カルチャー

【#3】馬だけが暮らす島|ユルリ島のこと

2022年1月27日

馬だけが暮らす北辺の海に浮かぶ無人島、ユルリ。

北海道の根室半島沖のその島に渡る時、写真家の僕は鞄にできた最後のスペースにいつも「北の勝」をいれている。撮影で冷えた身体を温めるためではない。ユルリ島で野営をするテントの中で「北の勝」をのむと、この島でかつて暮らしていた先人たちと、遠い記憶の中で会話をしているような気分になるからだ。

いまから70年ほど前、まだエンジン付きの船が一般的ではなかった時代、昆布を採ることを生業とする根室の小さな集落の漁師たちは、舟に馬を乗せ、手で艪を漕ぎ、海を渡った。そして採った昆布を島に広がる草原に干し、馬とともに生きてきた。

厳しくも穏やかな時間が流れるユルリ。この島でかつて暮らしていた彼らもまた、漁を終え、日が暮れると、星が降る草原に建つ番屋で酒を酌み交わした夜もあったであろう……。

「北の勝」というのは北海道の東の果て、根室にある「碓氷勝三郎商店」という日本最東端の蔵元がつくる地酒である。創業は明治20年(1887年)で、かつては酒造りだけではなく牧畜なども手がけ、根室からさらに北東に位置する国後島で100頭以上の馬を飼っていたという。いまでは知る人も少なくなったが、この地域の馬市はかつて東洋一の規模と謳われ、人と馬とが雲霞のごとく押し寄せたという。「北の勝」の化粧箱にさりげなく馬の絵が描かれているのはそのためだろう。地域の人たちはこのお酒をこよなく愛している。

いまは無人となった草原の上に、灯台と馬だけが佇むユルリ島……。写真家の僕はこの島に、誰に頼まれるわけでもなく東京から10年以上にわたりひとり通った。島の灯台はいまでも北辺の海を行き交う船に道を教え、僕もその光を頼りに草原を歩き夜を迎えた。そして野営をするテントの中で「北の勝」をのみながら、少し離れた国後島の馬のことを考えていた。

かつて日本人に飼われていた馬の子孫は、きっといまでも島のどこかで生きている……。そして、馬だけが暮らす無人の島がユルリ島のほかにも日本にあるとするならば、それはユルリ島よりもさらに北の海に浮かぶ島々のどこかだろうと……。

いまでも僕は東京での暮らしの中で、国後島の原野を疾駆する馬の姿を想像することがある……。けれどそれは、僕が描きだした根拠のない妄想というわけでもない。なぜなら僕は、国後の河原でなにものにも縛られることなく、自由に草をはむ馬の親子をこの目で見たことがあるからだ。

北国の馬は強靭だ、馬はきっと生きている……。

ユルリ島ウェブサイト
写真・映像:岡田敦
文章:星野智之(⻘い星通信社)
デザイン:鈴木孝尚
音楽:haruka nakamura
企画制作:岡田敦写真事務所
運営:根室・落石地区と幻の島ユルリを考える会

プロフィール

岡田敦

おかだ・あつし|写真家。北海道生まれ。東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程にて博士号(芸術学)取得。“写真界の芥川賞”とも称される木村伊兵衛写真賞のほか、北海道文化奨励賞、東川賞特別作家賞などを受賞。作品は北海道立近代美術館、川崎市市民ミュージアム、東川町文化ギャラリーなどにパブリックコレクションされている。

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