かもしれませんし、肉体的な感覚の違いかもしれません。つまり、それが狂言師の個性であり、世阿弥が〝花〟と呼んだものなんでしょうね。ただし、それは自分で出そうと思って出せるわけではないってところが、現代劇とは大きく違うんです」
舞台の外での仕事を通して
狂言の本質を再発見する。
そんな「三番叟」と「釣狐」の間の時期、裕基さんは新たな仕事に挑戦している。連続ドラマ『ソロモンの偽証』で、物語のキーマンを演じたのだ。子供時代のCM出演などを除けば、これが初の映像作品への出演となった。
「オファーをいただいたときは、僕自身も驚きました。『萬斎の間違いじゃなくて?』って(笑)。もちろん、父や祖父に承諾を得るわけですが、世間に顔を売るということも大事であろうということなのか、許してくれましたね。狂言の公演も同時進行だったので、狂言も覚えながら現代語の台詞も暗記しなければならなくて、かなり大変だった記憶があります。『ソロモンの偽証』ではミステリアスな役を演じたのですが、そうやって目の下にくまを作りながら挑んだことは、結果として陰の部分の役作りにもなりました(笑)。でも、その後に主演を務めさせていただいた舞台『ハムレット』も含め、やってよかったなと思います。『正面を向いた芝居から誰かとの会話へと移行するとき、振り向くという動作に1秒かけるのと0・1秒かけるのでは意味合いやメッセージが異なるんだな』とか、狂言をやる上でも活きる学びがありましたから」
近年、名実ともに一人前となった裕基さんは、早稲田大学などの狂言研究会で指導者も務めている。教える立場になったからこその気づきはあるのだろうか。
「“教えること”を通して“教えられること”は本当に多いですね。物心つく前からやってきたので、狂言に疑問を持つことってあまりなかったんですよ。だけど、教えるとなると、なぜここでこうするのかってことを説明しなきゃいけません。そうやって言語化することは、自分にとってもより深く狂言を理解することに繋がっています。この教育法は、父からの影響も大きいかもしれません。祖父は『先代から教わったとおりに教えるから言われたとおりにやれ』ってタイプなんですよ。父にはたぶん、それだと自分の中で納得いかない部分があったんでしょうね。それで僕には割と論理的に教えてくれたので、僕も学生の稽古では実践しているんです。『正解は自分の頭で考えなさい』っていう祖父のほうが、伝統的な本来の教え方です。だけど、学生はプロになるわけではありません。大学で狂言を習っても将来に役立つことは少ないかもしれませんが、せめて日本の伝統芸能のひとつである狂言の魅力を、言葉で説明できるようにはなってほしいから、納得してもらって、理解を深めながら稽古をしてくれればなと」
早稲田大学の学生会館にある能舞台で、狂言研究会の部員に稽古をつける裕基さん。この日は、発表会が迫っていたため、緊張感が漂っていた。「無意識に目がぱちくりしたり、手が動いている部員がいたりするんですよ。そういうときは『いずれ就活で面接とかするときに、それじゃ通らないよ』って助言したりも(笑)」。その言葉からは、狂言の経験を舞台の外でも役立ててほしいという思いが感じられた。
そこで魅力を知った若い層が、狂言を観客としてサポートすることは大いにあり得るだろう。そして、より広い観客を開拓することもまた、狂言師の大事な仕事だ。2025年の第零回を経て、2 0 2 6年に国立能楽堂で第一回を開催した裕基さん主催の自主公演『狂言イデアの会』にも、そんな思いが込められている。
「自主公演というのは、父や祖父の会に出るのとは意味合いが違って、自分でプロデュースをするってことなんです。だから、演目も会場も自分で選べるし、チケットの値段だって自分で決められます。だからこそ、長年のファンの方に見ていただくことをきちんと配慮しながら、狂言を知らない若い人にもどうしたら届けられるのかってことを、かなり意識していましたね。『茸』という初心者にもわかりやすいものを入れたり、あるいは能楽堂は狂言だけでなくお能の舞台でもあるので、お能の方も呼んで舞囃子や仕舞をやってもらったり。この公演に来れば、能楽堂で楽しめることがひと通り味わえる。かつ難しい演目にも挑戦して、僕みたいな若い人も頑張っているんだということを伝える。第一回はそんな内容になりましたね」
結果、若い客にも恵まれた『第一回狂言イデアの会』には、公演内容はもちろん、それ以外の部分にも、プロデューサーとしてのこだわりが詰まっている。例えば、チラシを黒一色の地に必要最低限の情報だけを記すモダンなデザインにしたのも、裕基さんのアイデアだ。グッズについても今までにない新しい感性で取り組んだという。
「友達に言われたんですよ。『演劇の公演や音楽のライブみたいに、狂言でもグッズをたくさん作ったらいいんじゃないか?』って。確かに、これまで業界的にグッズが充実してなかったので、それはありかなと思って、今回は5種類ほど用意しました。今、流行っているということで、アイドルさんなんかを参考にしながら、アクスタを作ってみたり。『商業的になりすぎるのもどうなの?』と思われるかもしれませんが、業界的にそうも言ってられない側面もある。実際、僕のファンで買ってくれる方もいれば、もともとグッズが欲しかったという方もいましたので、今後は能楽業界でもグッズ販売が増えていくんじゃないでしょうか。いずれにせよ、ただ狂言をやっているだけでは難しい部分もあると感じています。伝統としての狂言をきちんと継承していくのは大前提ですが、舞台に立ってその日の演目をこなしていくだけでは、世間に広がっていきませんから。狂言師としてそれ以外の分野にも積極的にチャレンジしたり、自分のプロデュースする会に若い人が呼べるような試みをしたり、若いからこそできることを今後も模索していきたいです」
プロフィール
野村裕基 狂言師
のむら・ゆうき|1999年、東京都生まれ。9月18日・19日に大槻能楽堂で開催される『第1回狂言「万作・萬斎・裕基の会」in大阪』に出演。
Instagram
https://www.instagram.com/yukinomura_/
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