カルチャー

『急に具合が悪くなる』の濱口竜介監督にインタビュー。

2026年6月19日

photo: Momo Nagashima
text: Keisuke Kagiwada

介護施設でディレクターをしているフランス人マリー=ルーと、演劇公演のために来仏した日本人演出家の真理。パリで出会った2人はたちまち意気投合するが、真理は末期がんを患っていた。『急に具合が悪くなる』は、そんな2人が紡ぐ短くも濃密な時間を映し出す。原作は、がんと闘病する哲学者の宮野真生子と、医療人類学者の磯野真穂が「病」をめぐって交わした往復書簡だ。本書に描かれた「魂の分け合いの物語」を、新たな物語へと昇華させた濱口竜介監督に、話を聞いた。

© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners

ーー『急に具合が悪くなる』は、パリの街並みの上に広がる空のショットから始まります。そこに、のちに重要な役割を担うことになる一羽の鳥が横切ると、その軌跡を追うようにタイトルが映し出されます。これをファーストショットにすることは、最初から決めていたのですか?

濱口 いやいや、まったく。あれはメインの撮影を手掛けたアラン・ギシャウアではなく、Bカメのコランタン・コラージュに「コランタン、風を撮ってきてくれ」と頼んで撮ってきてもらった中にあったショットです。完成版ではその次にマリー=ルーが働く介護施設の壁をクレーンで撮影したショットが登場しますが、当初はそれを冒頭に据える予定でした。

ーーそうだったんですね。壁もまた、のちに作中で重要なテーマとして示される「境界線をいかに突破するか?」という問いを予告するようなイメージですよね。

濱口 そうですね。あそこは今、実際に介護施設として使われている場所で、もともとは修道院でした。映画のなかではおそらくかつては修道院、精神病院、そして介護施設になった場所と設定しています。要するに、どこか人を閉じ込めるような空間でもある。そのことを示す映像ではあったのですが、撮れた素材を全部見て、そこを強調する映画でもないと思い始めて。ラストショットとも呼応する要素を持つ、あの空のショットが、タイトルをだすうえでもよい気がして、そのようにしています。

ーーじゃあ、Bカメが撮ってきた中に鳥が映っていたショットがあったのは、偶然だったんですか?

濱口 はい、たまたまです。まあ、でもコランタンがめちゃめちゃ沢山撮ってくれた、そのなかのワンショットですけれど。それを山﨑さんが見つけてくれたわけです。

ーー狙い済ましたように鳥が横切るので、てっきりそのタイミングを待って撮ったものかと思っていました。今作で濱口監督は初めてフランス語の演技を演出したわけですが、何か発見はありましたか? 以前、フレデリック・ワイズマン監督について濱口監督にお話を伺った際、「英語は話すごとに楽しくなる言語」であり、それは日本語にはない性質だと語られていましたが、フランス語はどんな言語でしたか?

濱口 まぁ、本質的に官能的な言語なんだと思いましたね。フランス語ってrを発音するとき、息を喉で鳴らすわけですよね。これが発音できるようになったら、発音自体にある種の快楽が宿るような印象があります。あと、フランス語って、話していると体が前に向かって、少しキュッとまるくなっていくんですよ。英語ほどオープンで開放的ではない、もっと密やかな”語ることの快楽”の中に没入している。だから、みんなあんなに喋りたがるんじゃないでしょうか。フランス文化の根本には喋ることに喜びがある気がしています。

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ーー本作は、フランス語だけではないにせよ、まさに喋るシーンが重要な映画です。とりわけ、マリー=ルーと真理がパリの街中を散歩しながら長い会話を交わすことで、心を通わせていくシーンが、個人的に印象に残りました。パリが舞台の映画にはこの手のシーンがよく登場する気がするのですが、「パリで撮るなら散歩でしょ!」という気持ちがあったのでしょうか?

濱口 いや、あのシーンは何かの映画を参照して撮ったわけではないですね。原作は往復書簡であり、非常に言葉が多いというか、言葉しかないわけですよ。それを何がしかの形で映画に移し替えるにあたり、往復書簡ではないにせよ、会話劇にはなるだろう、とまず考えるわけです。だけど今回、ひとつ決めていたのは、乗り物の中で人物たちに会話をさせないということでした。もうたくさんやってきたので(笑)。であれば、歩きながら会話をするだろう、と。

脚本を書いている初期段階では、パリは日本よりずっと撮影しやすいんじゃないのかという期待もありました。だから、がんがん人物たちが歩く脚本を書いていたんですけど、普通に大変でして……。最終的に2人が川べりに辿り着くとして、じゃあ、そこに至る過程はどこで撮れるのか? ということをロケハンしながら考慮した上で、あのようなシーンになりました。

ーー本作では「時間の経過を撮る」ということに、重きが置かれている印象がありました。それは末期がん患者である真理が、残りの時間を意識せざるをえない存在であるからなのでしょう。実際、シークエンスの冒頭には日付が示され、「コーヒーができるまで」「カップ麺が出来上がるまで」といったことが問題になるシーンもあります。散歩のシーンも、スタート時はまだ明るかった空が、2人が歩むごとに刻一刻と日が暮れていき、川べりへと至る頃には真っ暗になります。ただ、スタジオならともかく外での散歩シーンでここまで「時間の経過を撮る」って相当に準備が必要だと思うんです。前作『悪は存在しない』は、規模が小さかったがゆえに、偶然を取り入れながら即興的に撮り方を決める自由を謳歌されたと語っていましたが、今回はむしろ制約を課すということに挑んだのでしょうか?

濱口 どうなんでしょう。でも、ある程度あるとは思います。というのは、外国語で撮るのは初めてだし、大きいチームを動かすためには、準備が必要不可欠だからです。それこそ外の撮影でいえば、エキストラを配置しないといけないとか、もしくは一般人があまり映らないようにしなきゃいけないとか、そういう人員の配置の問題があるわけですよね。ここからここまではこう撮りますっていうことを、あらかじめ決めておいてほしいという現場からの要望も非常に強かったので、そこは決めています。

ただ、自分の感覚としては、偶然性も強いというか。例えば、散歩のシーンでは、2人が川沿いを歩く中、街灯がぽんぽんぽんとつく瞬間を俯瞰気味に撮ったショットが挿入されています。あれはBカメに「我々がこのシーンを撮影している間、ずっとカメラを回してください。使うかもしれないし、使わないかもしれません」と頼んで撮っておいてもらったものなんです。

フランスの撮影現場そのものは、もちろん監督によるとは思いますけど、ものすごく計画して何かやるっていう雰囲気ではありませんでした。やっぱり基本的には現場で決まる。現場で即興的に判断するっていうことをスタッフもキャストも尊ぶような、なんかそういうところがありました。

ーーじゃあ、むしろ日本でやってきた感じと通じ合うような部分があったと?

濱口 むしろ日本の場合は……なんであれ、日本人ってめちゃめちゃ準備するんですよ。もう二重、三重に準備をする。それは監督としてはものすごく安心できてありがたいんですが、それ自体がスタッフの負担になっていたりとか、もしくはそのコストをかけているために、現場で変えられない雰囲気もあったりします。自分はその雰囲気に慣れているので、今回もとりあえず準備はお願いするわけですが、「おいおい、そんな準備で大丈夫か?」と不安になることがよくありました。

だけど、重要なシーンは2日ぐらいかけて撮ったりする中、2日目に「ほら、できたでしょ?」みたいな雰囲気になる(笑)。まぁ、それはそれで非常に合理的だと思いました。結局、実際に現場に行ってカメラを構えてみないと、「こうなるのね」っていうのはわかんなかったりするわけですよ。そうなると、現場に行って即興的に決めることの合理性は、実はものすごく高い。そしてそのためにきちんとスケジューリングもされている。それさえあれば、現場で状況に応じて最善を求めるっていうのもやっぱり正しいなと思いましたね。

とはいえ、ある程度の準備をする習慣は持ち込めたし、『悪は存在しない』を撮ることで得たある種のいい加減さもあってフランス的撮影にも対応できた気がしていて、今回は日仏のいい習慣を程よくブレンドできたのかなと思います。

ーーなるほど。ちなみに今回、即興的に作られたシーンってどこなんですか?

濱口 一番わかりやすいのは、マリー=ルーと智樹(真理が演出する舞台に出演している俳優、清宮の孫)が出会う公園のシーンですかね。完成版では雨が降っていますが、脚本では晴れている予定でした。だけど、二日前くらいにどうも雨が降りそうだと判明して……。

ーー急に天気が悪くなる(笑)

濱口 そうなんです(笑)。天気は操れないので、脚本を雨用に書き直して撮りました。

© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners

ーーむしろあのシーンはあえて雨を降らせたのかと思っていました。木の下で雨宿りする2人を横から捉えたショットには、素晴らしいタイミングで木の葉が落ちてきて、あれも忘れがたいです。

濱口 だから、準備の仕方から撮影の仕方まで、日本でやってることとものすごく違うことをしたわけではないと思っています。

いつもと大きく違った点は、文化そのものですね。こういうときにこういう反応をする、っていうフランス人の一般常識がわからないわけですよ。だから、現地のキャストやスタッフに脚本から撮影に至るまで「違和感があったら教えてね」と言い続けました。外国人監督が日本で撮った作品を観ていると、よくあるじゃないですか。「さすがに日本人はそんなことしないよね」っていうシーンが。それはないに越したことがない。もちろん、違和感があると言われてもやることだってあったわけですが。

ーーその文脈とはまったく違うことは承知ですが、「時間の経過」を撮ることに重きを置いた本作に、一箇所だけ回想シーンが登場することに少し違和感を覚えました。マリー=ルーが部下から仕事を辞めると告げられる序盤のシーンです。まず、マリー=ルーが昼間の職場で部下に呼び止められるシーンがあり、次に夜の電車の中で物思いに耽るマリー=ルーに繋がれ、ふたたび昼間のマリー=ルーと部下の話し合いのシーンに戻る。しかも、戻ったシーンでは、部下が別の同僚も一緒に辞めると語った瞬間、その同僚の顔を映した別の時間のショットまで挿入されます。

濱口 結論から言えば、面白いと思ったから、なのですが、それは尺の問題とも関わります。もともとの脚本は完成した映画よりさらに長く、普通に繋いだら3時間40分くらいになるんですよ。そこにエンドロールをつけたら3時間50分くらいになる。じゃあ、大事な情報は残しつつ、どこを切り詰めていくか。ということを編集の山崎梓さんと相談する中で、指摘されたシーンを回想形式にできるだろうというアイデアが出たんです。そして、その回想の中にさらに回想があったらどうだろうと、調子に乗ってやってみたところ、面白かったんです。

もっともらしいことを言えば、マリー=ルーの精神の中に入っていくということですよね。それまで観客は彼女が置かれている状況を、外側から見てきたわけです。その1日を彼女自身は苦々しく思い返している。その出来事に入っていくには、単純に外側から見るより、内側から見せたほうがいいのではないか。そう2人で考えたわけです。

さらに付け加えると、回想シーンって基本的にはあんまりよくならないものだと思っています。っていうのは、基本的には因果関係を転倒させるので、ただの理由の説明に堕していく可能性が大いにある。相米慎二ですら、『風花』の回想シーンとか、シーンとしてイキイキとしていない感じがありますよね。だから、回想は取扱注意ではあるというのが大前提です。でも、そういうことほどやってみたい。そういう気持ちはあると思います。

これは手持ちカメラなんかにも言えますけど、基本的にはそんなに乱用しないほうがいいに決まってるよなってことがあるわけです。ただ、映画の可能性というのは、「これは映画的ではないのではないか」と言われていることのほうに意外と広がってもいるので、隙があれば、そういう踏み外しはどんどんやっておきたいな、と。

ーー映画の可能性は、「これは映画的ではないのではないか」と言われていることのほうに広がっている! 確かにそうかもしれません。無粋を承知で聞きますが、今回の映画で他にそういう挑戦をした局面はありましたか?

濱口 そもそも言葉ばかりの映画というものが映画的なのか? っていうことですかね。自分も原作を読んで、脚本にする際に、これは本当に映画になるのだろうか? という疑いを何度も抱きました。だけど、最終的には一番大事なことだけをやろう、託された原作を映画化する責任を果たすことだけを考えよう、と思うことにしました。それがいわゆる「映画」になるかどうかは知らん、と。ただ、ずっと映画を観てきた人間なので、何かそれが映画というものに接しうるのではないか、と自分に期待をかけていた感じです。

© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners

ーーでは最後に、濱口監督にとって「映画作りとは何か?」を教えてください。

濱口 基本的には、賭けでしょうね。ギャンブルに勝ったときにドーパミンがドバドバ出ると言いますが、それと近いものを、撮影の時なんかは顕著に感じます。結局これほど楽しいことを他に知らないから、やめられない。あとは、何というんでしょうね、撮っているけど、撮らされているところもあるのかな、と。

ーーそれは映画自体に、ということですか?

濱口 そんないいものかはわかりませんが、単に自分の意志で撮っているわけではないと思いますね。ただ正直、誰でも一度映画を撮ってみれば、そうなる気はしますね。

ーーその快楽を知る監督としては、誰にでも映画を作ってみろっておすすめはしますか?

濱口 それはギャンブルと一緒ですよ。一生を棒に振る覚悟があるなら是非。

プロフィール

濱口竜介

はまぐち・りゅうすけ|1978年12月16日、神奈川県生まれ。主な監督作に、カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出された『寝ても覚めても』、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員大賞)受賞した『偶然と想像』、カンヌ国際映画祭で脚本賞をはじめ4冠、米アカデミー賞®で日本映画初の作品賞含む4部門にノミネートされ、見事国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員賞)を受賞した『悪は存在しない』など。

インフォメーション

『急に具合が悪くなる』の濱口竜介監督にインタビュー。

『急に具合が悪くなる』

パリ郊外の介護施設「⾃由の庭」のディレクターであるマリー=ルー・フォンテーヌは、⼊居者を⼈間らしくケアすることを理想としつつ、人手不足やスタッフの無理解などに悩まされている。そんな中、マリー=ルーは森崎真理という日本人の演出家に出会う。がん闘病中の真理が演出するのは、自閉スペクトラム症の孫・智樹と行動を共にする俳優・清宮吾朗の一人芝居。その芝居に感銘を受けたマリー=ルーは、急速に真理との仲を深めていくのだった。マリー=ルーをヴィルジニー・エフィラ、真理は岡本多緒が演じ、第79回カンヌ国際映画祭において2人は最優秀女優賞を共同受賞した。6月19日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー。

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