カルチャー

【#2】馬だけが暮らす島|ユルリ島のこと

2022年1月20日

北海道の東の果ての海に浮かぶ無人島、ユルリ。

馬だけが暮らすこの島は、人の立ち入りが厳しく制限され、その実像は長い間ベールに包まれていた。地域の人たちにさえよく知られていなかったこの島に、写真家として通い10年以上の時が経つ。いま、その過ぎ去った時を振り返ると、僕の心の中に甦るユルリ島の情景は、いつも深い霧に覆われている……。

北海道根室半島沖に浮かぶユルリ島。その島の草原を歩きながら、馬を探す。かつて人が暮らしていたといっても、この島に舗装された道はない。風がこの島の草原を駆け抜け、微かな道をつくり、やがてそこを人や馬が通りすぎた。けれどその道もまた、いまは青々とした笹に覆われている。

周囲8キロにも満たない小さな島。しかし、道なき草原を人がひとり歩みを進めるにはあまりにも広い。そしてこの島は、春から夏の終わりにかけて深い霧に包まれる。海上で発生する海霧が、すっぽりと島を包み込み、外界からこの島を消し去ってしまうのだ。数十メートル先ですら見えない世界。その霧の中を、僕は馬を探し、草原をかきわけ、彷徨うように歩く。

馬は島のどこにいるのかを教えてはくれない。島のどこかで草をはみ、群れとなり、島のどこかへそっと移動する。走ることもほどんどなく、いななくこともない。その必要もないのだろう。だから、その音を頼りに、馬を探すこともできない。

だが、たとえ霧で視界が遮られようと、日が沈み灯台の光しか頼るものがなくとも、馬に出会えなかったこともない。その日、その瞬間、島で心地よいと感じる方向へ歩みを進めれば、馬はその先に佇んでいる。霧の切れ間から差し込む微かな日の光や、草原を駆け抜ける風の音が、馬のいる場所へと導いてくれる。馬は島と対話し、島とともに生きている。島が馬のいる場所を教えてくれる。

「静寂」とは音のないことではない。忘れられた音に光をあてる“時の静けさ”のことなのだろう。馬は異界からやってきた僕から逃げることもなく、静かに草をはみ続ける。風が僕を追い越してゆく。

撮影を終え、僕は草原を離れ、この島の岸で船を待つ。定期船があるわけではない。港がないこの島に大きな船は接岸できない。漁師と約束した時間に、船が迎えにきてくれることを静かに待つ。

海霧がむこう側にあるはずの景色を消し去る。海霧がゆるやかな境界をつくる。その境界のむこう側から、微かな船の音が近づいてくる。

僕は岸を離れ、船に乗る。島は後方へ霞んでゆく。船は道なき道を進み、船頭は僕をこの世界へ連れ戻す……。

ユルリ島ウェブサイト
写真・映像:岡田敦
文章:星野智之(⻘い星通信社)
デザイン:鈴木孝尚
音楽:haruka nakamura
企画制作:岡田敦写真事務所

プロフィール

岡田敦

おかだ・あつし|写真家。北海道生まれ。東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程にて博士号(芸術学)取得。“写真界の芥川賞”とも称される木村伊兵衛写真賞のほか、北海道文化奨励賞、東川賞特別作家賞などを受賞。作品は北海道立近代美術館、川崎市市民ミュージアム、東川町文化ギャラリーなどにパブリックコレクションされている。

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