カルチャー
素晴らしきリスニングスペースに撒かれた、不思議の種。「ムーンストラック・カルティベーション」という集い。
Moonstruck Cultivation Vol.1「想像力を取り戻す:『ディープ・ルッキング』アートクラブ」体験レポート。
2026年10月3日
photo: Koh Akazawa
text: Ryoma Uchida
edit: Keiko Sude
怪しげな月の光に照らされて育っていく、リアルイベントプロジェクト。
「ムーンストラック・カルティベーション(Moonstruck Cultivation)」なる聞き慣れない言葉を教えてくれたのは POPEYE Webシニアエディターの井出幸亮さんだった。僕らの活動を支え、時に珍奇な、時に示唆に富む話題を提供してくれるマスターだ。そんな井出さんが編集長を務めた雑誌『Subsequence』(Cubism inc.)が(今のところ)最終号となった第8号を刊行した現在。更なる“楽しいこと”として話していたのが、この言葉だった。
Moonstruck :空想に耽った/ボーッとした/狂気じみた
Cultivation :耕すこと/栽培/育成/培養/教養/洗練
Instagramのページを見ると、「触れて考え、知って感じる。小さな学びの時空を生み出すリアルイベントプロジェクト」とある。さらなる情報を求めてHPに辿り着いても、「創造への関心を通じて人が集い、コミュニケーションすることで、アイデアや技術、記憶、問い、喜びが静かに循環していくような、ささやかな場所を創出することを目指しています」などと書かれているだけで、具体的なイベント内容は書かれていない。まったく謎だらけだが何だか気になるこのプロジェクト、その第1回イベントが8月22日(日)に開催されると聞き、参加を申し込んだ。一体、何が行われるのか。
開催されたイベントは、POPEYE Webで連載中のポッドキャスト「Deep Looking Radio」でお馴染みのキュレーターのロジャー・マクドナルドさんと、彼の弟でありロンドンを拠点に活動するアーティストのピーター・マクドナルドさんが登壇するイベント「想像力を取り戻す:『ディープ・ルッキング』アートクラブ」。『DEEP LOOKING 想像力を蘇らせる深い観察のガイド』(AIT Press)の著者であるロジャーさんが、長い時間をかけてアート作品を見る/待つ「ディープ・ルッキング」の世界を紹介するとともに、実際に体験するセッションも行うという。
「ムーンストラック・カルティベーション」が行われるのは、東京・狛江の「野口晴哉記念音楽室」。日本の整体の創始者であり思想家でもあった故・野口晴哉(1911–1976)の旧居内にある、55畳(!)の土蔵造りの音楽室だ。大空間に設えた巨大なヴィンテージ・スピーカーやアンプの名機がズラリと並ぶこのリスニング・シアターは、晴哉の孫にあたる野口晋哉さんが主宰する「全生新舎」によって継承・保存されており、「ムーンストラック・カルティベーション」もまたこの全生新舎とともに運営されている。
薄暗い音楽室の中央の円卓を囲んで、井出さん、ロジャーさん、ピーターさんの3人が座る。「リアルな集いのイベントを通して、小さな学びの時空を生み出す。説明するほどよく分からなくなるようなイベントなんですが、このプロジェクトはまだスタートしたばかりで、僕自身もこれから何が起こるのかよく分かっていないような状況です(笑)」。そんな井出さんによる挨拶からイベントは始まった。何かを規定するでもなく、ふわふわとした不思議な集いが、日常と学びを結びつけていく。参加者も主催者もどうなるかわからない、未知なる手作りのイベント。ひっそりと会場に流れるThe Bandの「The Moon Struck One」が開始を告げた。
(左)NPO法人アーツイニシアティヴTOKYO(AIT)設立メンバー、長野県佐久市「フェンバーガーハウス」館長でもある、ロジャー・マクドナルドさん。(中)ロンドンを拠点に活動する美術家/画家のピーター・マクドナルドさん。(右)編集者・井出幸亮さん。
ディープ・ルッキング、入門!
イベント前半には、ロジャー&ピーター・マクドナルドさんらによるトークとプロジェクターを使ったプレゼンテーション。休憩を挟んだ後半には、実際に「ディープ・ルッキング」を体験するワークショップ/セッションが開催された。
ポッドキャスト「Deep Looking Radio」でお馴染みのロジャーさん。本イベントでのタイトルにも掲げられる「ディープ・ルッキング」とは、アート作品を深く観察し、注意深く見ること。長年美大などで教えてきた講義やアイデアをまとめたものが、その著作『DEEP LOOKING 想像力を蘇らせる深い観察のガイド』だ。「執筆の大きなきっかけの1つは、弟をはじめ、周囲に尊敬するペインターたちがいて、彼らと一緒に美術館に行くと作品の前で軽く20分ほど立ち止まって語り合う『ディープ・ルッキング』を自然に実践していたことです。制作する側は膨大な時間とエネルギー、能力を注いで作品を作っていて。鑑賞する側もそれに匹敵するエネルギーとコミットメントを持って作品と対峙することが、礼儀であり理想ではないかという思いが根底にあるんです」とロジャーさん。
「シカゴ美術館」や「メトロポリタン美術館」の調査によると、来館者が1つの絵画の前に立つ平均時間はわずか“27秒”なんだとか(!)。かなり短いけれど思い当たる節があるような……。多くの人がほんの20数秒作品を見て、次の作品へと移動してしまっている。そしてそれは本当の意味で「見る」という経験になっているといえるのか、非常に怪しい。トークでは過去150年ほどの歴史、特に近代以降に焦点を当てて、美術史家、社会学者、アーティストたちの言葉や実践を紹介しながら、人間の視覚や認識力がどのように変化してきたかを説明してくれた。
そして、いよいよ実際に「ディープ・ルッキング」セッションを。会場の各所に用意された9つのピーターさんの作品を前に、5人前後のグループに分かれ、1グループにつき1作品を選んで鑑賞することに。「ディープ・ルッキング」は、初心者向けの「ベーシック・プロトコル」を行う。体験自体は完全な静寂の中で個人として向き合うため会話はNG。言葉にしたくなるのをぐっとこらえて、鑑賞に努める。その手順は以下だ。
第1フェーズ:作品と出合う。どんな作品かをたしかめる。
第2フェーズ:作品に近づき、細部を丁寧に観察する。
第3フェーズ:背を向ける、目を閉じる、心の中で消しゴムで消去するなど、親しくなった作品をあえて拒絶・遮断する。
第4フェーズ:改めて作品を見て、再び作品を受け止める。
この4段階を通して、作品を「深く見る」体験をした後に、各々がメモをとり、グループで感想を語り合う。
背景へと透きとおるような色合いで表現した“頭部”の描き方が特徴的なピーターさんによる作品。人と人との間、人と背景・場所との境界線が溶けていくような不思議な感覚を、バスから見た景色、コーヒーショップでコーヒーを飲んでいる姿、本を読んで得たアイデア、夢で見たもの、想像の世界など、様々なシチュエーションを描いている。そんなピーターさんの作品を一堂に見られるのも貴重な機会だ。
「人間という主体が孤独であるというのが資本主義社会のベースだとすれば、ピーターの絵は昔からそれを拡張する、『エクスパンディッド・コンシャスネス(拡張された意識)』や『コズミック・コンシャスネス(宇宙的意識)』のような感覚に通じていると思っているんです」とロジャーさん。とはいえ、鑑賞には正解がない。ひたすらにディープ・ルッキング!
セッションを終えた鑑賞者たちで「最初は他の人がどんな風に鑑賞しているのか気になってしまった」「否定するのが難しかったけれど、時間をおいてみると懐かしい感覚がでてきた」「愛着が湧いた」など自由な会話が飛び交う。作品の解説や情報とは全く別の、“正解”ではない自分の感情を人にシェアすることで、新鮮な発見がたくさん見出せる。
井出さんは「ロジャーさんの話を聞いていて、『想像力を取り戻す』『甦らせる』というのは、単に新しく手に入れるのではなく、元々持っていたものが社会のシステムによって奪われてしまっているからこそ『Reclaim(奪回する)』するという意味が込められているのだと感じました」と振り返る。深く“見る”ことは深く”思考する”ことなのだ。スマホが生活の中心だからこそ、アテンションばかりの世界を受動し続けるよりも、能動的に何かと関わってみることが、人間らしい脳みそを回復する入り口になるかもしれない。
誰かと同じ空間で、一緒の出来事を体験し、学び、シェアする。みんなで絵をじっくり見てみる。そんなシンプルな行為が、とても楽しかった。自分だけの体験、自分だけの言葉を、生身の人間とシェアする双方向なコミュニケーション。それは、インターネットも、スマホも、AIも、あらゆる “便利”な道具の発展と引き換えに失いつつあることかもしれない。「ムーンストラック・カルティベーション」という小さな集いを通して、全然知らない人たちと、同じ場所で、同じ時間を共有し、楽しみ、全く異なる言葉を交換し、想像し、他者を知っていく。いろんな人のいろんな興味関心が交差する、特殊な場。そのイベントの繰り返しのなかで、共に成長することが、新しい芽が“耕される”ということなのかも。
イベント終了後には隣接するブックカフェ「坐坐奔奔」にて「アフターアワーズ茶会」を開催。文化人類学系、デザインやアート関連、隠れた名著、アングラな本など、セレクトも面白い本棚を背景に、さっきまでは他人だったはずの参加者たちが、和やかにおしゃべりしている様子も見られた。
仕事の打ち合わせで、井出さんのアトリエへお邪魔すると、雑談が盛り上がりあっという間に数時間が過ぎる。ウェブチームではよく「魔法にかかったね」なんて言って笑うのだが、それは、友人と楽しく過ごすとりとめのない時間であり、世界の過去から未来について夢想する時間であり、僕らの滋養となる、リアルな“雑誌”の時間なのである。「ムーンストラック・カルティベーション」は、そんなささやかな時間を共にし、学びを広げ、体験を紡ぐ秘密結社のようである。社会のはじっこのはじっこに撒かれはじめた、何が育つかもわからない不思議な種が、様々なイベントを通してどんな芽を出すか。これからもとても楽しみだ。
インフォメーション
Moonstruck Cultivation
編集者の井出幸亮と「全生新舎」の企画による、「触れて考え、知って感じる」小さな学びの時空を生み出すリアルイベントプロジェクト。会場は、日本の整体の創始者であり思想家でもあった野口晴哉(のぐち・はるちか/1911–1976)の旧居である東京・狛江「野口晴哉記念音楽室」。第2回は10月3日(土)に開催決定。
Vol.2「『図案』の森に潜る 近代日本の視覚文化アーカイヴ逍遥」開催!
詳細はこちらから
https://popeyemagazine.jp/todo/296164/
Official Website
https://moonstruckcultivation.github.io/index.html
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