複製技術時代の交換日記
複製技術時代の交換日記 Vol.3
2026年10月6日
text: Yuzu Murakami & Kasumi Kugo
edit: Masaru Tatsuki
ゆづ
滑り込むように東京国立近代美術館の杉本博司「絶滅写真」展を見に行きました。かすみちゃんは、Podcast番組「写真とか、そのへん」でお話ししていましたね(読者の方はぜひ聞いてみてください)。
「絶滅写真」展は、会場の作り込み、照明、それからプリントももちろん素晴らしく見応えがあったし、わたしは写真の現代美術がとても好きだなと思いました。思ったのですけれども、やっぱりいくつか気になった、というか、どうなのかね?と感じるところもありました。
まず話題だったので気になっていた狂歌。個人的には、美術作品については説明があったほうが親切だと思っているので、そういう意味ではきっと狂歌があることによって理解が深まった、という人もいたのだろうとは思うのです(例えば、最近の若い人ってダイアナ妃のこと知らないのかもしれないし、狂歌があることで「あ〜ダイアナだ〜」以上に、ダイアナ妃の人生の悲哀を(わたしはカミラのことも同時に考えていまだに腹立てたりしちゃうんだけど)感じ入るきっかけにはなるかもしれないし、杉本博司が彼女(の蝋人形)を被写体に選んだ理由とか、そういうことを想像することができるかもしれない)。
でも中には、本当にこれはいらないだろう、と思うものもありました。特に「スタイアライズド・スカルプチャー」のシリーズで「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」を撮った写真に寄せられた狂歌には「のびてはちぢみすくわれる女(ひと)」とあって、女性蔑視と「男性のまなざし(Male gaze)」と、ちょっとボディ・シェイミングも混ざっている気がして、これはあまりにも酷いと思いました。
彼が冗談好きなのはこれまでの展示とか作品とかインタビューとかを見ていればわかるけど、蛇足がすぎたなと思います(わたしは秋田の本務校の学生たちと見にいったのですが、ぶっちゃけ狂歌は読まないでほしいとすら思った)。
それと、狂歌よりも書くべきことがあるんじゃないかな?とも思いました。というのも、キャプションにプリントの技法が書かれていなかったんですよね。一緒に見ていた同僚に「なんで技法が書かれていないんですか?」と聞かれて、杉本の作品は当然のようにゼラチンシルバープリントだと思っていたから途中まであまり気にしていなかったんだけど、作品についての普通の情報を示す必要はあったのではないかと思いました。
あと、「Opticks」シリーズは、ポラロイドをデジタルスキャンしてタイプCプリント(発色現像方式)で出力しているようです。だから「絶滅写真」展とか銘打っていながら普通にデジタル的な写真技術も使ってるよね?とかも思ったりもして。
そういう意味での銀塩写真原理主義はロマンチックだとは思うけど、杉本博司以降にもフィルムを使っている写真家たちやそしてもちろん一般のユーザーたちも、なんなら学生もいるわけで、そのなかで「絶滅」を名乗るのは、自らを神秘化する意欲が強すぎるなとも思っちゃいます。
とかいいつつ、わたしは「劇場」シリーズ、「ジオラマ」シリーズ、そして「肖像」シリーズを、あのでかい、美しいプリントを見れたことは嬉しかったしとても充実した時間でした。「海景」の部屋も、写真作品でありながらあのように崇高さを感じさせることはさすがだなと思いました。国内外の美術館で「海景」シリーズを見ると嬉しくなるくらいには杉本博司は好きです。
ところで先日、はじめての人間ドック(35歳)を受けました。思えば人間ドックは、胃カメラとかエコーとか、レントゲンとか、とにかくひたすら撮られ続けるイベントなのですね。
はじめての胃カメラだったのですが、涙を流しながらもとりあえずはうまくカメラを受け入れることができた気がします。胃カメラって、胃に到着するまでにもちょっと時間がかかるし、カメラが出てくるまでも時間がかかるので、なんだか胃って、というか体内って、なんかちょっと遠い場所なんだなという感じがしました。
あと、個人的に胃カメラよりも面白いなと思うのはエコー写真です。エコー写真は、普通の写真と違って跳ね返ってきた超音波をリアルタイムでイメージにするものなので厳密には写真ではありません。でもそれが「写真」っぽく、身体の中を「撮っている」ように見えるように、音波の「見せ方」がデザインされています。
最近読んだ論文では、胎児を「見る」ためのエコー検査の技術が父親の当事者意識を高める一方で、母親が本来持っていた身体的な特権性を低下させることもある、ということが指摘されていました 。体内とか胎内を「見える」化する技術によって、自分の一部なのに自分の一部じゃなくなる感覚がする、というのはおもしろいことです。つまり、見えないことが、自分の一部であると感じる経験につながっているということ?
だとすると、自撮りの時代である現代は、どこか自分の顔を自分のものとして愛着を持てない時代なのかもしれませんね。
ゆづより。
かすみ
私はこの夏、写真家の北田瑞絵さんに会いに和歌山に遊びに行っていました。瑞絵ちゃんは、2016年塩竈フォトフェスティバル・ポートフォリオレビューで大賞を受賞し、写真集『一枚皮だからな、我々は。』で作家としてデビューしています。そして、10年後の今年2026年、二冊目の写真集『不滅の星』が発刊されました。――瑞絵ちゃん、本当におめでとう!
写真集出版を記念した展覧会を東京で開催(Live Art Gallery、2026年2月13日―2月28日)したのち、瑞絵ちゃんは自身が暮らす和歌山にあるギャラリーでも展示をすることを決めました。(Gallery & Café AQUA、2026年8月4日―8月9日)
私はその和歌山での展示に合わせて、瑞絵ちゃんに会いに行きました。数年前まで瑞絵ちゃんのおばあさんが住まわれていたお家に二泊させてもらって、瑞絵ちゃんが普段生活している土地であり、作品のロケ地にもなった場所をたくさん案内してもらって、これまでどんな思いで写真を撮り続けてきたか、いろんな話を聞かせてもらいました。
瑞絵ちゃんにとって、カメラを使うことは、他者とコミュニケーションをとるための方法だったそうです。言葉でコミュニケーションをとることが上手くできないとき、カメラを介することで、ときに会話以上に親密な関係性を築けるという感覚はわかる気がします。
私自身、川の流れる音と、風のそよぐ音のなかで、空からふりそそぐ太陽と、キラキラ輝く川のみなもの光に包まれて、レンズ越しの瑞絵ちゃんの視線を感じる経験は、わたしの存在が肯定されているようで心地の良いものでした。そこには、言葉にはならないコミュニケーションが確かに存在していたはずです。
盗撮に代表されるように、カメラは暴力になるときがあるのは否定しようがないし、もっといえばリベンジポルノとか、過去の親密な記憶が180度暴力に反転してしまうのが写真や映像です。たとえ、被写体になった本人が望んだ撮影だったとしても、はたから見れば、承認欲求に漬け込まれ、不当に消費されているのではないかと感じる事例もあります。
それでも、カメラを媒体にすることで可能になる他者との親密なコミュニケーションの在り方も信じてみたいです。それは、プリクラとか、ガラケー時代の写メとか、写ルンですとか、自分自身の学生時代の日常的な経験に根ざしている感覚でもあるし、今だとインスタに流れてくる限定公開の友人の子どもの姿とか、setlogもそうだし、自分の見たもの感じたことを留めておきたい、仲良しの人に共有したいという感覚とも繋がっています。
瑞絵ちゃんの一作目の写真集『一枚皮だからな、我々は。』は、ヒリヒリと言う形容詞がピッタリで、和歌山の自然の風景とか、人の裸とかの合間に、ふいに血液が写りこんだりして、生きていることの絶望と執着の両方が記録されているようです。小説でいうと、金原ひとみの作品から感じるバイブスみたいな感じです。
瑞絵ちゃんといろんな話をするなかで、大人になる過程で、恋人という枠組みが、ある日私たちの日常に登場して、それはどんな人間関係よりも強固で最も優先されるものらしいという価値観をインストールしたときの記憶をお互いにシェアしました。瑞絵ちゃんは、恋人同士という関係性に憧れはありながら、どうしても自分ごととして恋愛を捉えることができなかったといいます。
わたしは異性愛規範に乗っかってこれまで生きてきましたが、友達に恋人ができたり、結婚して家族ができたとき、おめでとうの気持ちも嘘じゃないけど、本当はとても寂しかったことがあります。私の方が古参なのに、ポッとでの彼氏との恋愛関係が優先されてしまうことへの納得のいかなさだったと思います。
瑞絵ちゃんは、ヌードの女の子たちを被写体にすることを選択して作品を撮り、その過程でフェミニズムの思想を自分の血肉として吸収していくなかで、そもそもまだ名前もついていないような多様な関係が世界には存在していて、その様々な関係性に本質的な優越はなく、その一つ一つが尊いものだと考えるようになり、写真で表現するようになりました。
それは人と人との関係に限りません。瑞絵ちゃんの新作『不滅の星』には、和歌山の風景と、女の子たちに加えて、もう一つ頻繁に登場する被写体があります。瑞絵ちゃんの家の犬です。瑞絵ちゃんは、長いあいだ耳に入ってくる恋愛ソングがピンとこなかったそうです。でも、犬が家に来てから、恋愛ソングに出てくる歌詞の「きみ」を「いぬ」に置き換えると、今まではよくわからなかった歌詞に深く共感できるようになったと教えてくれました。
ハウルの動く城のセリフ、「ようやく守らなけらばならないものができたんだ、君だ」も、犬を代入すると、瑞絵ちゃんの気持ちそのものになる。『不滅の星』には、被写体になった女の子たちにとどまらず、犬と、そして和歌山の景色と、深い愛情関係を育んだ瑞絵ちゃんが見つめたひかりがとどめられていました。
かすみより。
Gallery & Café AQUA 展示風景
和歌山県橋本市の喫茶店にて
プロフィール
村上由鶴
むらかみ・ゆづ|1991年、埼玉県出身。写真研究、アート・ライティング。秋田公立美術大学ビジュアルアーツ専攻助教。専門は写真の美学。光文社新書『アートとフェミニズムは誰のもの?』(2023年8月)、The Fashion Post 連載「きょうのイメージ文化論」ほか、雑誌やウェブ媒体等に寄稿。
久後香純
くご・かすみ|1991年、京都府出身。Ph.D in Art History. ニューヨーク州立ビンガムトン大学美術史学科で博士号取得。専門は写真史/論。博士論文のテーマは1960−70年代日本の写真出版文化について。現在、京都大学人間・環境学研究科にてポスドク研究員(日本学術振興会特別研究員PD)。
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