カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/野村友里
2024年2月11日
photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
hair: Miho Matsuura (TWIGGY.)
make: Shoko Takitani (TWIGGY.)
2024年3月 923号初出
小学校からの同級生とインターハイへ。
テニス漬けの毎日を経て留学し、
ロンドンで気づいた料理と空間の関係。
コートを走り続けた、
テニス漬けの学生生活。
「小学校から大学まで、ずーっとテニスをやっていたんです。高校ではインターハイにも出て。だから、二十歳の頃はインカレで365日テニスをしてました」
意外や意外。〈eatrip〉を主宰し、料理人として様々なフィールドで食を探求し続ける野村友里さんが、学生時代はテニスコートを駆け回っていたなんて。
「ちょうど他大学で強い選手を採るためのセレクション(実技選考)が始まった時期だったんです。うちの大学にはその制度がなく、小学校の同級生とエスカレーター式でずっと一緒で、同じチームで1部リーグまで上がったんです。昔でいう『がんばれ!ベアーズ』みたいな感じ。ものすごく稀なケースだと思います」
そんなに強かったのなら、社会人になっても続ける選択肢もあったのだろうか。
「それはなかったです。私はあまり勝負ごとに向いていなくて、『お互いラリーができたらいいんじゃない?』なんて思うタイプで。チームが強かったから続けていました。良くも悪くもやり続けてしまうタイプなんです。ちょっとコンプレックスなくらい」
強いばかりに、周りからの期待もどんどん膨らんでいったという。
「よく夢を託されていたんですよね。テニス部がある学校としては古くてOBもOGも大勢いて、私たちの代が珍しく強いから、いろんな人の思いを受け取りながらやっていたんです。あの頃の私は映画も絵も音楽も写真も好きだったし、テニスも楽しかったけど、もしやめていたらやりたいことがいっぱいあったと思う」
東京生まれ東京育ちの野村さん。放課後はたまに渋谷で映画を観るくらいで練習ばかり。西荻の家には、おもてなし教室を開いていた母・紘子さんのごはんを目当てに、多くの人々が訪れていた。
「料理は普通に家にあるものだと思っていました。家庭内サロンといったら大げさですけど、母のごはんを食べたいという名目で、私や弟、父の友達がしょっちゅう家に来ていたんです。私が試合前で大変そうにしていると、誰かが『こういう音楽聴けば?』と教えてくれたりして」
料理を介して人が繋がり、会話が生まれる。そんな体験を重ねながら、野村さんも物心つく頃には自然とキッチンに立っていた。好きだったのはお菓子作りだ。
「小学生のとき、いちばん最初に母と作ったのがフィナンシェ。バターを“はしばみ色”(カバノキ科の落葉低木から採れる、ヘーゼルナッツに似た実の色に由来)になるまで焦がすのですが、その言葉の響きが好きで、ずっと耳に残っています。二十歳の頃によく作っていたのはチョコレートケーキかな。母に教わるのではなく、洋書を見て、自分なりに調べて作っては、友達や母の友人にあげることが多かったです。でも、料理が仕事になるなんて全く思っていなかったんですよ」
大学卒業とともにテニス漬けの日々も終わりを迎え、野村さんは企業に就職した。
「厳しい父親が『大企業には今しか入れない。あとからいくらでも好きな道に行けるんだから、まずはいちばん大きなところを信じて入りなさい』と言ってくれて、確かに日本でいちばん大きな組織を見ておくって大事なことだなと」
新卒という立場で入社し、社内教育を受けられる機会は人生に一度しかない。父の進言を受け、野村さんは大手総合商社の総合職に就いた。でも、終業後はいつも友達が迎えに来るし、私用電話も多い。悲しいかな、会社勤めはどうにも性に合わなかった。かわいがってもらった恩を噛み締めながら、1年半ほどで退職。野村さんの今後を案じた友人、知人たちは「適齢期なんだから結婚したら?」「あんまり外の世界を知ると婚期を逃すよ」と心配したが、野村さんは改めて考えた。
「このまま結婚しても、何かあったときに誰かのせいにしてしまうかもしれない。稼ぎもないし、もうちょっと何かしてからじゃないとダメだなという考えがあって。一度も家を出たことがないし、初めての反抗期みたいな気持ちもあって、貯めたお金でイギリス留学を決めました」
AT THE AGE OF 20
イギリス留学で気づいた、
食と空間が持つ魅力。
目的は「料理留学」。ロンドンの料理学校で1年間ほど過ごした。いよいよ料理の道を志したかのように見えるが、野村さんのなかには葛藤が残っていた。
目的は「料理留学」。ロンドンの料理学校で1年間ほど過ごした。いよいよ料理の道を志したかのように見えるが、野村さんのなかには葛藤が残っていた。
「料理を褒められることは多かったし、母もいて、留学前には懐石料理を学んだことも。結局は食なんだろうなと思ってはいたんです。どこの国に行っても料理があれば毎日を楽しめるし、きっと武器になる。でも、その頃の私はまだ抗っていました。どこかで料理は無償のものと捉えていたから。それよりも、料理がある空間を生かして、誰かを呼ぶ、音楽を鳴らす、みたいなことができないかなと。料理を入り口にその先を見てみたかった」
すると、留学中にそのヒントが見つかった。家具と食をともに扱うライフスタイルショップ、ザ・コンランショップが続々とレストランをオープンしていたのだ。その姿に、野村さんは感銘を受ける。
「フランスの朝食に感動したテレンス・コンランさんが、『イギリスにも朝からおいしいコーヒーとクロワッサンが食べられるような食文化を作りたい』と言って、レストランやグロサリーショップをオープンしたのは有名な話。まさにそれを体現したお店がたくさんありました。日本にも、料理を空間や時間と一緒に楽しんでもらえる場所があったら……。そんなことを考え、帰国後に似たような店を探してイデーと出合ったんです。当時、イデーもザ・コンランショップと同じように家具屋でありながら滞在型の空間を作り、文化を育てていこうとカフェを運営していて。何度か通ううちに声をかけられて、厨房に入ることになりました」
自由な社風ゆえ、野村さんの仕事はカフェで働くにとどまらなかった。エネルギッシュな社長のもと、ヨーロッパで行われた展示会のレセプションパーティの食事を任されたことも。安易に答えを出さず、自分なりに働き方を模索し続けた野村さん。留学を経て20代の終わりに見つけたのは、かつてテニスに打ち込む自分の傍らにもあった、料理を中心に人と人が繋がる空間。その種はやがて、映画『eatrip』や、原宿のレストラン、表参道のグロサリーショップなど、様々な形で開花していく。振り返れば、二十歳の自分はテニスばかりで将来が見えなかった。でもそれでよかったと野村さんは言う。
「なりたいものがない、やりたいことがわからないって、人生でいちばん素敵な時期だと思います。何にもなくたっていいんです。飛び出さず、同化していくような生き方がいいと思っていて。少し前に養老孟司先生とお会いしたら『アイデンティティは容姿だから、生まれたときに持っているんだよ』と仰っていたんです。だから心はどんどん開いて、ユナイトしていったほうがいいんだと思います」
二十歳の自分に今、声をかけるなら?
「今うまくいってないと思っても焦る必要はないし、自分に嘘をつかないでほしいです。そして、疑問を持つことをやめないで。一生の友達だと思うから」
プロフィール
野村友里
のむら・ゆり|東京都生まれ。おもてなし教室を開いていた母の影響で料理の道へ。2012年、原宿にレストラン『eatrip』をオープン。2019年、表参道GYRE内にグロサリーショップ『eatrip soil』をオープン。著書に『とびきりおいしい おうちごはん』(小学館)など。
取材メモ
表参道の『eatrip soil』で撮影。ベランダには畑、眼下には原宿の街並みが。遮るものがなく西日がよく入る。ところでテニスに没頭した経験は今の野村さんに生きている? 「ここで習うこと以上に社会で大事なことはないから、と先輩に言われたとおり、礼儀や礼節は身につきました。個人プレーだけど団体戦なので組織の考え方も学べたし、強い者同士がペアを組んでも勝てないという相性のことも考えさせられました。まさに縮図でしたね」
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