TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#1】JAZZと銭湯
執筆:岡美里
2026年1月14日
金沢にて
金沢で個展があった。
なんとか初日にこぎつけて、その晩はギャラリーオーナーから欧州料理を馳走になったものの、翌日からしばらくは独りで夜を過ごさねばならなかった。オーナーといっても本業は高級寝具のプロデューサーとして辣腕を振るう多忙な女性。またスタッフも、展示するまではかいがいしく世話してくれていたが、みな家に帰れば、誰かの妻であり母であり父であり・・・ひたすら呑気でいられる身分なのは私くらいなものだった。
さてと。せっかく北陸に滞在するのだから、とギャラリーが閉まる時間を待たずに、旬のノドグロを目指して香林坊に繰り出した。ところが私の探し方がいけないのだろう。どこも店構えからして観光客相手で詰まらない。それでいつも通り、東京に居るように、ジャズ喫茶と銭湯を楽しめばいいじゃないか、と考えが落ち着くまでに時間はさほどかからなかった。
そしてこのふたつを愛好する者にとって、金沢は楽園だった。
まず訪れたのは『ジャズ・スポット穆然』。地図で示されたビルに到着すると、築地塀が長々と立ちはだかり、面食らった。かつて前田家の御典医屋敷だったり、料亭だった、その名残らしい。門を見つけて恐る恐るくぐると、堂々たる松を生やした日本庭園。大きな岩の敷石を忍者よろしくぴょんぴょん飛び越え、「本当にここであってるのかしら?」と不安になるまで進んだ頃、ようやく店の入り口が見えてくる・・・といったプロローグからして傑作な店だったが、注文したポタージュ・カレーも異様に美味い。スプーンを使う手が止まらない。皿が空になる頃にはノドグロは忘れていた。
二杯目のジンライムで更に気分が良くなり、長いテーブルカウンターの向こうでレコードを選ぶ女性に話しかけてみたくなったが「レコード、何かかけましょうか?」なんて逆に尋ねられても困るので席を立った。
ジャズ喫茶という存在を愛して通っても、JAZZそのものについての知識は「チャーリー・パーカーはサックス、セロニアス・モンクはピアノ奏者」程度の基本しか持ち合わせておらず、話が広がらないことがわかりきっているからだ。(ですから今このコラムを読んでくださっているJAZZに不案内な皆さんも、安心して続きを読んでくださいね。)
さて。スパイスと、スピーカーから放射される音の振動のおかげで血行がよくなったところで、銭湯へ移動だ。
目星をつけていた「松の湯」へ。繁華街に近いながら、犀川から分岐した小川がサラサラと流れる通りにあった。透明感のある町にふさわしい、ぴっかぴかに清潔な銭湯だった。
ふれこみでは、浴場の壁画は九谷焼の富士山ということだったがそれは男湯で、女風呂はシックな曼荼羅模様だった。
ところで銭湯の壁に富士というのは、東京「キカイ湯」から発祥したただのブームであるから、噴火する桜島だろうが、ピラミッドだろうが、ゲルニカだろうが何をどう自由に描いても構わないわけだし、県外者としてはつい“兼六園の雪吊り”なんかのご当地壁画を期待してしまうが、やはりそこは富士がお約束らしい。
銭湯を出て、せせらぎを聞きながら疎水に沿ってぽくぽく歩いてゆくと、いつの間にか武家屋敷街に踏み込んでいた。雨が降ったわけでもないのに、石畳がしっとり潤っている。水路は暗く漆黒だが、よく澄んでいるのがわかった。急な水の流れがごうごうと何か責めるような音を響かせる路地には、猫一匹見当たらない。なんだか、この地球上に自分一人だけ取り残された心持ちがしてゾクリとした。
だからというわけでもないのだが、宿に戻りかけていたのに気が変わった。
もう一軒、明日予定にしていたジャズバーへ、今日行ってしまおう。旅先では明日に回すと永久に出会えなくなるものがあるのだ。
再開発から毛一本の差でまぬがれた、うらぶれた横丁がむき出しになった角に『YORK』はあった。「かつて小劇団の看板女優でした」といった雰囲気の、目のぱっちりした女主人と目が合う。今も美しいが若い頃はとてつもない美女だったと容易に想像できた。テーブル席もあったが勇気を出してカウンターに座る。
マダムにはカンパリソーダを作ってもらった。ここでバーボンなんかを頼めば「JAZZに詳しい」と誤解され、リクエストを求められる可能性が生じるし、それを阻止するためのカンパリソーダ作戦である。
他に客がないこともあり、他愛のないおしゃべりに付き合ってくれたマダムと関係がほぐれてきた頃「お店はいつからですか」と水を向ける。
「夫が1969年から始めた店だけど、亡くなって私が店をひきついだの。」と壁に貼られたセピア色の写真パネルへ眼差しを移した。
そこには私が今まさに腰掛けている椅子でくつろぐ、脚の長い男性の姿があった。写真のなかの主人は、手にした一枚のレコードジャケットをしみじみと眺めている。きっと名盤なのだろうが、それがどこのレーベルの、なんというミュージシャンのものなのか、判別出来かねる浅学な自分をすこし呪った。
プロフィール
岡美里
おか・みさと|両国生まれの美術作家。横顔のポートレイトを描くことをライフワークとする。また「歩きながら考える」を設立の旨とする“The Walking Nerd”コア・メンバーとして、町歩き、町観察に精を出す。
2026年は東京、広島、島根にて、横顔ポートレイト・オーダー会を予定。
1/24〜2/7 代官山『SISON GALLERy』にて『私たちは非常にゆっくりと蒸発している』展
Instagram
https://www.instagram.com/misato_oka/
Official Website
https://sites.google.com/view/misatookaworks/
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