TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#1】CGアニメが描くアメリカの野生と寂しさ
執筆:土居伸彰
2026年5月11日
予期せぬなにかが、アメリカから突如として現れた。CGアーティスト、ジュリアン・グランダーによる初長編映画『ボーイズ・ゴー・トゥー・ジュピター』である。”アメリカ製の全編CG”ではあるが、ハリウッド製のビッグタイトルではない。エンド・クレジットを見れば、映像をメインで作っているのはグランダーただひとり。”ローファイCG長編アニメーション”なのだ。
グランダーが4年間かけて作ったこの愛らしい映画は、トライベッカ映画祭――アメリカ有数のインディ映画祭――でプレミア上映され、その後、北米最大のアニメーション映画祭オタワや新千歳空港国際アニメーション映画祭など先鋭的な表現を好む映画祭に相次いで選出。満を持して今月、日本で公開される。配給を担当するのは、「爆音映画祭」を主宰するboid。boidとしては初のアニメーション配給作品という点でも注目されている。
映画の舞台はフロリダ。デリバリー業に勤しみお金を貯めようとする青年と、どこからか流れ着いた謎の宇宙人のアバンチュールの話だ。映画全体の佇まいは、とてもかわいらしい。安っぽいキャンディが動きまわるような、そんな造形も。でも、僕の印象になによりも深く残ったのは、とても広い風景と、そこにポツンとひとりいつづけるような淋しげなキャラクターたちの佇まいだ。なんというか、”アメリカ”を感じるのだ。
架空のファンタジーの喧騒を描き出すハリウッド・アニメーションではなく、数々の優れた実写アメリカ映画の血が流れているのを感じる。僕の世代でいえば、ハーモニー・コリンの『ジュリアン』がひしひしと発していたような。人間たちのどうしようもない愛らしさと、彼らが住んでいる途方もなく過酷な現実の世界が同時に伝わってくる感じ。映画のクレジットの「THANKS」には、ミランダ・ジュライの名前もある。彼女が撮ってきた映画もまた、不器用な人間と、彼女らが直面する現実のシリアスさを、愛らしく、痛切に描くものだった。
音楽も監督自身が手掛けていて、映像と同じくパソコン内で完結して作られていくような、ローファイ寄りのエレクトロな音楽。シンプルでさみしげだが壮大でもあって、それもまた、広大な土地にポツンといるようなさみしさと、逆に自分たちしかこの世界にいないのではないかという感覚の両方を同時に鳴り響かせている。僕自身が好んで聞いてきた、アメリカのシンガー・ソングライターたちの寂しさの感覚ともつながりあう。エリオット・スミスだったり、アレックスGだったり。マグダレーナ・ベイのような、どこかエスケーピズムも感じさせるローファイ・エレクトロポップのような色合いもある。大きな波に流されてしまわないようにしながら、自分の領域を守るような、そんな音楽の系譜もこの映画からは感じ取れる。
アメリカという土地の広大さと、歴史の欠如と、資本主義に防壁なく晒される環境と、それらすべてがアンコントローラブルな波のようにして、無力な個人に打ち付けて、よるべくなくしていく感じ。見た目のかわいらしさに反して、そんなリアリティがこの映画には漂っている。
だが、なによりも面白いのは、この作品世界の映像や音像に深く浸っていくなかで、この映画の”アメリカ”なリアリティを、実は私たちもすでに知っているぞと、次第に感じるようになることだ。それは、グローバル化のなかで、私たちの世界すべてが“アメリカ的なるもの”に飲み込まれてしまっているからなのかもしれない。でもおそらく、『ボーイズ・ゴー・トゥー・ジュピター』がローファイCGという手法を用いているからこそ成し遂げられるものでもある――誰かの世界が、私の世界とつながっていく。その話はまた次回。
プロフィール
土居伸彰
どい・のぶあき|1981年、東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会社ニューディアー代表取締役。ひろしまアニメーションシーズン プロデューサー。プロデューサーとしては主にフランスとの国際共同製作によって日本のアニメ作家に新作制作の機会を提供する。著書に『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』『21世紀のアニメーションがわかる本』『私たちにはわかってる。アニメーションが世界で最も重要だって』『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』など。