TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#4】ケニアのBADHOPと、中華を食らう
執筆:大前プジョルジョ健太
2026年5月4日
激しい雨が降る深夜0時。
暗闇のスラムに、爆音が響いていた。
雨ざらしのスピーカーからは、四つ打ちの電子音。
それに合わせて、自然と身体がうねる。
鼓膜と心臓が、同じリズムで揺れていた。
「これがスラムのクラブさ」
燃えた木の周りに、キャンプファイヤーのように人が集まる。
手には、酒とも薬品ともつかない液体。
みんな酔って、ただ揺れている。
路上で、ただ音を流しているだけなのに、
入場料は50シリング、約60円。
「お酒、売ってるんですね」
「あれはやめとけ。エタノールだから、目が焼ける」
酒が買えない人は、それで酔うらしい。
笑いながら、男はそう言った。
男の名は、ジャギー。
私と同じ31歳。
細い体に不釣り合いなほど太い、二の腕。
とにかく、よく笑う男だった。
「みんな馬鹿騒ぎしてるね」
彼は耳元で、楽しそうに言った。
トタン家屋の前で、深夜に開かれるナイトクラブ。
踊っている人の顔は、
ほんの少しだけ、現実を切り離していた。
「スラムで中華を探してるんだって?
これから仕事だけど、よかったら案内するよ」
そう言って、ジャギーは暗闇のスラムを歩き出した。
携帯を見ると、深夜3時。
どこへ行くのかも分からないまま、後ろをついて行く。
「この車で街まで行くから、乗って」
ドアにはずれ落ちたサイドミラー。
窓ガラスはひび割れている。
走るのかどうかも怪しい。
エンジンはうまくかからず、
何度かキーを回し、ようやく前に進み始めた。
「ボロボロだろ?でもロマンがある」
言われてみれば、
スラムで車を見たのは、これが初めてだった。
10年かけて買ったという中古車は、
土砂降りの中、ゆっくりと進んでいく。
片方しか動かないワイパーが、激しい雨を懸命に払っていた。
「着いたよ」
道端には、大きな麻袋を担いだ男たちの熱気が立ち込めていた。
袋を覗くと、ぎっしりとキャベツが詰まっている。
「なんの仕事をしてるの?」
「市場で野菜を買って、スラムに運ぶんだ。
車を持ってる奴がいないからな」
にんじん、玉ねぎ、トマト、マンゴー。
ボロボロの車に、次々と積まれていく。
1時間後、車内は野菜で埋まっていた。
数万人が暮らすと言われるサウスランドスラムで、
車を持っているのはジャギーのみ。
彼は、わずかな賃金で、スラムに必要な食料を、毎日運んでいる。
街とスラムをつなぐ、たった一人の運び屋だ。
「そういえば、なんでそんなに英語が上手なの?」
「大学で、電気工学を専攻してたんだ」
意外だった。
「卒業は?」
「してない。母が倒れて、金が必要だったんだ」
それだけ言って、ジャギーは笑った。
スラムで生まれ育った彼は、
6年かけて学費を集めたらしい。
彼の英語は、この旅で聞いた中で、いちばん綺麗だった。
ボロボロの車は、
日の出を浴びながら、なんとか走っている。
「中退したことに、後悔はないね。
まだスラムから抜け出せないけど、
いつか、母と妻、子どもを連れて街に出るよ」
その瞳の奥には、何かを背負っている重さがあった。
スラムに戻る頃には、雨は上がっていた。
照りつける日差しと、腐りかけたゴミの匂い。
女性たちは水を汲み、洗濯物を干している。
夜とは、まるで別の表情だった。
ゆっくりと、日常が動き出していく。
「この道に、車を停めるよ」
人通りが激しいスラムの真ん中に、
無造作に停まった車。
なぜだか、そのボロボロの車が、少し光って見えた。
「ジャギー、今日はいい野菜あるかい?」
「キャベツとマンゴーがいいと思うよ」
「じゃあ、一つずつ頼むよ」
気づけば、まわりには人が集まっていた。
子どもから年寄りまで、30人ほど。
その中の若者が、声をかけてくる。
「ジャギーの友達か?
あいつは、俺たちのリーダーなんだ」
胸に“中国”と書かれた赤いジャージ。
ゴミを素手でかき分けながら、笑っている。
「君は、何をしてるの?」
「ゴミの中から、プラスチックを探して売るんだ。
イカしてるだろ?」
——ゴミ拾いは、イカしてる。
その言葉に、自虐はなかった。
泥だらけでも、どこか格好がついていた。
「ジャギーみたいになりたいんだ」
真っ直ぐな目で、そう言った。
「そんなこと言ってないで、ちゃんと拾えよ」
「うっせーな、お前も早くやれよ」
若者たちは、ふざけながら、軽くぶつかり合う。
その輪に、マンゴーを持ったジャギーが入っていく。
「いいか、お前ら。
俺たちは一緒に上がっていくんだ」
その言葉に、笑いはない。
BAD HOPが川崎で叫ぶ言葉と、同じだった。
日本で聞くと、小っ恥ずかしくなるような言葉が、
いざ目の前で聞くと、信じられないほど力強かった。
ジャギーは、何事もなかったようにマンゴーをかじる。
その顔は、さっきより少しだけ、凛として見えた。
「仕事も終わったし、ドクター・アキも呼ぼう」
ジャギーはそう言って、携帯を取り出した。
数分後、見慣れた顔がスラムの奥から歩いてくる。
「さあ、旅の最後に、中華を探しましょう」
そう言って笑うアキさんは、
この場所に、すっかり馴染んでいた。
「みんな中華はほとんど食べないんだ。
醤油とか調味料が高いから。
正直、俺も食べたことないよ」
一抹の不安を抱えたまま、スラムの雑踏を進んでいく。
気づくと、人が増えていた。
殺気だった視線が
肌の色が違うアキさんと私に向けられる。
「同じスラムでも、初めて行く場所は怖いですね…」
さっきまで意気揚々としていたアキさんの表情は強張り、
口数が減っていく。
カバンを力強く抱き抱え、
携帯を中にしまった。
「ヘイ、ジャギー!調子はどう?」
「日本人の友達と中華を食べに行くんだ」
「ニーハオ!」
「バカ!それは中国語だよ」
すれ違う屈強な男たちは、次々にジャギーに声をかける。
得意げに大股で闊歩するジャギーを見て、
アキさんの顔は、少しずつ血色を取り戻していった。
「安心感が半端ないです…もう怖くないですね」
興奮気味に話すアキさんは、
気づけば、同じように大股で歩いていた。
「あれが、スラムにある中華だ」
私とアキさんは、目を疑った。
店先には、布で肌を隠した女性。
白い帽子に、白い長衣をまとった男性。
「看板に“ビスミッラ”て、書かれてますね…」
それは、イスラム教徒が神に祈る時に用いる言葉だった。
「俺たちケニア人は、ほとんどキリスト教だから、
この店には入ったことがないんだ」
「入って大丈夫なの?」
「……。」
ジャギーは、少し黙ったあと、小さな声で続けた。
「ソマリアから逃げてきた、イスラム教徒がやっている店だと思う。
正直、不安だけど…
気になるなら一緒に入るよ」
アキさんと私の間に、沈黙が流れる。
入り口は狭く、カーテンがかかっているため、
中を見ることができなかった。
「……。とりあえず、入ってみましょうか」
恐る恐る中に入る。
土壁でできた店内は、光を通さず、
半袖では、寒くすら感じられた。
さっきまで私たちの先頭を闊歩していたジャギーの足取りが、
不自然に小さくなっていた。
案内されたのは、一番奥の席。
店員の鋭い眼光が、身体に突き刺さる。
ここで襲われたら、誰も助けには来てくれないだろう。
「すごい!見てください!
フライドライスって書いてありますよ」
アキさんの場違いな声が、店内にこだまする。
厨房から、無言のまま店員が現れた。
何も言わず、こちらを一瞥して、奥へ消えていく。
しばらくして、皿が運ばれてきた。
銀色のプレートに盛られた炒飯。
見た目は、ほとんどカレーだった。
油は少なく、色も薄い。
醤油の匂いもない。
代わりに、鼻に抜ける強いスパイスの香りがあった。
米はパラパラというより、少しまとまっている。
そしてライスの上に、
牛肉の入ったスパイス煮のようなものが乗っていた。
「いただきます……」
恐る恐る口に運ぶ。
——うまい。
思わず、顔を見合わせた。
知っている味とは少し違う。
けれど、確かに炒飯だった。
「でも、これ、炒めてないですよね…
フライドライスって書いてるけど、ただのライス…」
アキさんが、小声で続ける。
「僕の気のせいか、醤油の味はするんですよね」
正直、スパイスの香りで、醤油の味は全くしなかった。
それでも、言われると、
どこかに醤油の気配があるような気もしてくる。
勇気を出して、店員に聞いてみる。
「醤油って入ってますか?」
「入ってない。クミンとターメリックだ」
炒飯というよりは、カレーに近い。
「なんで、炒めてないんですか?」
「油が手に入らなかったから、炒められない」
それ以上は、もう何も聞けなかった。
油がない。
醤油もない。
それでも、メニューにはフライドライスと書かれている。
「これ、中華なんですかね…?」
アキさんは、真っ直ぐな目で見つめてくる。
答えられなかった。
ジャギーの方を見ると、
炒飯のような何かに、大量のケチャップをかけていた。
「こんな料理、食べたことないよ!
中華って複雑な味がして、美味しいんだな」
口の周りは、ケチャップで赤く染まっていた。
「ジャギー、フライドライスにケチャップはつけないよ」
「バカ言うな!ケニア人は、何にでもケチャップをつけるんだ」
そう言われてみれば、
スラムで食べた料理は、いつもどこかにトマトの味がした。
煮込んだ豆にも、肉にも、野菜にも、
どこかに赤い酸味が混ざっていた。
醤油も、オイスターソースも簡単に手に入らない。
けれど、トマトならある。
この街では、それが“旨味”だった。
ジャギーは、迷わずケチャップをかけ続ける。
その姿は、中華を台無しにしているのではなく、
遠くから来た料理を、この街の味に戻しているようにも見えた。
「これは、歴とした、ケニア中華ですね」
アキさんは笑って、スプーンを走らせた。
店主の口元が、少しだけ緩んでいるように思えた。
張り詰めていた空気は、もうそこにはなかった。
店を出ると、
強い日差しと、スラムの匂いが、一気に身体に戻ってくる。
「どうだった?」
ジャギーが、笑いながら聞いてきた。
「うまかった。やっぱり、中華っていいな」
そう言うと、ジャギーは少しだけ得意げな顔をして、
すぐに、いつものように笑った。
「だろ?まあ、俺は初めて食べたけどな。
他にも中華があるから、食べに行こう」
そう言って、またマンゴーをかじり始めた。
醤油も、油も足りない場所で、
中華は、少しだけ形を変えていた。
クミンとターメリックで香りをつけ、
ケチャップで味を整える。
スラムの路地で食べたその一皿は、
間違いなく、ケニアの中華だった。
「スラム支援も、中華探しも、悪くないですね…」
アキさんと私は、互いの顔を見て笑った。
少し照れくさい気持ちのまま、
また、ジャギーの背中を追いかけた。
プロフィール
大前プジョルジョ健太
おおまえ・ぷじょるじょけんた|1995年、大阪府生まれ。映像ディレクター。TBSにて’23年に自身が立案した『不夜城はなぜ回る』が「ギャラクシー賞」を受賞。その後’24年にTBSを退社。Abema『国境デスロード』『世界の果てに、くるま置いてきた』など、フリーのディレクターとして活動中。
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