TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#2】1500円で、親になる
執筆:大前プジョルジョ健太
2026年4月20日
雨上がりのケニアのスラムに、強い日差しが戻ってきた。
ぬかるんだ道を歩きながら、アキさんが小さく呟く。
「さっきは気づかなかったけど、やっぱり臭いがすごいですね……」
その通りだった。
けれど不思議なもので、10分も歩けば鼻は慣れる。
順応しているのか、ただ麻痺しているだけなのかは分からない。
アキさんが支援しているのは、サウスランドスラムの少年・ラヒム君だ。
会う場所は「ホテル」だという。
もちろん宿泊施設ではない。
スラムでホテルとは、少し立派な屋台のことだ。
外国人が来るような場所ではない。
視線が一斉に集まる。
「ハバリヤコ(調子はどう?)」
こういうときは、こっちから挨拶した方がいい。
辺境で覚えた数少ない知恵だ。
店に入ると、ひとりの少年が駆け寄ってきた。
「ドクター・アキ! ドクター・アキ!」
ラヒム君、7歳。
丸い目と人懐っこい笑顔が印象的だった。
「Are you ラヒム?」
緊張からか、アキさんの声は少し上擦っていた。
ラヒム君は、アキさんのTシャツの袖を少しだけ引っ張って、恥ずかしそうに頷いた。
「ドクター! 来てくれてありがとう。」
「僕も会えて嬉しいよ。医療費を毎月送ってるから、“ドクター”って呼んでくれるのかな。」
少し照れたようにそう言った。
ラヒム君は迷いなく、その名前で彼を呼ぶ。
アキさんは一瞬だけ言葉に詰まり、少しだけ笑った。
会う前に何度も手紙をやり取りしていたはずなのに、
二人の間には、わずかな距離が残っていた。
テレビディレクターが期待するような感動の対面なんてものは、この場にはなかった。
でも、それが現実で、静かに物事は進んでいく。
「なんでラヒム君を支援してるんですか?」
そう聞くと、アキさんはあっさり言った。
「笑顔が可愛いからですよ。ただそれだけです」
それだけ、と言い切れるのが少し羨ましかった。
アキさんは3年間、毎月1500円を送り、ラヒム君の病院代や薬代を支えている。
1500円。日本なら、昼食を2回我慢すれば出せる額かもしれない。
けれどこの場所では、それがひとりの子どもの命に近い。
頭では理解できる。
でも、どこか他人事のようにも感じていた。
「ドクター・アキ! Let’s go my house!」
迷路のように入り組んだスラムの中を進んでいく。
同じようなトタンの家が連なり、方向感覚はすぐに失われた。
「これ、一人だと絶対迷子になりますね!」
ラヒム君は意味が分からないまま、アキさんと同じように腕を高く上げる。
その仕草が、妙に愛おしかった。
「ドクター! これが僕の家だよ!」
「僕、ドクターじゃないんですけどね……ただの電車の運転士ですし」
そう言いながらも、その呼び方を完全には否定しきれていないようにも見えた。
案内された家は、想像通りの小さなトタンの家だった。
「どうぞ入ってください」
部屋の中から、優しいお母さんの声が聞こえる。
「お邪魔します」
2畳にも満たない部屋に、靴のまま入る。
「テレビあるやん」
アキさんは興奮すると関西弁になる。
部屋の外からは想像もできなかった光景に、思わずテンションが上がる。
ブラウン管の白黒テレビではアニメが流れ、壁にはケニアのラッパーのポスターが貼られていた。
「電線を勝手に引っ張ってるんで、本当はダメなんですけどね……」
ラヒム君の母親が、叩いて電波を安定させる。
そこには確かに“暮らし”があった。
そして、台所の上には、いくつもの薬が並んでいた。
HIVに使われる薬のように見えた。
それ以上は見ないことにした。
「お茶、入れるね」
差し出されたブラックティーは、どこの水で作られたものか分からない。
こんなもので感染するわけがないことくらい、頭では分かっている。
それでも、目の前の水や差し出されたコップに、説明のつかない不安がまとわりつく。
NPOスタッフのビートリスが、母親に気づかれないようにジェスチャーを送る。
——お腹を壊すから、飲まない方がいい。
正直、少しほっとした。
同時に、それでいいのかとも思った。
「口をつけるだけにしましょう」
アキさんが小さく言った。
“腹を壊したら、みんなに迷惑がかかるしな…”
私が勝手に心で作った理由は、我ながらどこか都合よく聞こえた。
コップに口をつける。
「……甘っ!」
わずかに触れただけで分かる、異常な甘さだった。
お母さんの方を見ると、2リットルのペットボトルに、ほんの少しだけ砂糖が入っていた。
1日の稼ぎは、わずか300シリング。日本円で360円。
砂糖は小分けで買うらしい。ほんの少しで20円もする。。
私は少し迷ったあと、ブラックティーを飲み干した。
正解だったのかは、よく分からない。
隣を見ると、アキさんのコップはほとんど減っていなかった。
「……すみません」
誰に向けたものか分からない小さな声で、そう呟いた。
しばらくすると、母親が皿を差し出した。
「マンダジーっていうの。小麦粉で作った揚げ菓子よ」
揚げパンのようなそれを、ラヒム君は嬉しそうに頬張る。
甘いのか、油っぽいのか、よく分からない味だった。
でも、さっきのブラックティーよりも、少しだけ現実に近い気がした。
もうひとつ勧められ、手を伸ばしかけたとき、ビートリスが小さく言った。
「彼らは2日に1回しか食べられないの。」
私たちは一瞬手を止めたあと、静かにそれを受け取った。
甘い油の匂いと、紅茶の甘さがまだ口の中に残っていた。
部屋の中は、どこか落ち着かない静けさに包まれていた。
「ラヒム君は将来何になりたいの?」
空気を変えるため、そう聞いてみる。
「サッカー選手!」
その答えは、あまりにも迷いがなかった。
「じゃ、これ。」
アキさんはそう言って、サッカーボールとユニフォームを手渡した。
ラヒム君はすぐにユニフォームを着て、外に飛び出した。
近くにいた子どもたちに、これでもかというくらい見せびらかしている。
部屋に戻ってくると、そのままボールを蹴り上げた。
ガン、とトタンに当たる鈍い音が響く。
「外でやりなさい!」
母親は少しだけ強い口調でそう言った。
それでも、どこか嬉しそうだった。
外に出ると、子どもたちが次々と集まってきた。
いつの間にか、小さなサッカー場ができる。
「サッカーボールをあげたら、みんなで遊べると思ったんですが……大成功ですね」
そう言いながら、アキさんの目は潤んでいた。
正直、なぜ泣きそうになっているのか、すぐには分からなかった。
しばらくして、彼はぽつりと呟いた。
「僕には子どもがいないんです」
少しだけ間があった。
「……本当は、子ども、欲しかったんですけどね」
それ以上は、何も言わなかった。
「支援なんて、正直、偽善だと思います。
お茶も飲まずに、ボールをあげただけ。それでも……」
一度言葉を切って、ラヒム君の方を見る。
「少しだけ、親っぽいことができた気がします。
支援って、悪くないですね」
「ヘイ! ドクター・アキ! パス!」
ラヒム君は、ただ無邪気にボールを要求する。
どれくらいサッカーをしていたのだろう。
気がつくと、夕日は沈み、辺りは暗くなっていた。
——悪くないですね
この言葉が、なぜか頭から離れなかった。
「明日も来てくれる?」
ラヒム君が、ボールを足元に止めたまま聞いた。
「もちろん。明日も来るよ」
アキさんは、少しだけ間を置いてから答えた。
ラヒム君は、何も言わずにもう一度ボールを蹴った。
血の繋がりはない日本人とケニア人。
それでも、2人は繋がっていた。
プロフィール
大前プジョルジョ健太
おおまえ・ぷじょるじょけんた|1995年、大阪府生まれ。映像ディレクター。TBSにて’23年に自身が立案した『不夜城はなぜ回る』が「ギャラクシー賞」を受賞。その後’24年にTBSを退社。Abema『国境デスロード』『世界の果てに、くるま置いてきた』など、フリーのディレクターとして活動中。
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