TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#2】つげ義春さんのこと
執筆:燃え殻
2026年4月16日
漫画家のつげ義春さんが亡くなった。つげさんの『ゲンセンカン主人』の影響をモロに受けて、小説『湯布院奇行』を書いた(言っていいのかわからないが……)。それくらい影響を受けている。
自分のド思春期に、古本屋で、つげさんの『無能の人』をたまたま見つけたことにより、自分の人生は大きく変わった気がする。
つげさんは、インタビューで「多少貧乏しても気楽に生きたい」と語っている。世間から逃げたい、とも。
仕事が終わり、昨日の明け方、久しぶりに映画『無能の人』を観た。観終わったら、肩の力が一気に抜けたような気持ちになった。こんな生き方もある、と提示されたような、心地良い感動があった。
最近YouTubeで、若い成功者たちが、いかに稼ぐか、稼いできたかを熱く語る番組を、よく観ていた。どこか、羨ましいんだと思う。彼らの周りには、薄着の女の子たちがたくさんいて、常に微笑んでいる。
人よりも倍がんばれ、もしそれでダメだったら倍の倍がんばれ、の世界。身体を鍛え、いい車を買って、いい時計をつける。それが達成されたら、もっと身体を鍛えて、もっといい車と、もっといい時計を買おう、という世界。
観ているだけで疲れるが、観ていないと置いてけぼりにされる気がしてしまう。そして、辟易しながらも、また観てしまうのだからタチが悪い。恋愛もポルノもバラエティ化され、どんな料理にも応えるデパートと化している。
少し時間ができると、すぐにスマホに手が伸びてしまう。自分がチェックしていない間に、なにか起きているんじゃないかとソワソワしてしまう。
久しぶりに観た、映画『無能の人』は、徹底して静かだった。人も、街も、営みも、徹底して静か。急いでいない。忙しくない。登場人物たちは、欲望に忠実だが、どこかスローモーだ。現代からすれば、物足りないはずのその世界が、僕にはとても愛おしく、羨ましく映った。観ている間中ずっと、「そんなに盛らなくても、そんなに全部を露呈させなくてもいいじゃないか」と言われているような気持ちになっていた。いまもう一度観ることができてよかった。いろいろと思い出せてよかった。
2026年、桜の花が咲く前の、まだ寒さが残る3月3日。つげ義春さんは亡くなった。つげさんは、やっと世間から逃げ切れたのだろうか。どうだろう。
つげさんが残した作品を、これから何度もたしかめるように、読み返すと思う。
プロフィール
燃え殻
もえがら|1973年、神奈川県横浜市生まれ。2017年、『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。同作はNetflixで映画化、またエッセイ集『すべて忘れてしまうから』はDisney+とテレビ東京でドラマ化され、ほかにも映像化、舞台化が相次ぐ。著書に、小説『これはただの夏』『湯布院奇行』、エッセイ集『それでも日々はつづくから』『ブルー ハワイ』『愛と忘却の日々』『これはいつかのあなたとわたし』『夢に迷ってタクシーを呼んだ』『明けないで夜』『この味もまたいつか恋しくなる』など多数。
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