ファッション

手芸とクマとスポーツのブランド〈ザ・ボックス〉の謎を追った、その後。

photo: Kanta Torihata, Koh Akazawa
text: Toromatsu
edit: Kosuke Ide

2026年6月23日

ある人物から編集部に届いた
貴重な「インサイダー情報」メール。

2025年3月にPOPEYE Webで、かつて1970〜90年代に存在したナイスすぎる“手芸とクマとスポーツ”のブランド〈ザ・ボックス〉の謎を追う記事を作ったのだが(下リンクから読めます)、記事公開からしばらくして後、編集部宛にある人物から一通のメールが届いた。

「突然失礼致します。以前勤務していたボックスがどうなったか検索していたら記事を見つけました。私は伊勢丹時代のボックスで企画生産管理をしていました。立ち上がりからふみさんのご自宅にもよく行きましたので、協力できることがあるかもしれません」

メール内の「ふみさん」とは〈ザ・ボックス〉の創業者。古い雑誌やインターネット上を探してもブランドの情報がまったく出てこず、SNSなどを駆使してなんとか「今泉ふみ」さんの名前は得ていた我々にとって、このメールはまさしく吉報! こちらから「ぜひともお会いしたいです」と返信し、直接お話する機会をいただいた。

都内某所のファミリーレストランにて

メールを送ってきてくださった出水孝光(いずみ・たかみつ)さんは、「伊勢丹」が〈ザ・ボックス〉の権利を買った80年代後半に、とあるデザイン・企画会社に在籍していて、依頼を受けて同社へ出向したとのこと。それまでブランドのことは知らなかったらしく、79年の創業当初の情報は持っていないそう。それでも出水さんが当時のふみさんの名刺や商品カタログを持ってきてくださったおかげで、これまでどれだけ掘ってもわからなかった多くの情報が浮かび上がった。

1990年に作られたカレンダー。ふみさんのイラストレーション。

当時、体制こそ変わった〈ザ・ボックス〉だったが、ふみさんは伊勢丹でもデザイナーとしてすべてのデザインに関与していたようだ。もともとあった吉祥寺、横浜、軽井沢(季節店)の3店舗に加え、新たに伊勢丹の新館「アクティブスポーツ売り場」でも販売されるようになり、やはりかなりの人気ぶりだったという。

「ふみさんはとにかくこだわりの強い人でした。アップリケ部分は絶対に自分で作って、奈良へ送るんです。奈良にいたのが、ふみさんのお姉さんなんですけど、そこでもほとんどハンドメイド。そこからさらにふみさんの麻雀仲間だった山形の高桑さんという方のもとに送って最終段階に入る。そして最後に縫製工場へ。そんなコストを厭わないようなやり方でモノづくりをしていたので、私たちは大変でした(笑)。ジッパーは〈YKK〉じゃなくてスイスの〈Riri〉じゃないとダメだ、とか……。クマの顔がイメージにそぐわないと、何度もやり直しをしましたし」(出水さん)

持ってきていただいた名刺を見せてもらうと、今泉ふみさんの本名(?)は「今泉富美子」であることが判明。電話番号が載っていたので、思い切ってその場で電話をしてみたが、残念ながらつながらなかった。

店頭で配布されていたカタログもすべてふみさんが手描きで製作していたようだ。作っていたものはかなり幅広く、メンズ・ウィメンズのアパレルのほか、テニスラケットのカバーやゴルフバッグなども見られた。

筆者が〈ザ・ボックス〉を知ったときからずっと気になっていたのが、このブランドこそが最初に「クマとスポーツ」をアイコンにしたブランドであったのではないか、ということ。当時の人気ぶりを象徴するかのように、カタログの最後のページにも模造品に対する注意喚起が書かれていた。「実は当時、『外国のブランドがボックスを参考にした』と社内で結構噂になったりしたこともありましたよ」と出水さん。

1989年カタログ。キャラクターやアイテムまですべてをふみさんが描いている。

ヘビーデューティー、ウエスタン、スキーにゴルフなど、すべてのアイテムにスポーティなキャラクター性がある。

ゴルフアイテムひとつとってももとにかく幅広い。キャリーケースにヘッドカバー、ボールケースまで揃う。

パイオニアとしてのふみさんのプライドが感じられる。

カタログとともに持ってきてくださった「社内広報誌」を読んでみると、〈ザ・ボックス〉のブランド誕生秘話を発見! 当時、伊勢丹で〈ザ・ボックス〉を引き継いだ大池さんがインタビューでこのようなことを述べている。「クマに洋服を着させるというアイデアは前のオーナーが考えたのですが、オーナーが山歩きをしていたときUFOを見たそうなんです。“あっUFOだ”と空を見上げ、ふと我にかえった時に“クマに洋服を着させたらおもしろいんじゃないか、これだ!”とひらめいたらしいのです」。まさかUFOがインスピレーション源とは驚きだ……。広報誌には、当時の横浜店の様子(このページ上の写真)なども掲載されていた。

ザ・ボックスを扱っていた伊勢丹の子会社、マミーナの社内広報誌『マミーナ・アイ』。

出水さんや、伊勢丹との契約前から〈ザ・ボックス〉で働いていたというスタッフも載っている。

AIでカラー化してみた横浜店の外観

AIでカラー化してみた横浜店の内観

「ふみさんのご主人が一級建築士で、井之頭公園が見渡せる、とても素敵な家にお住まいでしたよ。もしご存命なら80歳くらいなのかな。お会いできた際には、手土産にぜひ花園饅頭をお持ちするといいですよ。ふみさんの好物でしたので」(出水さん)

当時の店舗写真やブランド誕生秘話、今泉さんの正式な名前に好物まで聞けて、かなりの成果だ。とはいえ、ここまでくるとやはり知りたいのが伊勢丹契約以前、商業化される前の初期の〈ザ・ボックス〉のこと。こればかりは本人に会うしかないのか。後日、名刺に記載されていた三鷹の自宅兼アトリエに足を運んでみたが、すでに違う家になってしまっていた。どうにかしてふみさんに直接お会いし、この探求を締めくくりたい……!
(つづく。引き続き、〈ザ・ボックス〉についての情報を募集しています!)

「ひげの殿下」で知られる三笠宮寛仁さまも〈ザ・ボックス〉のファンだったそう。

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