『DEADSTOCK AMERICANA』アメカジ誕生のムーブメントに迫るドキュメンタリー映画について語ろう。
2026年7月18日
日本発祥のスタイル“アメカジ”はいかに生まれたのか。枡田琢治さん監督の『DEADSTOCK AMERICANA』は、“お宝”を求めてLAで繰り広げられた冒険と青春の物語だ。
1970年代後半。日本の若者たちがそれぞれの大志を胸に、憧れの地アメリカのLAに渡る。その冒険の〝戦利品〞を元手に、ある者はセレクトショップを立ち上げ、ある者は雑誌を作り、またある者はそのまま現地に残ってバイヤーになった。やがてそれはアメカジという日本独自のスタイルを形づくり、今にまで続くヴィンテージブームへと繋がっていく。ドキュメンタリー映画『DEADSTOCK AMERICANA』が、多彩な証言者の言葉を通して跡付けるのはその源流に他ならない。
監督を務めたのは、元サーフィンチャンピオンであり、現在はマリブを拠点にフィルムメイカーとして活動する枡田琢治さん。’90年代前半にロングボードを日本に知らしめた枡田さんは、その後、インディペンデント雑誌『SUPER X MEDIA』を創刊してバリー・マッギーやクレイグ・ステシック、グレン・E・フリードマンをフックアップしたり、映画『BUNKER77』でサーフィン界の異端児バンカー・スプレックルスの生涯にフォーカスしたりしてきた。そんなビーチカルチャーの伝道師である枡田さんの目に、アメカジはどう映ったのか?
友人である野村訓市さんをゲストに迎えて、語り合ってもらった。
「ひとつ夢中になれるものを見つけ、それを理由に旅へ出てほしい」
枡田琢治
ますだ・たくじ|1971年、神奈川県生まれ。元サーフィンチャンピオン。’90年代より映画、出版などでサーフカルチャーを発信。監督作に伝説のサーファー、バンカー・スプレックルスの生涯を描いた『BUNKER77』がある。
「自分たちの感覚でいいと思うものを価値あるものに変えてほしい」
野村訓市
のむら・くんいち|1973年、東京都生まれ。海外放浪の旅を経て、現在は雑誌編集者、執筆家として活動中。毎週日曜日20:00からJ-WAVEで放送中のラジオ番組『TRAVELLING WITHOUT MOVING』ではナビゲーターを務める。
DEADSTOCK AMERICANA』の冒頭には、少し幻想的な映像が挿入される。「ビームス」社長である設楽洋さんが、10代の頃に葉山の海辺で経験した〝ひと夏の淡い恋物語〟だ。そこからもわかるように、本作はいわゆる〝お勉強系ドキュメンタリー〟ではまるでない。確かに、アメカジの起源をめぐる知識は身につくが、同時に1970〜’80 年代初頭という〝戦後日本にとっての青春時代〟を、真空パックしたようなエモさがあるのだ。それは、本作の製作経緯と関係がある。
枡田 この映画を作ろうと思った直接のきっかけは、劇中でも取材に応じてくれたトシ・フジタさんとの出会いでした。’80 年代にLAに渡った彼は、カッツ・フクシマさんが営んでいた洋服店『ウッディーズ』に弟子入りし、その後、全米各地でデッドストックを探すバイヤーとして活躍することになります。ただ、僕が興味を持ったのは、そういうファッションの歴史ではなく、トシさんがフクシマさんをメンターとして慕っていたこと。その誰にでも身に覚えがある普遍的な師弟関係に惹かれて取材を始めると、「ビームス」初期のメンバーであり、ゴールデンコンビでもあった設楽さんと重松理さんのバディストーリーも見えてきました。僕としては、あの時代にそれぞれに情熱を持ってLAに集まってきた人たちが紡いだヒューマンストーリーを、〝オブザーバー〟として記録したかったんです。訓ちゃんはどうだった?
野村 ものすごく懐かしかった。自分は映画に登場した人たちよりひとつかふたまわりくらい世代が下だけど、高校生だった’80 年代後半から’90 年代初頭は、古着屋に入り浸っていましたから。劇中でトシさんが語っていた話にも通じますが、当時のバイヤーってほとんど〝金鉱掘り〟だったんですよね。アメリカのミッドウェストにある古い町で、〝GENERAL STORE〟って看板の店をしらみつぶしに回って、地下倉庫にある売れ残りの中から〈リーバイス〉の501のデッドストックを見つけてきた……なんて話をよく聞いたなぁ。僕が今、一緒にDJをやっている友達もかつてはみんな並行輸入のバイヤーで、なかには当時ユナイテッド航空に一番乗っていたって人もいますよ。1年でNYに13、14回往復したって言ってたかな。しかも、貯まったマイルは席ではなく預け手荷物の重量の追加に使って、1足1ドルとかで見つけてきたスニーカーを何百足も持ち帰っていたらしい(笑)。映画に登場する人たちは、そのパイオニアってことですよね。
野村さんが語るように、日本人がアメリカでディグっていた〈リーバイス〉のデッドストックをはじめとする〝金鉱〟は、アメリカ人にとって無価値の中古品でしかなかった。劇中、ハリウッドの古着屋『アードヴァーグルス』の元従業員ダレル・ヘイゼンも証言している。「日本人が来るようになったのは確か’75 年か’76 年頃だったと思う。彼らは服について本当に詳しい情報を知っていた。僕たちが知らなかった情報をね。僕たちは売ってはいたけど、その背景やストーリーを知らなかったんだ」。若き日の野村さんにも、それを思い知る出来事があったようだ。
野村 高校時代、テキサスへ留学したとき、「一番おしゃれな格好で行こう」と思って、〈リーバイス〉501のXXとセカンドのトラッカージャケットかなんかに、〈レッドウィング〉のエンジニアブーツを履いて登校したんですよ。当然、そういう格好の奴らがたくさんいるのかと思っていたら、同級生に言われました。「お前の実家は労働階級か?」って(笑)。「これがオシャレだろ?」って反論しても、「いや、それはブルーカラーの作業着だ。デニムでオシャレするなら〈ラングラー〉を穿け」って言われて。〈ラングラー〉ってセンタープリーツを入れれば教会にも行けるし、ジャケットにループタイをすればお葬式にも参列できるってことなんだけど。
枡田 いわゆる〝カナディアン・タキシード〟ってやつだ(笑)。でも、僕がこの映画を撮りながら理解した限りでいえば、日本でアメカジと呼ばれているものは、リミックスなんだよね。ファーマーのアイテムでも、ビジネスマンのアイテムでも、もともとどんな用途で使われていたかを考える必要がないから、無差別に交ぜることができた。
野村 そうなんだよね。でも、そんなの知らないから。日本では〈リーバイス〉の501でも〝スモールe〟はダセエんだ、〝ビッグE〟じゃなきゃダメなんだって叩き込まれて集めてきたのに、いざ現地で着たらそんなことを言われて、すごくがっかりした記憶がある(笑)。「なんだ、日本人が凝っていただけだったのか」って。
枡田 そう、今のヴィンテージ文化ってやっぱり日本が作ったものだったんだよね。〈リーバイス〉の歴史だって日本人が調べ上げて、雑誌や本にまとめてきたものから、今、アメリカ人たちが学んでいる。実際、この映画を作るために、LAの古着屋に顔を出すと、だいたい『ライトニング』とか『フリー&イージー』が置いてあったからね(笑)。逆に日本人がいなかったら、ここまでまとまってなかったんだろうなって。本当にそう思うよ。
野村 アメリカ人は自国の大量生産品に価値があるなんて思ってなかったんですよ。でも、日本人がタグがどうだってやった結果、今は価値がついちゃって、アメリカ人が日本に買い戻しに来ている。円安っていうのもあるけど。
実際、空前のヴィンテージブームに沸く現在、〈リーバイス〉の大戦モデルと呼ばれるデニムは、数百万円から1千万円を超えた値段で取引されることも少なくない。この状況に対し、劇中では『ポパイ』創刊時のファッションディレクターであった北村勝彦さんは苦言を呈している。
枡田 僕も今のヴィンテージブームには少し複雑な気持ちがあるかな。サーフィンの世界でも価値のあるサーフボードのコレクターがいるけど、結局は乗らないんですよ。所有して眺めるだけ。コレクションすることを否定するつもりはないけれど、それってどうなんだろうな、とは正直思う。
野村 僕らが若い頃は、〝セカンド〟にしても10万円台で、バイトすれば手の届く範囲だったんですよ。まぁ、それでも異常だとは思うけど、なんとか手に入れたら一張羅だから毎日のように着ていた。でも、今やもう数百万円とかするわけじゃないですか。それじゃあ若い子は買えない。すっかり金持ちのおじさんの服になってしまっていて、しかも彼らだって着るわけじゃなく、それこそ並べて眺めてたりするわけですよ。服としては死んでいる。それってヘルシーじゃないし、面白くないって僕は思います。だから、今回の琢治くんの映画に僕はノスタルジーを感じたけど、既に終わった話というか。これを観て次に何をするかっていうことが大事なんじゃないかな。少なくとも、「いつか501のXXを買いましょうね」って映画ではないじゃない?
枡田 もちろん。僕が興味を持ったのは、デニムそれ自体ではなく、そのモノを探していた人たちが旅の途中で体験した出来事なんですよ。誰かと出会ったり、恋をしたり、ケンカしたり、車が故障したり。今回の映画に出てくる人たちも、デニムが欲しかったというより、冒険が好きだったんだと思うな。実際、彼らのほとんどは、昔集めていたヴィンテージを持っていないんですよ。売ってしまったり、人にあげてしまったり。だけど、誰も後悔していない。「持っていれば何千万円だったのに」なんて話もまったくしない。彼らにとって価値があったのは、持っていることではなく、見つけたことだったから。
野村 映画の中で、石川次郎さんは若い頃に観た『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンの格好がアメカジの原点だって言っていますよね。僕のお袋もジェームズ・ディーンの大ファンだったので、そこにも懐かしさを感じたんですけど、みんな最初はそうやって誰かに憧れて、コスプレするわけですよ。僕らの世代にとってそれに当たるのは、『アウトサイダー』のマット・ディロンだったんだけど。デニムの上下に……。
枡田 ミッキーマウスのTシャツね。
野村 そうそう。でも、そのうち同じ格好をしてもその人にはなれないってことに気づく。高いヴィンテージもそうで、みんながいいと言っているからって着ているだけならコスプレじゃないですか。別にそれで価値ある人間になれるわけじゃない。
枡田 だから、最終的には自分で何かを作り出すしかない。映画には、創業当時の「ビームス」は、スタッフたちが自分たちで店舗の内装なんかを手掛けていたって話が登場するんですよ。僕もかつてはインディペンデント雑誌『SUPER X MEDIA』を作ることで面白いことを読者に伝えようしていたので、そのDIY精神には共感しました。『スプートニク』を編集していた訓ちゃんも、きっと同じだと思う。
では、そんな『DEADSTOCK AMERICANA』を通して、シティボーイたちに感じ取ってほしいメッセージとは何なのか? 最後に2人に語ってもらった。
野村 映画に登場する人たちは、501のXXを50ドルとか100ドルで売っていて、今の相場からすると驚くしかないんだけど、そういうことができる時代の話なわけだから、羨ましがる必要はない。今の若い子は、「なんでお前そんなの買ってんの?」って言われようが、自分たちの感覚でいいと思うものを見つけて、それを時間をかけて価値あるものに変えてほしいですね。そっちのほうがよっぽど面白いし、僕もそういうものこそ見てみたい。
枡田 まさに! 若い頃は時間があるわけじゃないですか。じゃあ、それをどう使うか? この映画に登場する人たちは、本当にいい使い方をしたなって思うんです。今の若い人にも、もっと冒険をしてほしい。デニムでもサーフィンでもスケートボードでも何でもいいけど、ひとつ夢中になれるものを見つけて、それを理由に旅へ出てほしい。今はSNSで何でも見られるし、それで行った気になる人も多いかもしれません。でも、本当に大事なことは現場に行かなければわからないと思う。だから多少無理をしてでも、外へ出てほしい。映画に出てくる人たちは、みんなそうだったんです。お金はなかったけれど時間はあった。だから、親元を離れてアメリカへ渡り、自分の目で見て、自分の足で歩いた。その結果、仲間を見つけ、メンターを見つけ、自分の人生を見つけていったわけです。これを観た若い人は、そういうことに挑むチャンスを掴み損ねないでほしい……それが今回のドキュメンタリー映画を通して、一番伝えたかったことですね。
特別上映会ではレジェンドが集結。
『DEADSTOCK AMERICANA』の劇中で取材に応じているレジェンドたちが、作品の特別上映会に集合した際の貴重な一枚。右から監督の枡田琢治さん、「ユナイテッドアローズ」名誉会長の重松理さん、「ビームス」社長の設楽洋さん、編集者の石川次郎さん、作家の松山猛さん、スタイリストの北村勝彦さん、〈チューブ〉デザイナーの斎藤久夫さん。重松さん、設楽さんは「ビームス」創業の立役者として、斎藤さんは『ビームス』の店舗開店当時の証言者として、それ以外の方々は創刊時の『ポパイ』の編集者&スタッフとして、アメカジ黎明期の記憶を語っている。
アメカジの源流を辿る、素晴らしき冒険譚。
DEADSTOCK AMERICANA
1975年の『Made in U.S.A. catalog』の発売、翌年の「ビームス」創業と『ポパイ』創刊。関係する誰もが熱く躍動した時代、セレクトショップと雑誌がリードすることで生まれた、新しいムーブメントがあった。当時、アメリカ西海岸で“お宝”を掘り当て買い付けた人々やアメカジを作っていった人々のインタビューなどをもとに、レジェンドたちの若き日々を描く。撮影はロサンゼルスと東京で行われた。2027年公開予定。