TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#1】広報:東京大学副産物ラボ[S.E.L.O.U.T.]
執筆:中井悠
2025年3月11日
「広報」という言葉は、第一次世界大戦中にアメリカのプロパガンダ政策に関わったエドワード・バーネイズが、そこで身につけた「不特定多数を遠隔操作する術」を戦後民間で展開するにあたって、イメージのすっかり悪くなってしまった「プロパガンダ」をオブラートで包むためにでっちあげた「Public Relations(PR)」という造語の翻訳として生み出された。今回の連載に関しては、なにを書いてもいいという太っ腹なオファーを受けたので、いつも学者のふりをして書いている「論考」や、アーティストのふりをして書いている「ステートメント」などではなく、自分のやっていることを不特定多数に知らせる「広報」をしたためることにした。SNSを一切やっていない身からすると願ってもないことである。ちなみにバーネイズはフロイトの甥っ子で、生活に不必要なものを買わせなければならないという大量生産のパラドックスを、ウィーンのおじさんから送られてくる精神分析の本から思いついた「購買活動を自己表現の手段として消費者の無意識に刷り込む」という巧みなアイデアで解決した「元祖インフルエンサー(影響術師)」として知られる。
***
2021年4月に東京大学に着任したとき、それまでとは違う研究をやろうと決めていた。十年に渡ってニューヨークを拠点に、デーヴィッド·チュードアという謎めいた実験音楽家を研究してきたが、その集大成となる英語の分厚い書籍をちょうどその一ヶ月前に出版したところだった。また二年前に帰国してから、京都市立芸術大学の音楽学部の教員として狭い意味での「音楽」に関連することばかりを教えていたが、そのおかげで「音楽(学)」という分野全体に対しても食傷気味になっていた。幸いなことに、そのようなタイミングで誘いを受けた新しい職場は、新しいことをやるためにこの上なく適した環境だった。大学院で所属する表象文化論コースでは教員がそのつど関心があることをなんでも授業にできたし、学部で担当する芸術制作の授業も、新しい実験的なプログラムで、ジャンルも含めてあらゆる内容を自由に決めることができた。
とはいえ、全くのゼロからはじめることも大変である。だからチュードア研究の中で浮かび上がってきたものの、「音楽研究」としてはうまく展開できなかった副産物的な問題に目を向けることにした。その中でも特に気になったのが、チュードアが自作した電子楽器の完全に制御できない振る舞いを説明するときに使っていた《影響(influence)》という不思議な言葉だった。日常会話でも学術論文でも、なにか関係があるけどうまく説明できないときに、乱用されるがちなマジックワードである。もともとはラテン語の「流れ出るもの(influentia)」に由来し、星々から流れて地上の事象に変化をもたらす力として古くから占星術や魔術の根幹に据えられていたことは、すぐに突き止めることができた。ただ、その作用のからくりを本気で探るためには、オカルト神秘主義の歴史に深入りする必要があって尻込みした。でも逆に言えば、《影響》はチュードアの実験音楽と他の分野をつなぐ蝶番として使えそうだった。だから東大ではこの魔術的な言葉を研究の中心に据えることにした。
その魔術の威力は予想以上で、駒場で教えはじめて間もなく、若手教員の研究を東京大学が支援する「卓越研究員」の学内コンペがあり、候補に推薦されたので「影響の流出史」という研究計画を提出したところ、採択されて数年間の研究費を受けられることになった。《影響》の研究を進めるためには文献に身を浸すだけではなく、他人の影響に身を晒す実践が欠かせないと思っていた矢先のことだった。だからその研究費で、学生たちと一緒に《影響》を研究しながら、そのような取り組みの副産物として生み出される実際の影響の作用を観察するためのささやかなプラットフォームを作ることにした。チュードア研究の副産物を研究する——という名目によって生み出される副産物を研究する——実験室だから《副産物ラボ》と名づけた。英語名の《Side Effects Lab Of the University of Tokyo》を略した《S.E.L.O.U.T.》が「身売り(sell out)」に聞こえることも、学術制度の中枢から研究費をもらいながら、それまで大学の外で手がけてきた実験的パフォーマンスと地続きであるような実践を繰り広げることに対する後ろめたさへの言い訳のようで気に入った。
実験室を始めるにあたって、三つの基本方針だけを定めた。
1、「来るもの拒まず、去るもの追わず」
2、「《影響》を研究の「レンズ」として使う」
3、「研究対象を自分で決めない」
あえて自分が完全に制御できない状況を拵えた上で、自らそこに飛び込むというアプローチは、同じ方法で音楽を作っていたチュードアの影響だが、この方針のもとで、チュードアにも実験音楽にもほとんど関心がない学生たちが選んだゲストを招く《影響学セミナー》シリーズをはじめた。すると自分なら思いつかない提案と意外な繋がりが次々に生まれてきた。たとえば、演劇批評をやっている大学院生の植村朔也さんが「音楽家の小沢健二さんを呼びたい」と言い出した。「なんでオザケン?」と思ったが、勧められるがままに小沢さんの書いた文章を読んでいくと、問題意識が自分とだいぶ重なることを知って驚いた。実際にお会いしてみると話がとても合い、バーネイズ研究のことで盛り上がり、意気投合して2023年9月に《900番講堂講義(イメージの影響学)》というセミナーを開催することになった。当日の会場には大勢の観客が押しかけ、三時間を超える熱気のこもったレクチャーの中で、小沢さんはチュードアの音楽にもつながる「ノイズ」という言葉をタイトルに掲げた新曲まで披露してくれた。つい先日、このセミナーの受講生がその曲の影響下で書いた小説が芥川賞をとったという知らせが届いたところである。こうして《影響》研究の影響が思いもよらない副産物として世に広がっていくさまを興味深く辿っている。
現在取り組んでいるのは、考古学を専門とする学部生の冨田萌衣さんが発案した《墓の影響学》というプロジェクトで、ちょうどこのコラムが公開される週(3月12日、14日、16日)に、三回の《墓の影響学》セミナーを開催することになっている。そのうちのひとつは、墓じまいでいらなくなった墓石を全国から集めて供養する「墓の墓」を管理している広島県福山市不動院の住職さんと副住職さんの回だが、お二人の活動を支えるのは副住職さんが墓に住まう霊と話せる霊媒師であることだ。音楽研究の副産物を辿ることで死者との交信に行き着くとは思いもよらなかったが、関心がある方はぜひ参加していただきたい。
プロフィール
中井悠
なかい・ゆう|音楽その他。東京大学大学院総合文化研究科准教授。副産物ラボ主催、アヴァンギャルド・アート(先進融合)部会主任。《No Collective》のメンバーとして音楽(家)、ダンスもどき、演劇台本、お化け屋敷などを世界各地で制作、出版プロジェクト《Already Not Yet》として実験的絵本や子供のことわざ集などを出版。制作のかたわらで実験的電子音楽、パフォーマンス、影響や癖の理論などについての研究を行なう。最近の著書に『Reminded by the Instruments: David Tudor’s Music』(Oxford University Press、2021年) など。最近の制作に、Zoomを固有の楽器として捉える《zoomusic》という架空の音楽ジャンルや、1970年代半ばに構想されたものの未完に留まっていた、孤島を丸ごと楽器化する《Island Eye Island Ear》プロジェクトの50年越しの実現など。最近の翻訳に『調査的感性術:真実の政治における紛争とコモンズ』(水声社、2024年)など。
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