カルチャー
『よき谷の物語』のホセ・ルイス・ゲリン監督にインタビュー。
2026年7月30日
スペインのバルセロナ郊外に位置するバルボナ地区。『よき谷の物語』は、大都市の近くにありながら、自然に恵まれたこの地域をめぐるドキュメンタリーだ。本作は、バルボナで営まれる暮らしの牧歌的な美しさと同時に、人種、貧富、世代、再開発などをめぐるさまざまな社会的な問題をも映し出していく。監督のホセ・ルイス・ゲリンが、この映画に込めた思いとは? 本人に話を聞いた。
ゲリン 『ポパイ』、知っていますよ。若い人が読むメディアですよね。この映画は若者にも観てもらいたいので、このような機会がいただけて嬉しいです。もしかすると、ドキュメンタリーであるということが、若者を心理的に遠ざける原因になってしまうかもしれません。だけど、この映画は、情報を得るためにあるようなドキュメンタリーではないんです。
ーーまさに、その通りだと思います。監督がバルボナ地区を撮ることになったのは、ある美術館の依頼がきっかけだったそうですね。それが完成してもなお、この地区を撮り続けたことで誕生したのが、『よき谷の物語』です。そこまでバルボナに魅了された理由は何だったのですか?
ゲリン バルボナは、世界の片隅のようなあの地域でありながら、全世界のメタファーになっているように感じられました。よく言いますよね。一枚の葉っぱを見れば、それが生えていた木の全体がわかる、と。私にとってバルボナは、世界の普遍性を内包した一枚の葉っぱだったんです。
ーー数年間にわたってバルボナを撮り続けてきたそうですが、映画を作るにあたって設計図や見取り図のようなものは存在したんでしょうか
ゲリン 何もありません。ドキュメンタリーというのは、脚本に縛られるべきではないと思うからです。フィクションのように、初めから決まったものが含まれるべきではないのです。だから、まず土地のことをよく知るためにカメラを持たずに訪れ、次に自らスーパー8を構えてモノクロ映像を撮りました。その後、劇中にもあるように、現地に「出演者募集」の告知を出し、集まってきた人たちの話を聞き、この映画の言語を見つける。そして、撮影をしながら語り口を見つけ、編集をして、それを観ながら考え、また撮影をする。その繰り返しの中で、だんだんと構成が浮かび上がっていきました。
ーーすべての素材が揃った後で編集を始めたわけではないんですね。
ゲリン そうです。ですから、編集の際、感情や言葉をめぐる小さな種のようなものが見つかったら、次の撮影でもう少し掘り下げる。そうやってバルボナという土地に影響を受けながら、この映画のアイデンティティも少しずつ変化していったと思います。
ーーでは、完成した映画は、基本的に撮った順番にシーンが並んでいるのですか?
ゲリン そうです。だから、冒頭の私の名前に添えたクレジットを“Work in progress”としたんです。
ーー“Work in progress”というクレジットは、この映画のプロジェクト自体はまだ続くことを予感させます。しかし、今回『よき谷の物語』として上映される作品には終わりがある。その終わりは、どのようにして見つかったのでしょうか?
ゲリン それはたぶん、今の世界の政治状況と密接に関わっています。今、世界各地でナショナリズムによる排外主義が蔓延っていて、移民のような弱者がその被害を受けています。この映画のラストシーンで示唆されているのは、その事実に他なりません。ただし、重要なのは、あのような事態が起こったのは、撮影中に一度きりではないということです。むしろ、バルボナでは日常茶飯事と言っていい。そういうシーンでこの映画を終わらせたのは、今の新しい世界の潮流が今後も続いていくことを暗示しているのです。
ーー移民だけでなく、貧富、世代、再開発などをめぐるさまざまな社会的な問題を、バルボナは抱えています。ただし、監督の関心はそこを強調することではなく、よく飲み、よく喋り、よく歌う住人たちの幸福な一コマと並置させることにあるのではないでしょうか。
ゲリン その通りです。一般的に社会派映画と呼ばれるものは、現実を矮小化していると思います。政治的な緊張感ばかりを押し出すことで、そこに暮らし、日常生活を送る人がいるという現実を、観客に忘れさせてしまうのです。しかし、私は現実というのはもっと豊かであり、映画にはそれを映すことができると信じています。バルボナに暮らす人々の現状は、確かに悲惨かもしれません。だけど、楽しみを見つけ、歌い、遊んでもいる。彼らが生きているというその事実を、この映画ではしっかり描きたかったんです。そして、そうした光景は、もはや都会の中心では見ることができません。
ーー個人的にこの映画が「いわゆる社会派とは違うな」と感じたのは、冒頭の住人インタビューのシーンで「ここを舞台にした西部劇を撮ればいい」と語る老人フランセスクを目撃した瞬間でした。ほとんどの住人たちが自分たちの身の上話を語る中、彼だけは「どうしたら映画がよくなるか?」ってことに関心がある。そんな彼に対して、監督自身も他の住人とは違う興味を抱いているように見えたのですが、そもそも彼は何者なのでしょうか?
ゲリン 高齢者施設で暮らしていて、映画が大好きな人です。だから、最初から積極的に協力してくれましたし、その後、次の映画のために脚本を送ってくれました(笑)。ただ、「西部劇を撮ればいいじゃないか」という言葉には、非常に含みがあるとも思いました。西部劇というのは、要するに西部を開拓し、文明化へと突き進んでいく人々の物語です。当然、その過程では失われるものがある。鉄道が通ることでまさにかつての暮らしが失われつつあるバルボナは、黄昏の西部劇を撮るのにうってつけの場所だったんです。
ーー集合住宅のひとつの部屋から西部劇の音声が漏れ聞こえた後に映し出される、丘に立って物思いに耽るフランセスクの姿は、まさに西部劇のスターのような風格を湛えていて、ただただ感動してしまいました。
ゲリン ある場所を理解するには、外から眺めるのではなく、そこで暮らす人たちの想像力の中に深く入り込んでいかなければいけません。そして、それぞれの夢と、それぞれの恐怖を、私も一緒に体験することで、ようやく現実が見えてくるんです。
ーーもうひとつ、日常の豊かさを感じたのが、農夫のおじいちゃんたちが、小屋のような家で食事をするシーンでした。これまで屋外のシーンが多かっただけに、あの小屋の薄暗さと、窓から降り注ぐ光の生み出す美しいコントラストが忘れられません。
ゲリン 先ほどもお話したように、バルボナには各地からの移民が暮らしていて、この映画の中では12カ国の言葉を聞くことができます。そんな中、このシーンでは、バルボナにもともと住んでいた人々の日々の営みを映したかった。実際、カタルーニャの農村で暮らす人々にとって、ああした光景はお馴染みのものなんです。だから、食事会が行われる時間を事前に聞き、そのタイミングでカメラを持ち込みました。そこで自由に話をしてもらいながら、こちらも自由に撮っていくことであのシーンは生まれたんです。
ーーあのシーンでは、料理を作ったり、ワインを飲み交わす手元のアップも見事に挿入され、他と比べて監督の気合いの入り方がまたちょっと違うようにも感じられました。
ゲリン パンにトマトを乗っけたり、コーヒーにコニャックを入れたりしていますよね。あれもカタルーニャの農村民のお馴染みの食べ方で、その意味で人類学的な観察だと言えるかもしれません。ただ、ああした楽しい近所付き合いもまた、残念なことに、今や辺境でしか営まれていません。だからこそ、バルボナという空間自体が、抵抗の場所にも見えてきます。都市がどんどんと拡大してくる中で、変わらないものを維持しようとしている。日本もたぶん同じことが起こっているんじゃないでしょうか。
ーーこのシーンのおじいちゃんたちが、畑仕事をしながら「植物に話かけること」を話題にしているのも興味深かったです。なぜなら、まったく別のシーンで、まったく別の人もまた、同じようなことを話すからです。
ゲリン あれらは長いこと撮影する中で、本当に偶然にそれぞれが発した言葉でした。私のように脚本を作らない方法においては、そういう出来事が重要な構成要素になります。つまり、そういうふうに自然との関係を語りたい人がいる。それがあの地域の特徴のひとつなんです。
ーー最後に監督にとって「映画作りとは何か?」を教えてください。
ゲリン ひとつの映画は、映像と音で綴る一冊の書物だと思います。そして、私にとってそれを作ることは、世界と自分を関係づけられる唯一の方法なんです。
プロフィール
ホセ・ルイス・ゲリン
1960年、スペイン・カタルーニャ州生まれ。監督作に『ベルタのモチーフ』『イニスフリー』『シルビアのいる街で』『ミューズアカデミー』など。劇映画と記録映画を行き来するような実験的な創作活動を続ける、現代映画を代表する作家の一人。
インフォメーション
『よき谷の物語』
スペインのバルセロナ郊外に位置するバルボナ地区には、20世紀半ばから移り住んだ住⺠の家族と、最近になってやってきた新世代の移⺠たちが共に暮らしている。⽂化や⽣活スタイルは異なるものの、⼦供たちはともに川で遊び、誰もがよく⾷べて飲んで、歌い、踊り、ひとときの安らぎを得る。そんな都会のオアシスに、新しく鉄道増設の計画が持ち上がった。住⺠説明会が開かれ、⼀部の⼈々は⽴ち退きを迫られるが……。公開中。
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