TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#3】魔都プラハ
執筆:ペトル・ホリー(Petr Holý)
2026年1月29日
子供の頃から親しんでいた、いや、恐れ慄いてきたバロック彫刻に誘われたかのように、私はプラハへ流れ着きました。その頃、親しくしていた日本の「ペンパル」が、1989年に、当時三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)の名舞台『義経千本桜』他が収録された一本のビデオテープを送ってくださり、それがそもそも私の歌舞伎研究の道の発端のきっかけとあいなったわけです。
『義経千本桜』の「河連法眼館」、左から二代目澤村國太郞の狐忠信(源九郎狐)、初代淺尾額十郞のしづかノ前。文政8年(1825年)8月
寿好堂よし國 / Yoshikuni Jukōdō – Museum of Fine Arts Boston https://collections.mfa.org/objects/460948, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4208621から
いわゆる猿之助歌舞伎にはケレンと呼ばれる奇想天外な演出が観衆を湧かせる趣向が数多あります。
17歳の私の目に映ったのは義経に鼓をもらった源九郎という神出鬼没な狐が大はしゃぎで宙へと駆け去っていく「宙乗り」や、まさにバロックの「彫刻」のように静止するかのような見得(みえ)をする場面でした。
静止するように見えるものの、実は「静中の動(どう)」のようにも見受けられます。
「すっぽりの菱皮」と呼ばれる大胆な鬘(かつら)を被った『義経千本桜』の鳥居前や、異なる鬘、仁王襷(におうだすき)を掛けた姿で蔵王堂に登場する忠信の見得は、不思議なことに私の目には、プラハのカレル橋の欄干に備えられる彫刻のように映ったのでした。
まさにファンタジー、論理の範疇を超えたバロックに通ずる歌舞伎の、魔法に溢れる不可思議な世界への誘いに私はどんどん呑み込まれたのでした。
フランツ・カフカの名文に、「プラハは誰をも離さない。君をも、僕をも。この母には爪があるのだ。人間はそれに従うか、さもなければ――。両端から、ヴィシェフラットとフラッチャニで火をつけなきゃ、逃げられるやかもしれない。」(親友、当時美術史の学生だったオスカー・ポラックへの手紙、1902年12月20日付)があります。
私からすると、「プラハ」に加えてここに「歌舞伎」と書き入れたくなるような気もします。歌舞伎はさておき、その「爪」をプラハに仕掛けたのは誰だったか、それはおそらく、プラハを拠点と選んだ怪帝とも言えようルドルフ2世がプラハに呼び寄せた錬金術師であり、また、古からプラハを拠点としたユダヤ人の文化そのものでした。
ルドルフ2世の宮廷画家としてプラハ城で仕えた、マニエリスムを代表する画家アルチンボルド(1526〜93)による『ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世』(1590-91)
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21983317から
すでにカレル4世時代(在位1346〜1378)、プラハは「黄道帯」に則って築かれたと言います。
「プラハの黄道帯」とは、占星術の概念に基づいて、都市の計画が12の星座に対応する12の領域に区切られていると言われています。
ルドルフ2世はプラハに天文学者、占星術師、錬金術師として有名なティコ・ブラーエ(1546〜1601)やその助手としてキャリアを始めた数学者、自然哲学者、占星術師のヨハネス・ケプラー(1571〜1630)も招き活躍させました。
今や世界を驚かせる『ヴォイニッチ手稿』の最初の確実な所有者はプラハの錬金術師、ゲオルク・バレシュ(1585〜1662)でした。
Josef Vajce, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=859398から
Beinecke Rare Book & Manuscript Library, Yale University , パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7982009から
そんななか、1588年に神秘思想家のイェフダ・レーヴ・ベン・ベザレル(通称ラビ・レーヴ、ヘブライ語の略称マハラル、1525〜1609)はプラハに帰り、彼もまたルドルフ2世に招かれ、神秘主義思想、ユダヤ教の伝統に基づいたいわゆる創造論である「カバラ」と錬金術に没頭したという逸話があります。
そして、ヴルタヴァ川の粘土で泥人形、言い換えれば人造人間ゴーレムを作ったのもラビ・レーヴだという逸話があります。
ラビ・レーヴの墓石は不思議な力があるとされ、ここは今もなおプラハの名所とされています。
プラハの底力ならぬ魔力はこのようにチェコの文化を隅々までいびつにも染めていったのです。これはいわばプラハの「ケレン」なのです。
プロフィール
ペトル・ホリー(Petr Holý)
1972年プラハ郊外のドブジーシュ生まれ。1990年プラハ・カレル大学哲学部日本学科に入学し、1991年語学短期留学で初来日。93~94年早稲田大学、98年~2000年東京学芸大学大学院、2000年に早稲田大学大学院文学研究科に入学、歌舞伎を研究し、04~06年同大学第一文学部助手、06年同大学大学院博士課程を卒業。06年に、駐日チェコ共和国大使館一等書記官となり、同大使館内にチェコセンター東京を新たに開設、同時に所長に就任。ヤン・シュヴァンクマイエル監督の映画字幕作成や書籍翻訳、関連書籍の執筆をはじめ、チェコ文化を広く日本に紹介。13年にチェコセンター所長を満期退任。現在、歌舞伎研究の傍ら、未だ知られざるチェコ文化・芸術の紹介と普及を目的にした「チェコ蔵」を主宰。チェコ文化関連のイヴェントや講師・講演会など数多くこなし、公的な通訳・翻訳業にも携わる。都留文科大学・清泉女子大学の兼任講師(歌舞伎、ジャポニスム、チェコアニメーション史)を務める。
Official Website
https://chekogura.com/about.html
プロフィール写真
撮影:©︎宮地岩根
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