TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】自分で選んだわけじゃないことと

執筆:熊谷充紘

2026年4月19日

 家から店まで歩いて15分。幾つかあるルートをその日の気分や用事で選ぶ。今日は引っ越してきたばかりの4年前、最初にmapに教えてもらったルートでやってきた。あの頃から比べても、新しい建物が増えて景色は少しずつ変化している。とはいえ、近隣の下北沢や駒沢大学に比べれば、三軒茶屋にはまだそこまで開発の手が伸びておらず、昔からの建物や路地が残っていると思う。休日には飲屋街の三角地帯でふらりと目に飛び込んだ店をハシゴしてみたり、路地を知らないほう知らないほうへと進み、急に素敵な店が目の前にあらわれて嬉しい驚きがあったりする。地図は携帯電話の中だけにあるのではなく、自分で作ることができると三軒茶屋の街並みは教えてくれる。

「こんにちは」「こんにちは。あの、『トワイライライト』という小説を読んで、本当に実在するお店なんだと驚いて、今日来てみました。」

『トワイライライト』というのは、『twililight』の1周年記念に作家・畑野智美さんに書き下ろしてもらった三軒茶屋を舞台にした『twililight』も出てくる小説のこと。『twililight』がいずれなくなっても、小説の中ではずっと生き続ける。

「ありがとうございます。他にも実在するお店が出てきますし、現実と小説を行ったり来たりしながら楽しんでもらえたらと思って刊行したので、こうして実際に足を運んでいただけたことがとても嬉しいです。」

「わたし、子どもの頃からずっと三軒茶屋に住んでいるんですけど、この街があまり好きじゃなくて。でもフリーターなので実家から出ることもできなくて。だからといってもしどこかに就職したとしても、別に引っ越したい街があるというわけでもないんです。なんだろう、たぶん甘えているだけだと思うんですけど、好きじゃない三軒茶屋を好きになれるような本ってありますか?」

「わたしのちっぽけな想像力ではお客様がどんな本を喜ばれるか答えを出すことはできません。好きじゃない理由をうかがうのも憚られます。ただ、甘えていると仰った感覚にはわたしにも覚えがあります。わたしは愛知県豊田市出身で地元には何もないと思って大学進学を機に上京しました。でも東京に住んでみたら、何もないのはわたしだったと気づいたんです。高校生までのわたしは自分がくすぶっているのは環境のせいにして甘えていたんだって、一人暮らしを始めてようやく気づいた。そこからはむしろ何もない土地はないと思うようになりました。何もないように見えてもそこにはわたしが住むずっと前から紡がれてきた歴史がある。」

 わたしはレジを離れて竹中万季さんの『わたしを覚えている街へ』を差し出す。

「これはtwililightが刊行している三軒茶屋をテーマにしたポケットブックシリーズ『sanchapbook』の1作目です。筆者の竹中さんもずっと三軒茶屋に住んでいた方で、さまざまな記憶がこの街にはしっかり覚えられているようだったから、どこか気まずさがあったというか、親との関係に近いような感覚を三軒茶屋という街に持っていた。近くて遠いこの街とどう向き合えばいいのかと考えて、久しぶりに街を歩きなおしてみたり、学生時代の先輩に会って当時の話をしてみたり、図書館で世田谷区の歴史を調べてみたり、ご両親にインタビューしてみたり、全8回、エッセイの形で綴っていきます。それは三軒茶屋という街と新しい関係を結んでいく過程そのもので、きっと故郷という場所がある方にとっては参考になったり、共感する部分が多い本だと思います。」

「なるほど、こんな本もあるんですね。リンクする部分が多そうです。ありがとうございます!」

「わたしは人の縁でたまたま三軒茶屋で店を始めたので、三軒茶屋についてはほとんど何も知らなかったんです。だからこうして本を作ることによって三茶を知り、それを読者に共有することで三茶の魅力を伝えられたらと考えました。もう住んでいる街のことを何もないとか、自分で選んだわけじゃないからとか言いたくないと思った。街は変わらなくても自分が変われば見えるものは変わると思います。もちろん、お客様がこの街を好きじゃないことを否定するつもりはありません。どうして好きじゃないのか、どうして甘えていると思うのかを考えるために、この店を使ってもらえたらと思います。ぜひゆっくり本を読みながらお茶でもしていってください。竹中さんはこの本の中で書いています。『街について考えることは、自分のこれまでや、誰かのこれから、世界のことを考えることでもある』と。」

 生まれる土地が選べないということは、この世に生まれてくることを自分では選べないということ。気づいたら生まれていて、物心がついた頃には、社会の中に放りこまれて、大きな流れにのっていくことが求められる。そんな人生を自分の元に取り戻すためには、竹中さんのように、自分の過去を振り返ることが大切だと思う。あの頃のわたしはどうしてこうだったのか。振り返ることで初めて人生を止めることができる。勝手に始まっていた時間を一度止めて、自分を見つめ直すことで、初めて自分はこういう人間だったんだと知ることができる。自分で選んだわけじゃなかった人生を、自分の手で編み直すことができる。自分の物語は、自分にしか書けない。

プロフィール

熊谷充紘

くまがい・みつひろ|1981年、愛知県生まれ。三軒茶屋で本屋&ギャラリー&カフェ『twililight』を営む。出版社としても、『体の贈り物』(レベッカ・ブラウン/柴田元幸訳)、『人といることの、すさまじさとすばらしさ』(きくちゆみこ著)などを刊行。本と出会う場を広げるべく、イベント企画や選書、執筆も行う。これまでに「SHIPS HAPPY HOLIDAYS」選書、渋谷PARCO「あいとあいまい」選書&出店、LUSH「BATHING & POETRY」選書&インタスレーションなど。屋上でぼんやりする時間が好き。

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