トリップ
ゴールドラッシュをめぐる冒険 番外編 Vol.2
写真・文/石塚元太良
2025年9月4日
フランクフルト国際空港から、Steidl社のあるゲッティンゲンの街へは、電車で北へ1時間半ほど。ゲッティンゲンは、人口15万人くらいのこじんまりとした街であるが、ゲッティンゲン大学がおかげで、街自体に活気がある。
数年前に話題になった『オッペンハイマー』という映画の中で、主人公のオッペンハイマーが、物理学者の教授と出会うシーンがある。それが、ゲッティンゲン大学である。最先端の物理や数学などで有名な大学で、街には優秀な若い理系の学生たちが、集まってきているのだろう。
世界的に有名な出版社であるSteidl社は、そんな小さな街の路地にひっそりと軒を連ねている。レンガ造りの一棟は、印刷機の入った4階建ての建物。その隣には、アーティストが宿泊するためのレジデンス棟がある。
印刷機の入った社屋は、200年以上前の建物をリノベーションをしたもので、小さな表札がなければ、通り過ぎてしまうほど。
扉を開けると、古い社屋の一階にローランド7000という巨大なオフセット印刷機が、鎮座しており、訪れるものを圧倒する。印刷用インクの匂いが鼻をつき、ここが紛れもなく「ものづくりの現場」であることを瞬時に理解するだろう。
世界広しといえども、Steidl社ほどの小さな出版社が、自前の印刷機を所有している例は聞いたことがない。なぜなら、オフセットの印刷機とは、フル回転させなければ設備投資に見合った収益を上げられないスペックの大きな機械である。
そんなローランド7000という巨大な機械は、Steidl社が紛れもなく、印刷職人魂の詰まった出版であることの象徴である。ファウンダーであり、印刷職人でもあるゲルハルド・シュタイデルは、この巨大な機械を自ら所有することで、自由に印刷をし続けて、世界最高峰の印刷クオリティを担保し続けているのだ。
僕が、到着した日曜日には、きっと先週まで印刷していたのであろうダミアン・ハーストの『Phermacy』の刷りたての紙が山のように積まれていた。それは、計10冊からなる長大な「マルチプル」と呼ばれる作品群で、ハーストが、ロンドンの薬局だけを延々に撮影し続けた写真作品である。
そして、印刷機の隣には、「アラスカ」とタグづけされた巨大な豆腐のような紙の束が、待ち構えているではないか!
これはもちろん僕の本のために用意された紙に違いない。印刷はいつ開始されるのだろうか?この巨大な豆腐のような塊は、一個で何冊分くらいの分量なのだろうか?
その横には、ロニー・ホーン「Dream」とタグ付けされた同じく巨大な豆腐のような紙の束が見える。ロニー・ホーンの紙の束は、「Kamico」という文字も見える。「Kamico」とは紙の種類の名前だろう。Steidl社が自ら開発に関わった紙で、軽くて、そしてインクのノリがとても良い紙だ。いつまでもインクの匂いが残るような、最近のSteidl社が印刷する世界の美術館のカタログなどによく使われる紙である。軽いのに、いっさいの裏写りがない上質の紙だ。
ゲルハルド・シュタイデルは、僕の写真集のための紙をすでに決定したというだろうか?アラスカとタグ付けされた紙には、「profisilk 170」とある。「170」とは斤量のことだろうが、
「Profisilk」とは携帯電話で調べるとドイツ製の紙であることくらいはわかった。
50年に渡り、ここで世界中のトップのアーティストのビジュアルを印刷してきたゲルハルドに、紙やインクのセレクトなどは、全面的に任せるつもりであるが、印刷機の周りをウロウロとしているだけでなんだか落ち着かない。
明日からこの真っ白な紙に、僕がアラスカで10年に渡り、撮影してきたゴールドラッシュのイメージたちが一枚一枚刻まれて行く。そう思うと、静かに震える。明日から1週間、怒涛の作業時間が始まるのだ。
プロフィール
石塚元太良
いしづか・げんたろう|1977年、東京生まれ。2004年に日本写真家協会賞新人賞を受賞し、その後2011年文化庁在外芸術家派遣員に選ばれる。初期の作品では、ドキュメンタリーとアートを横断するような手法を用い、その集大成ともいえる写真集『PIPELINE ICELAND/ALASKA』(講談社刊)で2014年度東川写真新人作家賞を受賞。また、2016年にSteidl Book Award Japanでグランプリを受賞し、写真集『GOLD RUSH ALASKA』がドイツのSteidl社から出版される予定。2019年には、ポーラ美術館で開催された「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」展で、セザンヌやマグリットなどの近代絵画と比較するように配置されたインスタレーションで話題を呼んだ。近年は、暗室で露光した印画紙を用いた立体作品や、多層に印画紙を編み込んだモザイク状の作品など、写真が平易な情報のみに終始してしまうSNS時代に写真表現の空間性の再解釈を試みている。
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