カルチャー

創刊50周年記念プロジェクト ポパイフォントを作ったよ。/前編

2026年6月16日

まぼろしのポパイフォント。

『POPEYE』のロゴは不思議な魅力を持っている。バルーン状に膨らんだハイライト入りのアルファベットは、たとえ「P」の文字ひとつとっても、それが雑誌『POPEYE』の何かであることを教えてくれる。『POPEYE』のロゴには4種類のアルファベットしかない。「P」「O」「E」「Y」——。コロナ禍の2022年にふと思った。『POPEYE』を構成する、アルファベットの残りは存在しないのだろうか?

以前、僕が所属していた兄弟雑誌『BRUTUS』では「A」から「Z」までの文字が過去に作られていた。元々のロゴを描いたのは天才アートディレクターと言われる故・堀内誠一だが、残りの文字を作ったのは、堀内さんの右腕として活躍していた新谷雅弘だった。新谷さんは『POPEYE』にも創刊号から関わっており、長くチーフデザイナーとして活躍した。せっかくなら新谷さんに作ってもらえないかな、そう思ってメールを出してみることにした。新谷さんは70代後半で、隠岐の島で農作業をしながら暮らしていた。

「POPEYEを示す『P』『O』『E』『Y』以外の、残りのアルファベットの存在はご存じないでしょうか? もし存在していないのなら、新谷さんにデザインして頂くことはできないものでしょうか?」

1976年の『POPEYE』創刊にあたり、ADであった堀内誠一はパリから帰国し、六本木にあった編集部で表紙を描いた。「僕は漫画キャラのポパイのことなら何でも知っているよ」、堀内はそう言うと、B全サイズ(728 × 1030 mm)の用紙に、初めて扱うスプレー缶塗料を使い、記憶だけを頼りに一発でポパイのキャラクターを描いてみせたという。次いで「POPEYE」の題字に取りかかる。ロゴの大きさは縦20センチ。描きあげた堀内は、ハイライトのテカリについて、「ポパイの力こぶ」をイメージしたものだと説明した。創刊号の表紙はこのようにして、約3時間足らずで完成したというーーー。

翌日、新谷さんから返事が来た。

「アルファベットは存在しません。なぜなら作ってないからです。デザインは可能です。というか挑戦してみたい。大文字だけでなく小文字もできたら良い。約物も。但し、仕上げを綺麗にしてくれるスタッフが欲しいです。ボクは一字ずつ手描きしますが、太さ、角丸の大きさ、ハイライトの形はそろってないといけません」

新谷さんの返信を読み上げるとその場にいた編集部員は大いに盛り上がった。僕が次に取りかかったのはロゴを描いた故・堀内誠一さんの家族に連絡を取り、新たにフォントを作ることを報告、承諾を得ることだった。新谷さんから堀内さんの娘さんである堀内花子さんの連絡先を教えてもらい、さっそく電話をしてみたところ、思ってもみなかった話を聞かされた。

なんと堀内さんは自分が描いた『POPEYE』のロゴを気に入り、残りのアルファベットを一揃い描いたことがあったというのだ。創刊後すぐの76年か77年のことだったという。当時、イギリスの会社「レトラセット」がインスタントレタリング(文字や記号を転写できるシート)用のフォントを公募した際に、”ポパイフォント”を応募したのだという。残念ながら採用されず、応募したものも返却はされなかったために、花子さんの手元には残っていないという。パリのコーディネーターを通じて調べてもらったが、「レトラセット」は既に「ウィンザー&ニュートン」という英国の画材メーカーに統合されており、さらに「ウィンザー&ニュートン」にも問い合わせて、アーカイブルームを調べてもらったものの発見することはできなかった。

「消えたのは残念です。見たかったなあ」

新谷さんにとっても「レトラセット」は馴染み深い存在だったという。NYでまだ日本に入っていない書体を探し回り、その中から『POPEYE』の誌面で使う書体の発想を得たこともあったという。堀内さんの作った”ポパイフォント”を発見することができなかったと花子さんに伝えると、今回のプロジェクトを快く承諾してくれた。いよいよ「ポパイフォント」プロジェクトが動き出すことになる(中編へと続く)。